【視点】
自民党総裁選、立憲民主党代表選を聞く
——欠ける将来像論議と政権への取り組み
羽原 清雅
自由民主党の総裁選挙と野党第1党立憲民主党の代表選挙がほぼ同じ時期に進められている。政治の関心を高めるには、望ましい構図だろう。
自民党は9月27日(金)、立憲民主党は9月23日(月)の投開票で、それぞれのリーダーが決まる。
岸田政権下の政治とカネの問題とその処理、改革が問われ、首相が退陣せざるを得ない結果の反省と新出発の選挙。日本の各方面での、やや硬直し、後退気味の状況をどう切り替えるか。大きな転換期を問われている。ただ、ごく一部の議員、党員による選挙で、民意を引っ張り、あるいは国民の納得を得ることが可能なのか、との疑問は消えない。
7日の自由民主党総裁(→首相)選挙、14日の立憲民主党代表選挙の各討論会を日本記者クラブの現場で聞き、また両党候補者の記者会見をテレビで見て、その雑感を報告したい。
政治とカネの問題に端を発し、当事者の自民党幹部も所属国会議員らも、国民に納得のいかない対応を続けており、今秋か1年後に迫る衆院選にとどめず、来年7月に想定される参院選までを通じて、その改革への取り組みと打ち出す姿勢と方向を良く見定めることが必要だろう。
36年前のリクルート事件後に展開された政治改革の取り組みに比べると、現状の反省や改革の成果は段違いに鈍く、レベル低く、今後の日本の政治はさらに歪みかねなくなっている。旧統一教会と多数の自民党中央から地方にまで広がった「癒着」の問題も、なんとなく話題から遠のいていったが、こうした好ましくない問題が消えては次の問題を引き起こす。17日の朝日新聞に、生前の安倍首相、萩生田光一らと同教会長らが自民党本部で会った写真(2013年6月、参院選4日前)が報道されたが、改めてこの問題もうやむやに終わったことを思い起こさせた。裏金問題もまた責任ある処理がなされないままに中途半端に終わっていくのかと思わざるを得ない。
政党が確かに悪い。だが、その政党を権力の座にかつぎ続け、許容してきたのはだれか。天に唾するのはだれか。
今後、2回の国政選挙を間近に迎えるにあたり、そのことを考え続けたい。
<自民党>
出馬 自民党の候補者に12人が名乗り上げ、推薦人20人が集まらない3人が脱落、9人になった。20人を集めることは派閥解消下では難しかったが、それでも岸田、茂木両派で2人ずつ(林芳正・上川陽子、茂木敏充・加藤勝信)が立ち、また初出馬も6人と多く、派閥解散の影響を見せた。ただ、背後に各派閥が影響力を発揮していたことも事実。派閥というものは、いつの時代もなくならないのだ。
推薦人を見る。裏金議員や問題発言議員などを推薦人とした感覚がおかしいのだが、実際にはかなりの数が登場した。高市早苗には14人が安倍派で、裏金の収支報告書不記載による役職停止処分1年の三ッ林裕巳、同じく半年の杉田水脈、戒告の4人、未処分など。ついで、加藤勝信は同じく不記載での戒告1を含む4人。茂木は2人、小泉進次郎と上川は各1人。
裏金問題 この各候補者とも、この問題は「決着済み」とする。「捜査当局の判断は重い」ので従う(上川)、「第3者が入り、党紀委も判断した」(林)、「ルールに基づいた決定を重視」(加藤)、「処分は覆せぬ」(小林鷹之、高市、小泉)という程度。有権者の怒りよりも、党の決定の陰に隠れた形。参院選に向けて今後の追及がカギ。
「国民が納得していないなら公認権者の(新)総裁も説明責任を果たすべき」(石破茂)、「多くの議員が長くルールを守れなかったのは忸怩たる思い」(河野太郎)と、選挙での公認の再考を求めるようにも聞こえるが、これはなお微妙だ。総裁選の国会議員票の行方に関わるためだ。小泉は「(裏金議員は)選挙で信任を受けるまで要職に起用しない」というのは「衆院選に当選したら起用する」ということで、「みそぎを受ける」だけで終わっていいものか。
政策活動費廃止か 微妙で奇妙なのは幹事長茂木敏充が「政治活動費の廃止」を打ち出したこと。幹事長として年約10億円を受け取って同党議員に寄付してきた人物が、今なぜ?という疑問だ。この問題は、政治とカネの不透明度を図る指標でもある。
