【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

自分ファーストのトランプが開けたエルサレムという「パンドラの箱」

荒木 重雄


 米トランプ政権の誕生以来、世界は険悪さを増しているが、とりわけ緊張を孕んだまま今年に持ち越されているのが北朝鮮問題と中東問題である。なかでも昨年末に突如、エルサレムを「イスラエルの首都」と正式に承認し、米国大使館のエルサレム移転を指示したトランプ大統領の宣言は、中東問題を一気にホットな次元に引き上げた。

 トランプ氏の決定は、アラブやイスラム側の反発は当然のこととして、盟友であるはずの英仏独の首脳はじめ国連事務総長やローマ法王からまで、即座に、不同意と批判の言葉を浴びせられた。トルコの副首相が投げつけた、トランプの決定は「歴史と真実を尊重しないばかりか、不正義で犯罪的で短絡的で愚かで狂っている。地域と世界を終わりのない争いに巻き込むつもりか」という言葉が、意外に国際社会の本音を表しているようだ。だが、「米国の国益、イスラエルとパレスチナの和平に最善の判断」と胸を張るトランプ氏。この宣言の波紋はさらに幾重にも広がることになろう。ではなにが歴史や事実にもとり、不正義で犯罪的なのか。今後の展開をみるうえで基本のキとなる要点を三つほどあげておこう。

◆◆ そもそもパレスチナ問題とは 

 第一次大戦中、英国は当時の敵国で、解体を目論んだオスマン帝国内にあったパレスチナの地に、将来、ユダヤ人の郷土建設を認める約束(「バルフォア宣言」)を勝手にして、ユダヤ系財閥から戦費を調達した。その約束を盾に以後、第二次大戦を通じて欧州からユダヤ人の入植が進み、従来居住していたパレスチナ人(アラブ人)と軋轢が生じると、処理に窮した英国は問題を国連に丸投げし、国連は米国の主導でこの地をユダヤ国家、アラブ国家、国連管理地区に三分割する案を採択した。

 しかしそれはパレスチナ人には晴天の霹靂である。パレスチナ人側は、ユダヤ人・パレスチナ人が民主的に共同経営する国家を提案するが、それでは少数派になるユダヤ人側はこの提案を拒否して、1948年、突如、イスラエルの独立を宣言し、パレスチナ人の住む町や村を破壊して占領し、大量のパレスチナ人が放逐されて難民となった。これがパレスチナ問題のはじまりである。

 これを認めぬ周辺アラブ諸国はイスラエルと三度、戦火を交えるが、米欧の兵器や資金の支援を受けたイスラエル側が圧倒的に強く、67年の第三次中東戦争でさらに占領地を拡大。
 93年のオスロ協定でヨルダン川西岸とガザに暫定的なパレスチナ人の自治が認められるが、イスラエルは自治区内にユダヤ人の入植を押し進め、さらに分離壁を巡らして自治区を「天井のない巨大な牢獄」に化している。抗議行動やゲリラ活動には過酷な弾圧が加えられる。

◆◆ エルサレムがもつ特異な位置

 約1キロ四方の地域にユダヤ教(古代ユダヤ王国の神殿の一部とされる「嘆きの壁」)、キリスト教(キリストの墓とされる場所に建てられた「聖墳墓教会」)、イスラム教(ムハンマドが昇天して神の言葉を聞いたとされる「岩のドーム」)の聖地がある旧市街を含むエルサレムは、その宗教上のデリケートさから、47年の国連による分割案では国連管理地域とされた。だが、翌年の建国に向けての戦争でイスラエルはエルサレムの西側大半を占領。しかし旧市街を含む東側はヨルダンに残されて、パレスチナ人はここを将来のパレスチナ国家の首都にとの悲願を込めた。
 ところが、67年の第三次中東戦争でイスラエルは東エルサレムも占領し、エルサレム全域をイスラエルの「永遠かつ不可分の首都」と宣言した。

