【コラム】海外論潮短評(120)

疑問符がついたアメリカ民主主義の安定性
― 政治的分裂と権力の乱用 ―

初岡 昌一郎


 アメリカの危機を特集した米国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』本年5/6月号に、「アメリカの民主主義はまだ安泰(セーフ)か」という論文が掲載されている。歴史的な回顧と分析からアメリカ民主主義の特質と矛盾を論じた、注目に値するこの論文を、やや遅まきながら取り上げる。力作ぞろいの同特集号からは「高度成長は歴史の一瞬」と題するシャルマ論文を7月号の本欄で既に紹介した。

 今回紹介する論文は、アメリカとカナダの著名な大学に所属する3人の学者の共同の執筆によるものである。すなわち、ミシガン大学ロバート・ミッキイ准教授(政治学)、ハーバード大学スティーブン・レビツキー教授(行政学)、トロント大学ルーカン・アーマッド・ウエイ教授(政治学)が共著者である。論文論旨は概略以下の通り。

◆◆ アメリカ民主主義後退の原因 ― 社会的人種的分裂よる政治の両極化

 独裁者を賛美するトランプ大統領は支持者による暴力を激励し、主要なメディアに「敵」のレッテルを貼っている。これがアメリカを専制的支配に向かわせる懸念を生んでいる。ファシズムへの前兆という予言は誇張としても、一種の「専制主義」にアメリカを押しやる危険がある。専制とは、民主的な諸制度が存在を継続していても、政府が国家権力を批判者の抑圧に乱用することだ。

 アメリカ民主主義に対する挑戦は、トランプが舞台に登場する数十年も前から現れていた。1980年代以降、共和党の分極化と過激化の進行がアメリカ民主主義を守ってきた制度の基礎を弱めていた。トランプの大統領選出がこの危険を大幅に増幅させている。逆説的ではあるが、民主主義の脅威となる両極化はアメリカ民主主義の後進性に根差している。市民権運動と連邦政府が南部諸州から専制主義を追放し、この国が真に民主主義的となったのは、たかだか1970年代のことである。しかも、このプロセスが議会内の対立を深化させ、共和党を右に押しやった。その結果、両極化がトランプの登場とその専制的行動に対する民主的制度の弱体化を促進することになった。

◆◆ 権力乱用による民主主義後退の諸様相

 民主主義の大幅後退がアメリカで起きるとすれば、クーデタと戒厳令の公布や一党独裁の形はとらないだろう。あまり注目されることのない措置の積み重ねのプロセスが現代的専制の特徴である。

 権力乱用の形態は、第一に国家機関を政治的に悪用、反対勢力の封じ込めを図ることだ。現代国家は公的私的な人々の非行を調(捜)査、処罰できる様々な装置を備えている。裁判所、検察と警察、立法府の監察機関、情報機関、税務署、規制諸機関など。司法のようにパージが容易でない機関に対してはほかの方法がある。例えば、買収、脅迫、個人攻撃などで判事を屈服させ、任免権を乱用して自党派に忠実な判事を任命、司法機関を乗っとる。典型的な権力乱用は法律の選別的な適用だ。捜査、告訴、刑事罰などから自党派を遮蔽し、敵対的な政治家、企業、メディアを沈黙させるために司法権力を行使する。

 権力乱用の第二の形態は、市民社会の重要部分を中立化させ、権力と自党派に有利なルールで政治を行うことだ。現代の専制は反対派を頭から排除しない。むしろ、反対派集団を沈黙させ、協力させることに重点が置かれる。メディア、財界、労働組合、宗教団体などがその対象である。友好的なジャーナリストは優遇し、協力企業には恩恵的な契約や資源・資金の特恵的配分が用意される。

 政府の非違を弾劾する新聞、テレビ、情報サイトに対しては、名誉棄損や誹謗中傷を口実とする刑事裁判や行政的措置をちらつかせ、国益や国家安全を脅かすという理由で出版物や報道記者に弾圧を加える。政府に批判的な企業幹部は税務上で迫害し、野党政治家を情報機関が捏造したスキャンダルで貶める。かくして、報道機関は表向き独立を標榜していても、陰で自己検閲に走る。

 第三の乱用形態は、自らに有利なルールで反対派の挑戦を妨害するために、憲法改正、選挙法と選挙制度の変更、その他の制度改変を行うこと。こうした改編は政治腐敗の根絶、選挙の浄化、民主主義強化を名目に行われるが、その真の目的はもっと邪悪なものだ。