では、そのカネを今後どうするのか、突然言い出したその事情は、など解らないまま。単なる「選挙用に言ってみただけ」なのか。彼は党のカネの寄付を受け、政治資金団体に流したうえ、さらに資金の出し入れのゆるい後援会などに寄付して、政治資金収支報告書への記載をしない逃げ道に走っている。
先の国会での政治資金規正法改正での政治活動費の継続、10年後の公開など手ぬるい決定を支持する岸田首相に歯向かうかの茂木発言。だが、小泉、小林あたりは政治活動費の廃止に同調する。今後立ち消えになりそうでもあるが、問題は尾を引くだろう。
早期解散か 小泉は声を荒げるように「総裁選は史上最長で、判断材料は示されている」として、総裁選後の臨時国会で首相指名後すぐの衆院解散を主張。これに対して石破は臨時国会で新首相の所信表明を聞き、予算委員会を開いて野党質問を受けてからの解散、を主張して、総裁に最も近い二人の違いを見せた。これがまずはあるべき姿だろう。
若い小泉はスピード感を煽り、ことを急ぎがちで、石破はキャリアの通りに慎重だ。小林、高市らは論議することを主張する。
小泉ジュニアは、とにかく早く人気のあるうちに選挙に持ち込み、圧勝したい。市破は、彼が当選するなら経験の浅さや弱点をさらしたい、そんな計算もあるのだろう。
選択的夫婦別姓への抵抗 1996年に法相の諮問機関である法制審議会がこの制度の導入を認めたものの、旧来の家族観にこだわる自民党保守派が強硬に反対し、いまだに決着しない。経団連もしびれを切らして早期受け入れの方針を打ち出した。小泉は「別姓」を受け入れ、河野や石破たちもこれに近い姿勢だ。上川は個人的には認めつつも、社会の分断を恐れる。
だが、高市、小林らは夫婦同姓維持、旧姓は法律上の姓として認め、旧姓続称制度もありうる、といった主張で対抗する。この問題は、保守派のいわば結束の砦でもある。
労働者の解雇どうなる? 小泉は、経営上の事情で人員削減をする解雇規制を緩和するよう求める。労働者は学び直し(リスキリング)し、また大企業に眠る優秀な人材を成長分野の企業に異動させる、といった構想だが、これには労働界の猛反発がある。小泉は、財界にある<賃上げに協力したのだから、お返しを>といった声に乗ったのだろう。こんなところに、経験の浅い総裁候補の大胆さが出る。河野の大局を見定めずに激しく推進する点で類似しており、権力者としての不安がある。
そこは場数を踏む高市、官僚経験のある小林、加藤らは労働界の事情、これまでの交渉の難しさを知って反対する。上川、林も慎重に構える。小泉と総裁の場を競う石破は牽制するように、「非正規などの削減(解雇)は時代に逆行する」という。
これでいいのか 対中国政策 驚いたのは、知中派を自任する外相経験のある林をはじめ、対中国と直接的な会談や交流を持つ意向は示さず、河野らは周辺の民主主義の国との共同戦略と共に対応する、と述べた。緊張感漂う台中関係を身近にして、中国と積極的に会談を持つような姿勢は聞かれなかった。外相の上川、加藤は拉致などの北朝鮮問題に逃げた。日本の外交は米国一辺倒、基地を置く沖縄などについては不平等の日米地位協定にしてもいわば言いなり。同盟国という関係は、従属ではない。日本にとっては地理的にも、経済的にも、文化的にも隣国中国との関わりをどのように持つか、この点に首相候補にならんとする要人がいい加減な避け方でいいのか。この点は最も意外だった。要人たちが一向に中国に行こうとしない姿勢はこうした感覚によるものか、と妙な合点がいった。
首相候補は? 政治課題は多岐にわたって語られたが、この辺にとどめよう。
下馬評では、9人もの候補者では一発勝負の決着はなく、国会議員票、地方党員・党友票各367票で過半数が取れなければ、決選投票は国会議員票と都道府県各1票の計47票(都道府県の得票1位が獲得)で決まる。
世論調査では、5回目の立候補の石破と、初出馬・最若手の小泉による決選になるとの報道が多い。経験豊富ながら国会での少数派とされる頑固な石破か、弁舌と外貌が売りで、意表を突いてきた父首相を継ぐ4代目小泉か。問題は政治の方向をどこに向けるか、である。
