【コラム】神社の源流を訪ねて(60)

聖樹信仰

~韓国に神社の源を訪ねる~
栗原 猛

◆古木は神の依り代「木は笑い泣く 」

 神社を訪ねていて気になっていたことは、朝鮮半島からの渡来人、特に新羅系の人々との関係を抜きに、神社は考えられないのではないかということだった。   

 この先、海を渡ってきた人々の故地、朝鮮半島に古代日本人の神社信仰の源があるかもしれない、またどういう場所でどのように神を祀っているのかなど、これはぜひ知りたいという思いに駆られた。                       

 韓国の大学に留学経験のある旧友に話したら、それじゃまた行ってみるかということになり、心強い相棒ができた。ソウルの大学に留学していたころの宿舎を拠点に、回ることになった。以来、年に1回は訪ねているので10回以上訪れたことになる。 

 ソウル駅から釜山行きの列車に乗ると、すぐ山間に入る。初めて見た半島の森は、木々が若々しいことだった。日本の森といえば、樹木は黒々して下草も鬱蒼と茂っているが韓国の森の木は、まだ大きく成長していない感じで、森が遠くまで見えて明るい。
 高速バスで移動していると、山の八合目あたりに、鉢巻をするように石垣が山を囲んでいるのが目につく。これは韓国の山城で、二つの山を石垣が囲み、敵が攻めてくるとこの中に入って籠城する。石垣の中に食糧や武器の倉庫などがあり畑も作って、ゲリラ戦に持ち込むわけである。石垣が二つの山を囲むのは、二つの山の間には必ず、水が確保できるからだという。石垣は日本の城よりも急こう配なのが特徴だ。 

 実はこの山城は日本にも作られた。663年、新羅・唐の連合軍に攻められた百済救援のために、天智天皇は救援部隊を白村江に派遣した。しかし、大敗して多くの百済難民を連れて引き挙げた。
 今度は新羅・唐の連合軍が、攻めてくるのではないかということになり、百済から亡命してきた将軍たちの指導で、博多周辺から奈良にかけてこの山城が作られた。山の中に転々と発見された石垣は神籠石かとされていたが、後に山城の石垣だったと確認された。このうち太宰府の四王寺山(標高410m)の大野城は朝鮮式山城として最大の規模とされる。結局、唐も新羅も攻めてくることはなかったが、30か所以上の山城が作られている。朝廷は、相当な危機感を抱いていたことがうかがえる。高速道路を走っていると、山の南側の見晴らしのいい平坦な場所に、土がこんもりしてお椀を伏せたような小山を見かけるが、これは韓国の円墳、つまりお墓である。     

 鉄や陶磁器づくりには膨大な樹木が必要である。それに韓国ではオンドルにも木材が使われる。しかも湿潤な日本の気候と違って韓国は大陸的気候で雨が少なく、若木が育ちにくいといわれる。
 古木は韓国でも神聖視され、「神が宿る」といわれる。樹木と神事と鉄と陶器とは、切り離せない関係にあった。                       

 韓国からの留学生が、故郷では「木には魂がある」など、樹木を擬人化した言い伝えがあり、「木は笑う」とか「泣く」といわれたりしますよと教えてくれた。例えば、1910年8月の日韓併合、1950年6月の朝鮮戦争勃発の日には、忠清北道槐山郡にある1000年を超える欅が泣いたという。また1945年の独立記念日には、全羅南道康津郡の700年の欅は、笑ったという話がありますよと、言うことだった。
 「森と韓国文化」の著者である金瑛宇氏は「韓国人は概して、樹木という個体としての木に多くの関心を持っているのではなかろうか?それゆえ、古い巨木や天然記念物に指定された木を保護するには熱心であるのに、苦労して緑化させた韓国の森林を上手に育てることには為政者や国民が吝嗇(りんしょく)なのではなかろうか?」と、言っている。                              

 金氏は、特定の樹木だけを大事にするのではなく、森林をまとめて大事にする思想も大事だということを言っているようだ。                   

 ◆以上

(2023.11.20)
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