【沖縄の地鳴り】
沖縄基地は海兵隊将星のブート・キャンプ
—アメリカ海兵隊将官序列リストに見る軍事的位置づけ—
◆戦争は卑怯者だ!
『War is a racket.Is always has been.』(戦争は卑怯者だ。これまで、常にそうであった)と書き出しで始まる元海兵隊将軍の反戦冊子に衝撃を受けたのを未だに、鮮明に覚えている。その名は「スメドレー・D・バトラー」(1881−1940)。侵略戦争で二度もアメリカ最高勲位の議会名誉勲章(メダル・オブ・オナー)を授与された海兵少将(MajGen. USMC)である。しかも太平洋戦争前に死亡し沖縄戦に参戦していないにもかかわらず、海兵隊唯一の海外基地となっている「沖縄」を代表するキャンプ(駐屯地)の総称に命名されている。海兵隊が大戦で占領した最初の海外恒久駐屯地でもあり、「海兵隊基地(MCB)キャンプ・バトラー」と言えば「在沖縄海兵隊」(Okinawa Marine Corps)全体を指す代表名称であり、太平洋全域の海兵隊基地を仕切る総元締めでもある。
◆典型的な非生産性と自然破壊
アメリカ軍は沖縄戦で駐屯地や施設区域を確保すると戦功のあった戦死軍人の名を次々と付け、盲目的な軍人を鼓舞してきた。沖縄では数多くの軍事施設区域が“銃剣とブルドーザー”で出現した。陸軍は「キャンプ瑞慶覧」や「キャンプ桑江」などと称するように所在地の地名を付けたが、海兵隊は隊員の名に限定した。占領71年目の現在、日本政府が「思いやり予算」の名目に国民の“血税”でアメリカ軍のために各地の軍事基地を補強し続けている。沖縄の民意を抑え込みながら大浦湾辺野古崎の真っ白な砂浜や緑生い茂る森林をなぎ倒し、警視庁機動隊らに守られて構築している辺野古新基地建設が象徴しているように、自然環境の破壊と非生産性の基地建設のために巨額な税金を投入している。
◆海兵隊初の海外駐屯地
1950年後半、軍用地接収反対の島ぐるみ闘争の最中、「札びら」をかざしてアメリカ軍政府が最初に創らせた海兵隊駐屯地が大浦湾辺野古であった。岸・アイク共同声明でキャンプ岐阜(現・航空自衛隊岐阜基地)やキャンプ富士(現・陸上自衛隊北富士演習場)に展開していたアメリカ軍の第3海兵師団が大挙移駐してきた。辺野古の新駐屯地は、1945年5月7日浦添市屋富祖南東高台の攻防戦で戦死、議会名誉章を贈られた海兵隊火炎放射器兵の一等兵アルバート・E・シュワブ(1920−1945)の名をとって「キャンプ・シュワブ」と命名された。兵舎群は海外の海兵隊キャンプでは珍しい初の鉄筋コンクリート製。当時の外地兵舎は、トタン葺きのかまぼこ型兵舎コンセットでマリン(陸軍は兵士の呼び方を「GI」〈官給品の意〉と呼ばせているが、海兵隊は「GI使用」を厳禁。「MARINE」としか呼ばせない)には大不評。沖縄だけが空冷完備の恒久兵舎で“マリン集め”に利用し話題になった。
◆日本駐留将官は7人
海兵隊当局は二度の議会名誉章受章者が2人も出たと誇示している。その一人の名をつけたのが「キャンプ・バトラー」だが、その末裔たちの将星群—沖縄基地に赴任してきた海兵隊指揮官の軍歴を覗くと、典型的な青白なビジネスマンタイプの素顔である。
ワシントンDCのアメリカ海兵隊総司令部(HQ, USMC)は、毎年秋になると海兵隊の全将官の序列リストをアメリカ海軍協会(USNI)の機関誌で明らかにしている。最新号の2015年版は、准将から大将までの海兵隊将官総数はおよそ104人の序列リストが記載されている。将官は、海兵隊司令官(CMC)を筆頭に前任者で現・統合参謀本部議長ら大将(Gen)4人、中将(Lt Gen)18人、少将(MajGen)32人、准将(BGen)50人である。日本関係は7人が記されている。うち沖縄基地は中将1人、少将1人、准将4人の計6人、残り1人が准将で東京の在日アメリカ軍副司令官(少将職)である。
◆沖縄の6部隊に将官
在日海兵隊(Mar For JA)で准将以上の将官が指揮官を務める部隊は、沖縄本島中部のキャンプ・コートニーには軍司令部と師団司令部を置く中将職の第III海兵遠征軍(III MEF)と少将職の第3海兵師団(Mar Div)、准将職の第3海兵遠征旅団(3rd MEB)。本島中央部の平野を占めるキャンプ・フォスターには航空団司令部と基地司令部を構える少将職の第1海兵航空団(1st MAW)と海兵隊太平洋基司令部(HQ, MCIPAC)兼 MCB キャンプ・バトラー司令部(HQ, MCB CpButler)。那覇近郊のキャンプ・キンザーには群本部を設けている准将職の第3海兵兵站群(3rd MLG)の6個部隊。ほかに本島北部のキャンプ・ハンセンには大佐職が隊長を務める第31海兵遠征隊(31st MEU)が駐留。中部の市街地のど真中には海兵航空隊の普天間飛行場(MCAS Futenma)が占めている。
◆赴任将官は初任者ぞろい