<立憲民主党>
出馬 こちらの候補者は4人。現職代表の泉健太、元首相野田佳彦、前代表の枝野幸男、それに当選一回の吉田晴美の4人で競う。立候補寸前の江田憲司は吉田擁立へ、重徳和彦、小川淳也は野田出馬で降り、前回代表選に出た西村ちなみは固辞、馬淵澄夫、江田は泉との一本化成らず断念。推薦人20人の確保はかなり厳しく、結局4人の競合になった。
党内事情 自民党内とは違う事情だが、立憲民主党と希望の党が分裂した際の民進党系、野田ら松下政経塾出身グループ、近藤昭一ら旧総評系のリベラル系、泉ら国民民主党に近い勢力、田中角栄に惹かれる馬淵らのグループ、重徳ら他党出身の集合体、社民党系グループ、小沢一郎のグループなど、自民党派閥とは異なるが、イデオロギーや政策で共通するなどの派閥的な動きもある。ただ、結束は緩やかで、複数の会への参加が許されている。
緩やかな組織で、その数も多く、政策の一致などの難しさもある。立憲党内でも、従来の左派系リベラルもあれば、国民民主党に近い議員、連合色の強い労組系議員もおり、さらに小沢系や田中角栄に関心を寄せる者など、党内をまとめる苦労も付きまとう。
統率に限界 党代表選挙に出た4人がそれぞれに発言し、幅の広さを示せるが、政党として将来の社会をこうしたい、自民党時代とは異なる未来をこう作る、などの発言がもっとあるべきだろう。
せめて、対する自民党の政治、夫婦別姓、対米、対中などについての基本的な一致点をまず示し、そのあとそれぞれの違いを述べた方がわかりやすいだろう。というのは、自民党の総裁候補の9人はかなりバラバラのことを語るが、自民党は政権維持のためにいざとなれば結束する習性が身についているので、思い思いの発言ができる。一時の野党時代の無念の経験が結束を誘うのだが、立憲民主党にはそれがない。
党内事情をみても、よく言えば多彩、悪くいうならまとまりがない。要は、党結集の習わしがなく、出身も多様、旧所属政党などの名残が消えない。しかも、お互いに譲り合いはあるが、本音の一致点を探る空気ではない。激烈な論議があっての統一性ができず、憎みつつの分裂になる。再結集や共闘ができにくい一因でもある。
まずは党内調整を 4候補者の話を聞いた。それぞれの主張はわかった。だが、有権者はなにを選んだものか、判断のつかない説明もあった。ひとつの政党として、それぞれが言いたいことを言う。だが、国民有権者は個々の政策がこうも違うと、だれが望ましいか、の判断を下す前に、この党のどこを選べばいいか、に迷い、<結果的にこの党じゃだめだ、まとまった政党にはなるまい、まとまらなければ政権など無理だ>ということになりかねない。政党としての統一性を示しつつ、論議の分かれる問題は何で、何のどこがまとまらない、と整理した物言いがなければ、政党の支持は決められまい。この党代表選びはみんなが選ぶ仕組みではなく、党員が決めるものだが、ばらばらの考え方の競合だけでは、国政選挙でも選びようがない。
たとえば、である。「原子力エネルギーに依存しない原発ゼロ社会」を綱領にうたう。吉田晴美だけが条件なしにこれを認める。泉健太は「新しい電源ができないと、いきなり止める選択はない」、野田佳彦は綱領を認めつつも、プロセスとして「まず依存しない社会を作る」、枝野幸男は綱領を認めつつ「明日にでもできる」ような誤解を避けつつ蓄電、廃炉や使用済み燃料の処理を急ぐ、という。党としてはまず、当面の課題、そのあとに綱領の目的に進む、という段階的な党議決定を示した方がいい。他党の政権を引き継ぐ以上、やむを得ないことはわかるが、あえて誤解を誘う宣伝を避けるためにも、こうした段階的な主張はもっと明示的であるべきなのだ。
国会議員への月100万円交付の「調査研究広報滞在費」については、いかにも手放すまいとの姿勢がのぞくが、他党依存の構えではなく、もっと各党との違い、交渉の経緯などをもっとはっきり示すべきだろう。政党とカネに絡む使途不明金問題、監査の強化、情報公開、公文書管理、あるいは世襲議員問題などは党共通の姿勢として示し、各候補まちまちの問題意識で済ませるべきではない。
