【コラム】神社の源流を訪ねて(72)
琉球開闢の神々(2)
神の住む霊所
栗原 猛
◆アマミキヨの降臨神話
アマミキヨは、「琉球国由来記」や「おもろそうし」(16-17世紀に琉球王国時代、首里王府が編纂した歌集)や、「中山世鑑」(1650年に成立、琉球王国初の正史)に登場するが、琉球開闢(かいびゃく)の祖として、今でも沖縄の人々に深く慕われている。
琉球神話によると、今を遡ること数千百年前、天にある最高神である「日の大神」が、琉球を神の住むべき霊所であると認め、アマミキヨという女神に国造りを命じ、降臨させた。アマミキヨが、天の一角であるニライカナイから、最初に降臨した地は、沖縄本島の南城市東南部の6キロ海上にある久高島(くだかじま)とされる。
久高島は南城市の安座間(あざま)港から、フェリーで約25分、山がなく全長3㌔の南北に平たい島である。沖縄もここまで来て海岸に立つと、空も海も一体となって青々と広がっていて、地球のありがたさが実感される。こういうのを絶景というのだろう。
琉球の歴代国王は、南城市の久高島とともに同市の斎場御嶽(せーふぁうたき)に巡礼したことから、沖縄最高の聖地として、今でも多くの祭事が行われている。
アマミキヨは、久高島に草や木を植え、国造りを始める。またシマグシナーという棒を使って、天から土、石、草などを久高島に運び、祭祀の聖地として7つの御嶽をつくったとされる。
アマミキヨは農耕も興し、天から五穀の種(麦、粟、豆、黍)を持って来て久高島に蒔き、穀物はやがてこの島から琉球王国全体に広がった。稲は沖縄南部の玉城地区の百名(ひゃくな)海岸近くの受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に植えたといわれ、ここは琉球の稲作発祥の地になっている。
一方「琉球国由来記」はちょっと違っていて、穀物は島に住んだ最初の男が、浜辺に流れ着いた白い壺を開けると麦、粟、黍、扁豆之種子(ヒラ豆)、檳榔(ヤシ科の植物)の種などがあり、これを蒔くと檳榔の木は高く生い茂った。そこに君真物(きんまもん、神)が現れ、御嶽の最初となる、とある。木々が生い茂ってそこに神が現れ、それが御嶽になったとされ、森や木々は大昔から神聖なものとされた。アマミキヨは島々をつくると、沖縄本島中部の東部海岸に突出する浜比嘉島に住み、男神シネリキヨとの間に3人の子供をもうける。
浜比嘉島は、陸続きで那覇空港からレンタカーで1時間20分ほどで行けるので、久高島に次ぐ「神の島」といわれる浜比嘉島にも足を延ばした。歩いてすぐの出島にアマミキヨの墓がある。少し高台になっていて石の階段を上ると、岩をくりぬいた洞窟の入り口は四角い積み石で塞がれている。その前に香炉が1つ置かれているだけだった。ほかに祭祀器具はいっさいない。驚くほど簡素だが、かえって年月が経っていることの重みが感じられた。
アマミキヨとシネリキヨの二神が、子を授かって暮らしたとされる洞窟は、シルミチュー霊場と呼ばれて祀られている。岩をくりぬいたところで、10畳ぐらいの広さだ。柵があって中には入れない。遺跡の多くは男性の立ち入り禁止になっているが、ここはだれでもすぐ近くまで行って中をのぞける。
アマミキヨは「おもろそうし」などに登場するが、実在については異論があると言われる。ただし夫婦が3人の子供たちと住んだところや、アマミキヨの墓までそろっているところから、この地の最初の開拓者が仮託されたのかもしれない。
以上
(2024.11.20)
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