【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

米国の「イラン核合意」離脱で改めて問われる両国関係史

荒木 重雄


 核開発の抑制と見返りに経済制裁を解除する、イランと米英仏独中ロの6カ国が2015年に結んだ「イラン核合意」は、長年に亙る国際社会の外交努力の成果であった。ところが、トランプ米大統領は、この5月、一方的に合意から離脱し、全ての制裁を復活させることを決定した。イランは核合意を遵守しているとIAEA(国際原子力機関)をはじめ国際社会が認定している中での離脱である。

 合意に「欠陥」があるとするトランプの主張は後からつけた難癖で、ならば追加の議論を手順を踏んでするのが道理だろう。その労を取らず、国際社会の困惑や中東の不安定化の危険を尻目の離脱決定は、いかにもトランプ流だが、じつはこのタイミングでの決定は、同じ月、中東に大きな波乱を巻き起こした米大使館のエルサレム移転とともに、11月に予定されている中間選挙に向けた支持者の受け狙いといわれている。だが、イランと米国(および国際社会)との関係は、一政権が選挙パフォーマンスに利用してよいほど軽いものではない。そこで、改めてその歴史を振り返っておこう。

◆◇ イランと米国の不幸な出会い

 英国は20世紀初頭以来、純利益の僅か16%をシャー(国王)の取り分とする条件でイランの石油資源を丸ごと手に入れていたが、1951年に登場したモサッデク首相は、こうした不公正を断ち切ろうと石油の国有化に乗り出した。ところが、モサッデク型資源ナショナリズムが周辺諸国に波及することを懼れた米国は、英国と謀って、イランを石油市場から締め出すと同時に、軍部をそそのかしてクーデターを起こさせ、モサッデクを逮捕・失脚に追い込んだ。これがイランと米国との出会いであった。

 この工作でイランの実質的な支配権を手に入れた米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの秘密警察を手足としたこの独裁政権にイスラム勢力の弾圧と欧化政策を強行させる一方、イランの石油収入のほとんどを、米国から派遣された軍事・経済顧問の「助言」によって米国の兵器と商品の購入に当てさせて吸い上げるシステムをつくりあげた。
 米国の兵器で軍事大国化したイランはまた一方、米国はじめ西側諸国の権益とイスラエルの存在を守るため、アラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担うことにもなった。

 しかし、こうした米国の政策と、それに追随する王族・特権層の腐敗や、市場経済化がもたらした格差の拡大とイスラム的価値観の破壊に対し、民衆の反発がしだいに高まって反体制運動が相次ぐようになる。とりわけ78年からの大規模な民衆蜂起によって翌年2月、ついにシャー政権は倒され、長らく国外追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が帰国した。これがイランの「イスラム革命」である。

◆◇ 理不尽な敵視政策に耐えて

 「イスラム革命」の波及を懼れた国際社会は一斉に反イラン・キャンペーンを繰り広げた。とりわけ経済的・軍事的利権を失ったうえ大使館を占拠された米国の怒りは激しかった。

 その意を汲むように80年、サッダーム・フセインのイラクがイランに侵攻し「イラン・イラク戦争」が勃発する。すると、対立していたはずの米ソをはじめ、自国民衆のイスラム・パワーを恐れる周辺アラブ諸国までがこぞって兵器・資金・情報・外交などでイラクを支援し、米国は石油基地や船艇、旅客機への軍事攻撃など直接手も下したが、イラン・イラクの消耗戦は雌雄を決せぬまま8年を経て終結した。

 その後も米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、米国企業による貿易・投資・金融の禁止はもちろん、米国外の企業のイランとの取り引きにまで制裁を科す包囲網を築いて、敵視政策と締め付けをエスカレートさせていった。

 国際社会の締め付けに連動してイラン国内も揺れた。その表れが、保守強硬派と保守穏健派の消長である。反米自主強硬路線を代表するのがアフマディネジャド前大統領であり、対外融和政策をとる穏健派の代表が故ラフサンジャニ師やロハニ大統領である。

 こうした過程で、米国とイスラエル、親米アラブ諸国がもっとも恐れたのが、核兵器保有に道を開きかねないイランの核開発であった。この緊張をいかにして緩和して安定化させるか。国際社会の憂慮と協調の下、ロハニ政権と米オバマ政権が努力を尽くして整え上げたのが、2015年の「イラン核合意」であった。

◆◇ ポピュリズムの危険な行方

 ではトランプが受けを狙う米国内の支持層とは何か、こちらに目を転じよう。それは、イスラムや移民を敵視し、「アメリカ・ファースト」のスローガンに無邪気に喝采する白人保守層だが、その中で力をもつのが、米人口の約25%に浸透しているとされるキリスト教福音派である。聖書に書かれていることはすべて真実と信奉し、現実世界にも聖書の記述を当て嵌めて解釈するかれらは、イスラエルは神が約束した国であり、ゆえに、そのイスラエルに敵対するものは神とかれらへの敵対であり、すなわち米国の敵と考える。エルサレムへの大使館移転も「イラン核合意」からの撤退も、イスラエルの主張に同調する福音派が長年求めてきた政策の実行なのである。

 それかあらぬか、経済制裁が自国の企業にも痛手を被らせる危惧をかかえる欧州やロシアが合意の維持に動く中、トランプ政権は、核放棄のみならず弾道ミサイルの開発中止、シリアからの撤退や、体制転換まで、イランが到底呑めない要求をエスカレートさせて突きつけている。それが導くのは、イラン国内での反米強硬派の台頭と、中東発の混乱が世界の安全と経済を脅かす事態の再来であることは目に見えているのに、である。
 米国と己が政権の目先の利益第一とする単独行動主義が世界にもたらす負の影はしだいに濃くなっている。国際社会の約束を守らぬ米国とでは、北朝鮮もディール(取り引き)に本腰を入れるのは難しかろう。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)
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