【コラム】神社の源流を訪ねて(74)
琉球開闢の神々(4)
大自然と祖先崇拝
栗原 猛
太陽と祖霊信仰は 韓国の堂に通じる「御嶽」
御嶽は古代集落が原型、御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられおり、古代信仰の祭祀形式をとどめているといわれる。また沖縄本島は祖先崇拝が盛んで、氏祖は村落の守護神とされる。
御嶽の杜は聖地とされ、木を切ることも枝を伐採することも禁じられている。だから御嶽のある森は鬱蒼と木が茂っている。一目見ると御嶽だなとすぐわかる。琉球信仰は、東に上る太陽と川や泉、森、葬地、巨石などを神聖視する。神社は死穢を避けるところがあるとされる。ただ古墳の上に神社があるところもあり、古い時代の考えは違っていたのかもしれない。
琉球神道では、自然の太陽と祖先を大事にする信仰が、ニライカナイ(はるかに遠い東方)に結び付いて、豊穣や生命の源をもたらすと考えられた。死後7代して死者の魂は親族の守護神になる。したがってニライカナイとは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所であるとも信じられた。
明治と昭和の二回、政府は沖縄に日本の神道を奨励したが、それほど普及しなかったといわれる。それは大昔から先祖を信仰しているのに、にわかに別の神をお祭りしろと言われても、そう簡単に切り変えるわけにはいかないだろう。韓国や済州島の堂は長い間、弾圧を受け排斥されて続けてきたが、女性の社会で根強く生き残り、近年ユネスコの国際遺産になると、今は若い人の間に関心が広がっている。
琉球歴史研究家の宮里朝光氏は、「琉球人は人間平等で現世主義であったために、仏教を国家鎮護として受け入れ、一般民衆のものにならなかったのではないか」としている。どこまでも紺碧色に広がる海と空の下で暮らすと、大自然と祖先の霊に通じる偉大なものを感じるのではないか。
何度か堂を見に韓国を訪ねたが、韓国でも太陽をとりわけ崇めていることを知った。まず朝鮮という国号は、「朝日は鮮やか」という意味という。歴史上の新羅国は、「朝日は新鮮で、四方を網羅する」という意味だ。「太陽が昇る方向にまっすぐにひたすら歩いて行くと、釜山の迎日湾に出ますよ」と、教えられたことがある。
御嶽は琉球の神話の神が来訪する場所で、また祖先神を祀る場所でもある。また地域を守護する聖域、守護神として、いまでも多くの信仰を集めている。
死生観では、魂は神のいる異界であるニライカナイより来て、死んでまたそこへ帰り、こんどは守護神となって人々の集落へ還ってくると考える。このため祖霊を非常に敬大事にする。旧暦8月には祖霊が集落、家族のもとへ帰ってくるという。お盆は大事な行事で今でも大事に行われている。
また沖縄の神社信仰は、古代の母系社会や女性上位社会の変化と考える見方もある。これらのことから御嶽信仰は沖縄の古代信仰の形式をとどめ、引き継いでいるとみられてきた。
沖縄文化の普及に尽力した沖縄語普及協議会名誉会長の宮里朝光氏は「琉球人の思想と宗教」で、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、社会が平和になれば個人は幸福になれるというように感じられた考えに根差しているとされる。
その信仰は、祖霊神、祖先崇拝、火神、ニライカナイなどがあり、拝む対象の日月星辰を通して現世に益をもたらす祖霊に「報本反始」(ほうおんはんし、恩に報いる)するものであるとされる。琉球神道における女性の役割は、韓国や済州島で見た堂信仰での役割に似ている。こうした話を韓国の堂のお祭り会場で聞き、御嶽は堂に通じるものがあるのではないかと感じた。
琉球神道は日本の神道の源流ではないかという見方もあるが、むしろ時代によってもいろいろ違いがあるだろうが、沖縄の御嶽と韓国や済州島の堂、対馬の神社などにどこか共通するものがあるように感じられる。
以上
(2025.1.20)
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