【コラム】
神社の源流を訪ねて(23)
滋賀県 鏡神社(かがみじんじゃ)
◆ 天日槍ゆかりの鏡神社と信楽焼
草津市の西、蒲生郡竜王町は昔から交通の要所で、鏡宿という宿場町で栄えた。今は近くを名神高速道路が走る。鏡神社も天日槍命(あまのひぼこ)を祀る。
鏡神社の苔むしたいかにも古そうな石段を登り切ると、鳥居の横に由緒書の掲示版が出ている。祭神天日槍、上古、新羅国の王子来朝して、此の地にて帰化し、其持ち来れる鏡を此の山に納めたれば鏡山と云う。多くの従者と共に当時文化を広めたり。又三韓式土器で我国最古の製陶術の祖である―とある。
草津の安羅神社では天日槍は医術の祖となっていたが、ここでは陶器造りの祖になっている。
日本書記は、天日槍について「ここに天日槍、菟道河を渡り泝(さかのぼ)りて、北の方近江の国の吾名の邑に入りて暫休み、また近江より若狹の国を経て、西の方但馬の国に到りて住む処を定めき。この以(ゆえ)に近江の国の鏡谷の陶人は天日槍の従人なり」とある。
陶(すえ)とは須恵のことで須恵器づくりこととされる。時間の関係で行けなかったが、鏡山の東麓には今でも須恵器の破片が散乱し、窯跡なども数多くあるという。鏡神社の周辺にある須恵、弓削、薬師、鋳物師といった地名はいずれも渡来人に深く関係がありそうだ。
鏡神社は、境内で源義経が元服をしたことでも知られる。神社の鳥居の前の、今は切り株だけになったが、松の木に義経が鳥烏帽子を掛けたといわれる。ところで、源義光はここから遠くない大津市の新羅善神道で元服し、新羅三郎義光と名乗っている。義光も義経もともに新羅系の神社で元服しているのは、どこか偶然とばかりは言えない感じである。
近江源氏が祀った神社として近江八幡市の沙沙貴神社が知られる。古代の豪族佐佐貴山氏が祖の大彦命を祀ったとされる神社だ。岡谷公二氏は『神社の起源と古代朝鮮』で、佐佐貴山氏については日本書記の顕宗天皇の条に、『狭々城山君韓帒宿禰』」(ささきやまぎみからふくろのすくね)が登場していることから名前から見て渡来系ではないか」としている。
せっかくここまで来たのだからと、日本六大古窯の一つ信楽焼を見なければと、足を延ばした。信楽とは、「しらき」(白木)(新羅)の当て字で、滋賀県栗太郡誌には「信楽焼が今日盛況であるのは全く鏡山陶工の南移である」という。天日槍と一緒に渡来した鏡山の陶工たちはここに陶土を発見して、奈良にも近く盛んになったのだろう。鏡山は韓国のソウル市に近い陶器の里で知られる利川市と、姉妹都市である。
町のはずれの紫香楽京跡は、聖武天皇の紫香楽京があった。聖武帝は、奈良に平城京があったにもかかわらず恭仁京、紫香楽宮、難波京、奈良の平城京へと次々に都を移した。段煕麟氏は「日本に残る古代朝鮮」で、この鏡山系の銅の存在と天日槍の製銅技術が東大寺の大仏の造立に結びついたのではないか―と推測する。
(元共同通信編集委員)
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