【コラム】神社の源流を訪ねて(73)
琉球開闢の神々(3)
斉場御嶽(せーふぁうたき)
栗原 猛
◆社殿がない御嶽
那覇バスターミナルから約10分。沖縄本島南部の南城市知念に位置する斉場御嶽(せーふぁーうたき)は、2000(平成12)年に 世界遺産に登録された。琉球王国は祭政一致の政策を進め、各地でいろいろな呼び方のあった信仰の聖域を「御嶽」(うたき)に統一し、地域の御嶽を管理するノロ(祝女)を職能化した。
国王の血縁の女性がノロのトップである聞得大君(きこえおおきみ)につき、地方の豪族の按司(あんじ)の血縁の女性は、地域のノロを統括する大阿母(神職名)に据えた。さらに各集落にいるノロは、それぞれの地方の御嶽を管理するというように役割を整えた。
斎場御嶽は、沖縄を代表する御嶽で、琉球王国では最高の神官として、王族の女性が任命される。また斉場御嶽では聞得大君の即位式も行われ、国王と全土の守護神という立場になっている。
バスを降りて市の歴史学習体験施設緑の館で、入館料を払い斎場御嶽に向かう。御嶽口(ウジョウグチ)には6個の石の香炉が置かれている。これはこの御嶽には6つの拝所があることを示しているのだ。
御嶽とは神が降臨するところだが、神社にあるような本殿も拝殿もない。御神体は森や岩や岩陰、泉などである。神は自然そのものに宿っているという考えとされる。参拝者は祠の前で自然のどこかにいる神に祈ることになる。
斎場御嶽では御門口に香炉が置かれていて、まずここで手を合わせる。その先は男性禁止になっているので、男の参拝者は左手に行くことになるが、すぐに有名な大庫理(うつぐーい)と呼ばれる拝所に出る。深夜に、聞得大君の御新下り「お名付の儀式」が行われるところだ。
ここを過ぎると、大きな垂直に切り立った岩に、斜めに板のような巨岩が倒れ掛かかり、三角形の空間を作っている三庫理(さんぐーい)と呼ばれる拝所だ。本来は鍾乳洞であったところで、洞窟の天井が崩れて神秘的な地形が生まれたという。琉球王国時代の重要な司祭はここで行われたという。この三角形の空間の先に神島の久高島が遠望できる。太陽が昇る方向にある久高島は、聖地として崇められてきた。
斎場御嶽では6か所の拝所のほかに、東御廻り(あがりうまーい)という巡礼地めぐりと、御新下り(おあらうり)と呼ばれる2つの神事が今も行われている。東御廻りは、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方にある御嶽を回り、国の繁栄と五穀豊穣を祈る。琉球時代は男子禁制だったので、国王は女装して入ったといわれる。
御新下りは、聞得大君が最高神職に就任する儀式で、首里と斎場御嶽で儀式を行ない、ここでは聖水を額に付ける儀式で神霊を授かり、神と同格になるといわれる。二つの神事が行われるところは聖地になっているが、ここも小さな祭壇が置かれているだけでほかのものは一切ない。
折口信夫は「琉球の宗教」で「内地の社々の神も、古くは社を持たなかったに相違ない.…社殿に斎か無かった神は、おそらく御嶽と似た式で祀られてゐたものであろう」と言っている。
社殿のない神社といえば日本の各地にもある。対馬の項で少し触れたが、天多久頭魂神社(あまたくとだま)もそうだ。対馬の北西海岸佐護川の河口にある。川に面した照葉樹の杜の中に、古そうな鳥居の先に、左右に石を積み上げた2メートルぐらいの石の塔が立ち、その少し先に簡単な石の祭壇があるだけだった。狛犬とか賽銭箱、花立などは一切なく、かえって感動した。
御嶽の中には米軍による土地接収や開発にともない、立入が禁止または制限されたり、破壊された御嶽も少なくないという。
(2024.12.20)
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