◆◆ 現代的民主主議の歴史浅が浅いアメリカ

 長い伝統を持つアメリカ民主主義は容易に後退しないと想定しがちだが、このような確信には根拠が無い。普通選挙権、市民権の広範な保護、政治的自由を伴うリベラルな民主主義は、比較的最近定着したものである。現代的基準で見て、アメリカが十分民主的な国家になってからまだ半世紀しかたっていない。

 南北戦争後の1890年代、南部11州の政治家たちは単一政党による専制的特区を創出した。最高裁と連邦政府から一定の裁量の余地をもぎ取った南部民主党が、黒人とプアー・ホワイトの選挙権を剥奪、反対党を抑圧した。人種的差別と不自由な市民社会が創出された。その目的は、安価な農業労働者と白人の優越性を確保することで、目的達成のためには州政府公認の暴力が行使された。

 その後の半世紀にわたり、南部諸州は外部からの改革圧力を食い止めるために、議会と民主党内におけるその影響力を利用した。しかし、1944年、最高裁は白人だけによる民主党予備選挙を違憲とした。この判決以後、黒人活動家たちは司法判断に基づき、選挙権否認、制度的な差別、州による抑圧を克服するために、選挙法規と民主党改革を求めてきた。1970年代初めには南部専制主義が打破され、今日、約6,000人の黒人が南部諸州で公的選挙職についている。

 だが、アメリカの専制主義は単に南部的な現象ではなかった。FBI、CIA、NSAなどの治安情報機関が創設されて以来、ホワイトハウスのスタッフ、ジャーナリスト、政治的反対派、活動家をモニターするために、それらの機関が利用された。南部的政治は否定されたが、南部的手法がその後の連邦政府の中に取り込まれ、これが全国的にアメリカ社会の分裂を促進したのは歴史の皮肉だ。

◆◆ 党派的亀裂の深刻化 ―〝グレート・デバイド〟

 政治的な両極化が民主主義崩壊の中心的要因である。極端な両極化によって、政治家とその支持者たちはライバルの存在自体を政治的に否定し、脅威とみなす反対派を追放するために動くようになる。彼らが極端な反民主主義派と提携し、暴力を唆すことを辞さない行動に出るようになれば、もはや民主主義は持続できない。最近までアメリカはこのような危険から無縁だと思われていた。1930年代のドイツやスペイン、1970年代のチリにおいて民主主義を破壊した非妥協的な党派闘争をアメリカが回避するのには、融和と妥協の政治が役立っていた。

 しかし、1960年代の人権法と投票権法の採択により、民主党(白人優越主義の牙城)と共和党(リンカーン創立の政党)が、人種問題で立場を入れ替えることになった。南部では黒人が民主党支持に、白人が共和党の地盤と次第になっていった。南部の所得水準が増加するにつれて共和党の経済政策が吸引力を高め、富裕層白人が共和党を支持するようになった。人種問題に対する保守的立場と「法と秩序」から、多くの白人が共和党に投票した。次第に南部は共和党一党支配となり、連邦議会はイデオロギー的に分極化していった。1960年代末以降、民主党と共和党の候補者は、積極的差別解消政策などの人種問題やその他の公共政策をめぐり対立を激化させた。これが超党派的な解決を目指す党内穏健派の行動余地を狭めることになっている。

 党派的両極化は、民主的監視に不可欠なマスメディアの弱体化によっても促進された。1990年代までは、ほとんどのアメリカ人が少数の主要テレビからニュースを得ていた。国民の関心を惹きつける上で、政治家の報道機関に対する依存度が高かった。だが、過去20年間にメディアが著しく分極化した。「フォックス・ニュース」の登場が、党派的なニュース報道の幕開けとなった。一方、インターネットの普及がニュースの送受信を容易にし、相次ぐ地方紙の廃刊を招いた。今日では民主党と共和党のそれぞれの支持者は非常に異なる情報源からニュースを得ており、伝統的なメディアの役割が著しく低下している。その結果、有権者は「フェイク(インチキ)・ニュース」を受容し、政党の発表・宣伝に影響され易くなっている。

 富裕層と一般大衆の所得格差拡大が分極化を加速化した。アメリカにおける所得格差は大恐慌開始以以来最高に達している。上位富裕層の爆発的な所得増大が、保守的な経済政策、特に減税政策を支持する政治家に対する富裕層の支持と献金を急増させ、共和党をさらに右に押しやった。

