【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

米国の大統領選挙には、さまざまな神が跋扈する

荒木 重雄

 米大統領選挙の予測は難しい。神のみぞ知る領域だ。といわれる。
 その神を最大限、利用しているのが、11月5日の大統領選で返り咲きを狙う、共和党のトランプ氏だ。
 
 ◆神格化すすめるトランプ陣営
 
 もともと共和党は、キリスト教福音派を岩盤支持層としてきた。福音派とは、聖書の記述をまるごと信じることを旨とし、それゆえ、進化論や社会科学的な世界観に反対し、同性婚や妊娠中絶を忌避する伝統的な家族観・社会観をもつ、総じて白人優位と自由主義の信奉者で、米国民の4分の1を占めるとされるが、レーガン、ブッシュ父、子などは、かれらに歓迎される政策を掲げて票を集めてきた。
 
 とりわけトランプ氏は、この層への迎合に熱心で、大統領在任中には、最高裁判事の構成を保守寄りに変え、人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めた「ロー対ウェイド判決」の覆しを図ったり、在イスラエル米大使館を聖地エルサレムに移転させるなど、福音派が望む政策を次々と実現させて、「神の御業」、「米国を復活させるために、神に選ばれたトランプ」、と喜ばれた。
 
 そこに起きたのが、7月の銃撃事件であった。銃弾は右耳をかすめただけだったが、トランプ氏はこの事件も利用するにヌカリはない。直後の共和党大会で宣わく、「銃撃を受けたが、私は安全だと感じた。なぜなら神が私と共にいると感じたからだ」。
 同調した共和党議員たちが口々に演説で讃えた。「トランプ氏を救ったのは神の介入だ」、「トランプ氏は聖書に出てくる獅子だ」、「トランプ氏は神に選ばれた。次の選挙に勝たなければ、この国は滅びる」。
 会場の一画では牧師がトランプ氏勝利の祈祷を繰り返し、銃撃事件の写真とともに、トランプ氏「公認」の聖書が1冊9000円で売られていた。と伝えられている。
 
 ロイターの調査ではこの事件について、共和党として登録する有権者の65%が「トランプは神の加護を受けている」と回答している。福音派を中心にトランプ氏の「神格化」が急速にすすんでいるのは確かなようだ。
 
 ◆ハリス氏はれっきとした黒人
 
 対する民主党候補者は、カマラ・ハリス副大統領。父はジャマイカ出身の黒人で母はインド系。とはいっても、父はスタンフォード大学の経済学教授で、先祖はアイルランド系の血も引く英国教会系のプランテーション農園主で、奴隷を使う側であったという。母はインド南部の最高カースト、バラモン階級に属する医学研究者。という知識階層の家庭で育った。カマラが7歳のとき両親が離婚し、彼女は母親と暮らした。
 
 「ハリスはインド人なのか、黒人なのか。インド系だったハリスが、票稼ぎか、突然黒人になった」と揶揄したのはトランプ氏だが、ハリス氏は名門黒人大学のハワード大学を経て、カリフォルニア大学ヘイスティングス・ロー・スクールで学んで、法曹界、政界の道を歩み、上院議員時代には黒人議員連盟の一員だった。
  
 公民権運動やベトナム反戦運動が盛んだった1960年代、母親が押すベビーカーの中でデモに参加していたカマラは、その影響からか、長じては、少数派の権利擁護や多様性の尊重、環境問題の重視などを政治信条とするに至った。
 バプテストの教会で洗礼を受けているが、ヒンドゥー教にも敬意を持ち、ヒンドゥーの仕方で祝祭を祝うなどしているという。彼女の名のカマラは、サンスクリット語で「蓮の女性」を意味する。
 
 一方、夫のダグ・エムホフ氏は、ドイツ東欧系のユダヤ人で、ユダヤ教徒の弁護士である。ハリス氏はガザ地区でのイスラエルの暴虐を批判しているが、エムホフ氏は逆に反ユダヤ主義に反対する活動をしていて、パレスチナ寄りではない。
 
 見てきたように、ハリス氏の文化的背景はなかなか複雑である。「米国は神に祝福された白人キリスト教徒の国」と主張するのはトランプ氏だが、ハリス氏的なアイデンティティの重層性は、米国社会のきたるべき姿を示すものでもあろう。
 
 ◆バンス氏、時限爆弾となるか
 
 さて、トランプ氏とタッグを組んで共和党副大統領候補となったバンス上院議員。『ヒルビリー・エレジー』という、自らの出身である白人貧困労働者層の生活を描いた本で有名になり、トランプ氏を上回るガサツさを売りにする政治家だが、妙な因縁がハリス氏との間にある。妻のウーシャ・バンス氏が、インド系2世なのである。
 
 ウーシャ・バンス氏は、イェール大学やオックスフォード大学で学び、連邦最高裁長官のスタッフを務めたこともある、法曹界ではハリス氏より上位の法律家といわれるが、熱心なヒンドゥー教徒で、バンス氏との結婚式でもヒンドゥーの導師による儀式を挙げていて、カトリックに改宗したバンス氏に大きな影響力をもっているといわれる。 
 そこで、極右の活動家や評論家から、予想外のイチャモンがついた。インド系の血を引くウーシャは夫を説得して、共和党の移民規制政策を骨抜きにしかねない、というのだ。
 もっとも、いやいや、ハリス氏攻略にはウッテツケの武器だ、との説もあるが。
 
 ところがすでに、副大統領候補指名以前に、バンス氏は、場外乱闘を展開していた。「英国は核保有したイスラム主義国家」と、くさして、英労働党政権の反発を買ったのだ。労働党所属のイスラム教徒のカーン・ロンドン市長が過去にトランプ氏を「差別主義者」と批判したことへの意趣返しだとされるが、これまで世界戦略で緊密に連携してきた米英の「特別な関係」に亀裂が入りかねないとの懸念も出始めた。
 いやはや、とんだところにインド的なヒンドゥー・イスラム対立の飛び火である。
 
 なお、絵に描いたような中西部農村の善良で堅実な米国人を演じる、ハリス陣営の副大統領候補ウォルズ氏は、ルター派キリスト教徒と報じられている。

(2024.9.20)
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