【コラム】神社の源流を訪ねて(49)
素盞嗚尊と対馬
◆素盞嗚尊(すさのおのみこと)の足跡
白木神社の祭神は素戔嗚尊である。対馬にはこの島特有の天道信仰の神社とともに、彦火火出見命、豊玉姫、神功皇后に関する伝承、また素戔嗚尊と一族が関係する神社も少なくない。多彩な神社が多いということは、交流に果たした海の役割が大きかったということになるだろう。天日槍や都怒我阿羅斯等に関する伝承はあまり聞かれないが、これはそれぞれの神が通ってきた道が異なっているからであろう。
厳原港から東岸の山腹の木々の中に、白い鳥居が見える。白木神社の石の鳥居で藪になった中を近くまでに行ってみたが社殿はなかった。通りがかり人に聞くと、ずいぶん前に近くの白木村にある白木山の麓に移ったという。その詳しい理由は分からないが、人々の生活の拠点が変わったらしい。生活環境の変化から変わっていくこともある。
祭神は白木大明神である。白木大明神とは素戔嗚尊のことで、かつてこの周辺には新羅人の集落があったといわれるから、その人々が信仰していたと思われる。ただしその後、祭神は対馬の国主になった宗義純に代わる。祭神が変わるケースはこれまでにもいくつか見てきた。一字の苗字には大陸系の人が多いとされるが、宗氏と新羅との関係は不明だった。
対馬は九州より朝鮮半島に近く海を隔てているとはいえ国境の町なので、半島と大和政権の関係が緊張したりすると、白木(新羅)色などが薄められ、祭神が変えられたりすることがある。新羅は白木、新羅、城木というようにも書かれたが、これは祭神を残すためのカモフラージュだったのかもしれない。
神社を見る場合、今の祭神ばかりに気を取られていると、本来の祭神を見間違ってしまうことがある。神社も中央の有名な祭神を勧請して中央との関係を作ろうとしたり、また中央から押し付けられることもあるからだ。
対馬の東北側には素戔嗚尊がここから朝鮮半島に渡ったという伝承の地がいくつかある。対馬の最北端にある嶋頭神社(那祖師神社に合祀)は、素戔嗚尊が韓地・ソシモリに渡るときの行宮の跡とされる。那祖師神社によると、素戔嗚尊は三韓経営のために対馬と朝鮮半島を往復したとされ、ここにも朝鮮半島に渡った素盞嗚尊と五十猛命は、木の種を持ってきて各地に配って回ったという伝承がある。焼き物や鉄を作るには木材が大量に必要になる。だから素戔嗚尊は製鉄などと関係があるという見方もある。
対馬には距離的に近い出雲系の神社も多い。神無月に関わる神迎えの儀式として、出雲との間を、毎年、神が往復する儀式も伝承されている。神社のこうした関係から、他の地域よりも早い時期に出雲の勢力が対馬に入っていたとされる。ただし占いや亀朴は大陸から伝わってきていることを考えると、その逆の流れもあったと思われる。
神社明細帳には、素戔嗚尊は帰朝して嶋頭神社の「比山に八十木種を植え玉ふより繁茂し、人の入ることを深く禁ずる」とされたとある。今も禁足地になって人の立ち入りを禁じる区域になっている。上対馬町豊字難ケ浦にある若宮神社の祭神は、五十猛命で素盞男命の子供とされる。「五十猛命が韓地に渡らせ給ふ時、此の地は行宮の古跡なり。後其の霊を祀り若宮神社と称す」と、ある。素戔嗚尊と五十猛命の神社ばかりか、足跡の地や伝承まで残っていて、神話に登場する素戔嗚尊は実在していたかのように思えてくる。
以上
(2022.12.20)
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