【コラム】
神社の源流を訪ねて(1)

武蔵国一宮(大宮氷川神社)

栗原 猛

◆往古から武蔵と出雲は交流

 日本には神社が約9万社ある。明治のころは12万社だったが、祭る人の高齢化などでいくつかの神社がまとまったりしたからだ。神社を知る場合、3つの点を注意することが大事だと古代史学者から聞いた。1は「神は人なり」で、神社の祭神の80%はその地域を最初に開拓した人であること、残る20%は雨や風、雷など自然現象などだ。2は昔、朝鮮半島と日本列島には国境はなく、人々は自由に行き来していたこと、3は、神話に登場する天津神か、それ以前から各地にいた国津神かという視点であった。

 神社に関心を持ったのは、住んでいたさいたま市大宮区の自宅からJR大宮駅に出るには、氷川神社「武蔵国一宮」の長い参道をよぎる必要があったからだ。武蔵国はかつて埼玉から東京、川崎、神奈川まで広い範囲を呼ばれ、この地域に230の氷川神社が広がる。参道は大人が何人も抱えるような欅の並木が約2キロ続く。松が多かったが最近は欅に入れ替わった。

 氷川神社の創立は、社伝では第五代孝昭天皇の3年だが、神社の歴史は怪しいものが少なくないという古代史学者もいる。主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫(クシイナダヒメ)で、広い境内には宗像大社、御嶽神社、松尾大社なども祭られる。
 不思議に思ったのは、素戔嗚尊は、古事記、日本書記に登場する出雲の神で、氷川という名称も出雲の簸川(ひかわ)に由来する。往古、なぜ出雲の神が遠い武蔵の国で祭られるようになったのかである。
 氷川神社権禰宜の東角井直臣氏は、「神社の裏手には古墳がたくさんあり、この人たちが出雲から来たとも考えられます」と言った。近くに加茂神社、奈良町、吉野原など古都、奈良にちなむ名もあり、大昔から武蔵と出雲はヒトとモノの交流があったと考えると、神社を知ることが面白くなった。

 (元共同通信編集委員)

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