◆◆ 両極化した社会と政治の深刻な危機 ― 試練に直面するアメリカ民主主義

 党派的両極化はアメリカ民主主義に対していくつかの危険をもたらす。まず、議会と行政府を異なる政党がコントロールしている場合、政治的行き詰まり状態を生む。両極化が進行するにつれ、議会の立法能力は低下し、重要課題が未解決のまま放置される。こうした機能不全が政治制度に対する信頼を失わせる。議会の行き詰まりは、憲法ぎりぎりの線で大統領に一方的な決定を行わせることになる。これがさらに反対党を刺激し、対立は激化する。アメリカ人が民主主義を支持しているという一般論は、楽観論の根拠となりえない。

 トランプ大統領下におけるアメリカ民主主義の運命は、今後の偶発的な出来事に左右されるだろう。今日の危機に対する最大のブレーキはトランプの不人気だ。共和党議員はトランプの行動に悩まされており、支持者間でトランプ批判が高まれば、大統領に逆らうのを躊躇わなくなるだろう。そうなれば、司法府も大統領の傲慢な振る舞いにもっと批判的な判断を下し易くなる。

 しかし、今後の事態が反対の効果を生むこともある。戦争やテロ攻撃が新たに起きれば、政治家と国民の市民的自由に対するコミットメントが低下する。すでにトランプは、司法と報道の独立性が安全に対する脅威であると明言し、それに沿った行動をとっている。彼の移民入国禁止を否認した判事を「国家を危険に曝した」と攻撃し、主要メディアを「敵」と位置づけている。

 アメリカ民主主義が後退・転落にたいする免疫を持っているわけではない。今や、半世紀前に実現した多元的民主主義の継続は、トランプとその背後にある勢力の挑戦に直面している。歴史的に支配的な人種集団が多数派の地位を失うときに、民主主義がその過渡期において生き残った経験がほとんどない。アメリカ民主主義がそれに成功するならば、まさに稀有な可能性を立証するものだ。

◆ コメント ◆

 この論文は近未来のアメリカ民主主義にたいし、悲観的ともとれる、少なくとも楽観視を許さない評価を下している。発表から少し時間は経過しているが、海外論潮短評120回の節目に、敢えて紹介することにした。

 アメリカ民主主義が普遍的な制度に発展してからまだ若い、という指摘に注目すべきだ。アテネの古典的民主主義と同様に、歴史的なアメリカ民主主義は支配的な市民にとっての民主主義であり、奴隷や原住民などの被抑圧人種には及んでおらず、普遍的な適用が欠落していた。現在でも、基本的な自由としての人権と政治的民主主義は重視されているが、社会的民主主義はほとんど視野に入っていない。現代民主主義社会にとって不可欠な、普遍的な教育機会の欠如や全国民を対象とする社会保障の不備は、ヨーロッパの先進的な民主主義国に比較するとあまりにも顕著だ。

 アメリカ民主主義の構造的な弱点から見て、トランプ的な政治現象を一過性とみなすのは皮相に過ぎるだろう。前途を楽観視するには、アメリカ社会の分裂があまりにも深いと思わざるを得ない。所得格差拡大は人種差別(過去と現在の)に深く根差しており、人種問題が政治と民主主義自体の将来を読み取るカギであることを、いまさらながらに本論によって痛感させられた。白人多数派によって構築されたアメリカ民主主義が、白人多数派がその数的優位性と政治的なヘゲモニーを失うとき、その過渡期を生き残れるかという問いは重い。

 アメリカの民主主義がもしも挫折し、専制的な権力が本格的に出現するならば、悲劇がアメリカ国民に及ぶだけではない。世界で並ぶところないアメリカの核兵器を含む軍事力が、民主主義的統制の及ばない権力の手中に落ちる恐怖は悪夢だ。

 社会が人種を溶解する「るつぼ」とならず、いくらかき混ぜても構成要素が一体化しない「サラダボール」にとどまる国では、政治的社会的な分裂がますます深化せざるを得ない。アメリカだけではなく、グローバル化の進む世界においてますます多くの国がこの人種的な課題に直面するようになっている。容易な解決の道が見つからない不安と疑念を抱きながら、今後の動向と議論に注視してゆかざるを得ない。

 (姫路獨協大学名誉教授・オルタ編集委員)

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