 しかし国際社会はこれを追認したわけではない。エルサレムの地位は和平交渉で決めるべきとするのが米国を含む国際社会の合意となり、80年の国連安保理決議476号では、イスラエルが67年以降にアラブ側の領土を占領したり入植地を建設した行為すべてを無効として、速やかに徹退することを求め、続く478号ではエルサレムを首都と定めたイスラエル基本法を無効として、エルサレムに各国が外交機関を置かないことを求めている。このたびのトランプ大統領のエルサレムをイスラエルの首都と認め、米大使館をエルサレムに移転する決定は、明らかに、これらの国連決議に違反し、国際社会の総意に背くものである。

 この点に関しての国際社会の意志は固く、トランプ氏の宣言から日を置かずして国連総会は米決定の撤回要求を提議し、トランプ氏の賛成国には援助打ち切りの脅しにもかかわらず、決議は採択された。

◆◆ 国内事情がもたらす国際関係

 それにしてもトランプ氏は何故、米国がこれまで保持してきた中東和平のイニシアチブを失い、外交力を損なうことが明白な行為に出たのか。彼は、何が支持者に受けるかが行動原理といわれる。就任以来、トランプ政権は選挙公約の達成に次々失敗している。メキシコ国境の壁の建設も、医療保険制度改革(オバマケア)の撤廃も進んでいない。そこで、大統領の一存で実現できるエルサレム問題で、国内の支持者、とりわけユダヤ系団体やキリスト教保守派へのアピールを狙ったのである。アラバマ州で行われた上院議員選挙での支持狙いがそのタイミングを決めたといわれる。

 国際的行動がじつは国内事情から。これは、パレスチナの現地でもつねに見られることだ。たとえば、2008年と12年にイスラエルはガザに大規模な軍事攻撃を加え多数の市民を殺傷したが、それらはともに総選挙を控えた政権与党の人気取りからであった。
 これはまた逆にもいえることで、現在、エルサレム問題で米国に強硬姿勢をとるアラブ諸国の指導者も必ずしも反米とはかぎらない。国内のイスラム民衆の感情に応えるためのジェスチャーだけの強硬姿勢も少なくない。

 それはともかく、宣言を歓迎する立場のイスラエルの国家安全保障研究所の上級調査員からさえ、次のような警告が発せられている。「米国の新方針で和平交渉の再開は遠のき、アラブ諸国との関係正常化も難しくなった。米国が実際に大使館移転に踏み切れば、自治区で対イスラエル民衆蜂起が起きるだろう」。

 領域支配の拠点を失ったIS(「イスラム国」)戦闘員の動向ともからめて、トランプ氏の宣言が過激派に米国および米国追従国の国民を標的にする口実を与えたことを危惧する声も多いが、ともかく、「自分ファースト」のトランプ大統領によってエルサレムという「パンドラの箱」が開けられてしまったのである。

[註]参考までにここで数字を少々。1947年の国連によるパレスチナ三分割案(国連決議181号)では、人口では3分の1のユダヤ国家に56.5%、アラブ国家に43.5%の面積を配分。これじたい不平等だが、翌48年の独立戦争(第一次中東戦争)でイスラエルは約80%を領有。さらに67年の第三次中東戦争で残りの20%も占領。第一次中東戦争でのパレスチナ人難民は70~80万。現在は500万人に及ぶ。

 パレスチナ人が将来の独立国家の首都と主張する東エルサレムには67年以降、組織的にユダヤ人の入植が進められ、現在までの入植者は約21万人に及ぶとされる。現在の東エルサレムの人口は約26万人だから、すでに大多数がユダヤ人に占められていることになる。
 2008年のイスラエル軍ガザ侵攻でのパレスチナ人の死者は1,300人以上、負傷者5,300人余り。2012年のイスラエル軍ガザ空爆でのパレスチナ人の死者は160人超、負傷者1,200人余。いずれも殆どが女性や子どもを含む市民であった。
 これらの数字からもパレスチナ人が被っている事態の理不尽さが想像されよう。

 (元桜美林大学教授)

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