2015年度の将官人事異動で沖縄海兵部隊は将官指揮官6人の中、2013年7月に赴任した第3海兵遠征旅団長(准将)と2014年7月赴任の第3海兵兵站群長(准将)の2人を除いて軍司令官、師団長、航空団司令、基地司令官の4人が更迭された。新たに赴任してきた将官たちは昇格したばかりだりの初任者ぞろい。2年置きの入れ替えだ。沖縄の軍事的価値の低下が指摘されて久しい。それを如実に立証しているのだ。
序列リストをみても中堅のベテラン組は大西洋地域(ヨーロッパ)や中東方面にシフトしている。かつての沖縄基地はワシントンDCやハワイへの中枢部門の登竜門として位置づけられ、若手士官の憧れの的だった。ブート・キャンプ(新兵養成場)化した今では不人気のルツボだ。訓練担当士官は、兵力の慢性的定員割れの穴埋めに送り込まれる新兵たちの対応に大わらわ。古参兵は定年間際か、年金待ちの中高年隊員は硝煙漂う戦場より遠い平穏な場所を求めて右往左往だ。
◆軍歴を覗いて見ると
アメリカ軍の定年は伍長以上の下士官(E-4〜E-9)が55歳、士官が少尉(0-1)から准将(0-7)までは62歳、少将(0-8)から大将(0-10)まで4年延びて64歳が原則となっている。しかし軍隊に20年在籍していれば軍病院や基地内BX・PX(免税品売店)利用などの恩典付き年金の受給資格が得られる。
本題に戻そう。2015年に赴任してきた将官たちの軍歴を覗いてみると—。
・第III海兵遠征軍の第45代軍司令官には2015年9月、中将全18人中、序列順位第17位のL・D・ニコルソン中将が就いた。2008年7月准将に昇格したあと第2海兵師団長、アフガン ISA F司令部作戦部長などを歴任、本国西岸のカリフォルニア州キャンプ・ペンデルトンの第1海兵師団長から中将に昇格し沖縄に赴任した。在日海兵部隊司令官も兼任する。
・第3海兵師団の第62代師団長には2015年6月、少将全32人中、序列第19位のR・L・シムコック少将が就いた。2009年8月准将に昇格したあと太平洋海兵部隊副司令官などを歴任、本国東岸のノースカロライナ州キャンプ・レージューンの第II海兵遠征軍副司令官兼第2海兵遠征旅団長から沖縄に赴任した。
◆少将職司令官に准将
・第1海兵航空団の第70代航空団司令に2015年7月、准将全50人中、序列第11位のR・A・サンボーン准将が就いた。2011年7月准将に昇格したあとワシントンDCの海兵隊司令部で内勤(海兵隊員・家族プログラム課長)から起用され、少将職の第1海兵航空団司令に赴任した。
・海兵隊太平洋基地司令部の第3代基地司令官に2015年6月、准将全50人中、序列第7位のJ・F・マルビィェット准将が就いた。2012年5月准将に昇格したあとキャンプ・ペンデルトンの第1海兵兵站群長から少将職の太平洋基地司令官に赴任、海兵隊基地(MCB)キャンプ・バトラー司令官も兼任する。
・2014年7月に交替した第3海兵兵站群の第41代兵站群長T・W・キング准将は准将昇格と同時にキャンプ・キンザーに赴任した。就任時の准将は51人中、序列第51位の最下位であったが、1年後の2015年には第40位にランクアップした。
◆転出先は本国かハワイ
ちなみに転出した将官をみると、2013年7月第III海兵遠征軍司令官に18人中第5位の中将で赴任した前任者のJ・E・ウィスラーは2015年10月、第3位の中将に昇格してノースカロライナ州キャンプ・レージューンの海兵隊総軍司令官兼大西洋艦隊海兵部隊司令官へ。同じく34人中第30位の少将で第3海兵師団長に赴任した前任者のH・S・クラーディーは2015年7月、第20位の少将でワシントンDCの海兵隊司令部入り。同じく48人中第16位の准将で第1海兵航空団司令として赴任した前任者のS・R・ラダーは2015年8月、第29位の少将でハワイの太平洋軍司令部に。同じく34人中第15位の少将で海兵隊太平洋基地兼海兵隊基地キャンプ・バトラー司令官に就いたC・L・ハドソンも2015年7月、第3位の少将にアップしてバージニア州クワンティコの海兵隊基地司令官に転出した。
◆再び「南進の関鍵」か
このようにアメリカは前線配備から後方支援に軍事機能を変えて実質的な“沖縄離れ”を示している。海兵隊の駐屯地は慢性的な定員割れか、施設警備で残留している三桁台の兵力だけであり、兵舎群はがら空き状態である。“思いやり予算”のために送り込まれてくる将官指揮官も初任者か、勲功づくりに汗水流す退役間近かの超ベテラン組だ。
羊頭狗肉を地で行くような形骸化が深化しているにもかかわらず、東京の為政者は『日本の抑止力になる』と称して血税を投入し続けて引き留めの基地増強を図っている。しかも基地反対を明確にしている沖縄の民意を法廷にまで持ち込んで国家権力で押し潰している。真の狙いは何か。再び“南進の関鍵”として21世紀の大東亜共栄圏を夢見るヤマトンチュー得意の深謀遠慮か。
(ジャーナリスト 元沖縄タイムス論説委員・編集委員)