【コラム】神社の源流を訪ねて(77)
聖林と始祖降臨神話
◆鶏林は朴昔金3氏の始祖林
栗原 猛
これまで神社の成り立ちに関心をもって、沖縄の御嶽や朝鮮半島の堂(たん)を訪ねてきたが、日本のどの村にもある鎮守の森に似ていることだった。上田正昭氏は「日本の朝鮮文化」の中で「新羅には神の森、聖林があったように思われる。社殿など人工のものは神は嫌うと信じられてきた。社殿をたてて火災などの災難になる話がある。そういう発想は渡来人が日本人に伝えたとも考えられる」といっている。
鎮守の森は村の一角にあって、そこだけ古木が鬱蒼としていて、社殿前の小さな広場で村祭りや盆踊りがあると、夜店が出て楽しかった。
聖林は朝鮮半島から来た渡来人では、特に新羅、加羅系の人々の存在が大きいと感じた。それではそれらの人々の神話の地はどうなっているのか、今につながる痕跡は見られるのか。朝鮮半島の降臨神話の地をもう一度訪ねてみなければ、ということになった。
古都、慶州は遺跡や古墳が一か所に大きくまとまっていて、同じ古都でも京都や奈良と雰囲気が異なる。古墳や遺跡が集中している大陵苑遺跡の周辺は、ひっきりなしに観光バスが行き来している。バスを降りた団体客にうっかり、日本のどこからですかと聞いたら、国内の団体ツアーですと言われた。
慶州市は人口26万人。神話の主舞台の鶏林は、新羅時代からの聖林で、始林と呼ばれ後に鶏林となり、鶏林は新羅の国名にもなったことがある。2000年11月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
新羅の王位は、朴赫居世を始祖とする朴氏、昔脱解(そく・たるへ)を始祖とする昔氏、金閼智(きむ・あるち)を始祖とする3氏が順についた。済州島の始祖が(「良、高、夫」の三つの姓から出ているのと似ている。
慶州駅から鶏林を目指して、前方に見えるこんもりしたいくつかの円墳を見比べながら、20分ぐらい歩いていたら、いつの間にか月城や鶏林のある大陵苑遺跡の中に入っていた。7世紀中ごろに作られたと言われる10㍍ぐらい高さの石造りの瞻星台のわきを通ると、慶州金氏の始祖の金閼智が誕生した伝説の聖林である。
欅、槐樹などの古木が多いが、新羅人は松が好きでかつては、松の木ばかりだったという。一定の期間が経つと植生が変化するらしい。下草がきれいに刈り取られ林に風格が感じられる。降臨の地というのでちょっと緊張していたが、林の中央部に簡単な柵と1803年に作られた「降臨の地」と刻んだ石碑があるだけなので、いささか拍子抜けした。
散歩しているらしい地元の人に「ここに天から降りてきたのですか」と尋ねると、「神話、神話ですよ」と笑って手を振った。周辺に祭祀施設などは見当たらない。
林の中を表示に従って進むと、欅の古木の下に小さな石の祭壇が置かれている。花を生けてあるわけではなく、堂かもしれないが確認できない。
しばらく周囲を歩き回ったが祭祀施設らしいものは特に見当たらなかった。史跡になっているので、一族による祭祀は別のところで行われるのかもしれなかった。
13世紀に僧一然が書いた「三国遺事」の誕生神話によると、60年(脱解王4年)8月4日、瓠公(ここう)がこの辺を歩いていると辺りが明るくなり、天から紫の雲が下りてきた。白い鶏が鳴くので上を見ると、枝に黄金の箱がかかっていた。脱解王が行って箱を開けると、なかから立派な男の子が出てきた。
金色の箱から生まれたので「金」とし、名を「閼智」としたとある。どこか竹取物語に似たものを感じるが、慶州金氏の始祖、金閼智となる。
金氏出身では金閼智の7世孫の味鄒(みすう、262-284年)が、初めて第13代新羅王となり、この後王位は、朴・昔・金の三姓から出ている。
済州島の三姓神話もそうだが、朝鮮半島の神話には、卵生神話が多い。卵生神話はシベリア系に多いと言われる。人々が天に向かって、自分たちを治めてくれる人を祈ると、天から卵が降りてきて、立派な王子が生まれるという筋立てだ。一方、神社の祭祀には、鶏の声や卵が大事な役割をしている。伊勢神宮などの祭祀でも、鶏の卵や鳴き声が祭礼には欠かせない。また日本の古墳から卵が出たりするが、両国の祭祀には根本のところで通じ合うものがあるように思われる。
以上
(2025.4.20)
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