消費税率の問題でいえば、税率引き下げを元に戻す大変さから継続せざるを得ない、という立場であれば、代替の手立てとして食料品の非課税化、給付付き税額控除などを統一的にアピールすべきだろう。野田首相時代の税率の段階的引き上げ策、枝野代表時代の時限的減税の公約などの失敗を避けるためにも、早めの党内協議を進めておくべきだという教訓が生かされていない。中途半端な発言が政権への遠さを感じさせるのだ。
野田は、自民政権引継ぎを意識するため、集団的自衛権を認める安保法制の中断や見直しはできないと判断、前政権の措置に接近できるよう容認の姿勢を見せる。枝野は、安倍政権による集団的自衛権の行使を違憲状態だとして、この是正を重んじる。政権に接近することは、前政権の施策をそっくり引き継ぐことではなく、それまでの政治を是正し、より納得のいく方向に切り替えるための政権交代であるから、そこは慎重であるべきだ。といって、そのまま引き継ぐなら、政権交代の意義はない。そのための事前の発言は慎重と同時に、党内のコンセンサス作りにエネルギーを投じておかなければならない。そうした内々の検討は早めにしておくべきで、軽々な私的発言は避けるべきだろう。
この党には、まだそのような事前の対応策の構築ができてはいないことが多い。そこに、現野党の政権への道を遠ざけてもいる。
「政権」を言い続けられるのか 立憲民主党の幹部らは皆「政権」を口にする。だが、準備なくして、「政権」確立の旗を立てる資格はないはずだ。衆院選の近づく昨今、この野党は過半数の候補者すら立てられず、野党共闘の目鼻も付いていない。むしろ遠のいてさえいる。
4人の候補者がにこやかに自民党批判を重ねるのはいい。だが、選挙の結果、万一にしろ政権が転がってきた時にどうするのか。さらに国民有権者を奈落の底に落とし込むのか。
政権をさばく態勢を整えてきたのか。外交も内政も自民党のはしゃぐが如くの軍事強化、規律を忘れたかの財政運営、物価高の世相を貧者の生活から見ずに投資を呼びかける偏向政治、会話なき対中国外交、追随ばかりが強まり、沖縄などの声も聴かず、米国にもの申せない同盟関係、などなどの山積する課題をどのように切り替えるのだろうか。
そのような対応策の蓄積はあったのか。それを聞きたい。
野党各党はどのようなブレーンを擁し、どんな面々が政治課題について、どんな頻度でどのような論議を重ねてきたのか。あるいは、政党内の政調会的機能や人員はどんなか、政治課題の検討と対応策などはどう進められるのか。報道機関が報道しない限り、その内情や努力は見えてこない。報道の怠慢、ならまだましなのだが。
SNSなどの広報的活動もいいが、議員が地域の有権者に直接語りかける場やその機会は十分なのか。党首候補たちは、いかにも明るい展望を持っているかを誇らしげに語るが、むしろ有権者たちの厳しい生活実態を前に、具体的に何をどうする、このネックが厳しいが、このように打開する、といった直接の語りかけが必要ではないか。
岸田首相は就任時、いろいろ直接聞いてメモノートに書きこむ、皆さんの声に十分耳を傾けている、と威張った。だが、結果的には聞いたとしても、その努力が見えないどころか、逆の道をたどり、如何に逆らうかの方策を練るために耳を傾けてきた、ようにも思えてくる。
政権を握ることは容易ではない。態勢を示し、不断の努力と蓄積なくして政権担当はあり得ない。気安く「政権」を言う前に、なぜ敵失以外に、世論調査の支持率が上向かないかを考えることから始めるべきだ。
古い話をすれば 筆者(羽原)が社会党を担当していた頃、向坂逸郎の社会主義協会の若い層が次第に台頭、時の成田・石橋の執行部は、彼らが党活動に慣れ、いずれは地方議員やオルグとして成長する期待とともに、彼らの第一線での行動力のもとに社会新報の発行回数、部数増、党収入増強を図り、日常の地域活動の強化を進めて、労組による党支配の空気を一掃していきたい、との将来展望を描いていた。だが、若い層はイデオロギー的に走り、また「数」の力で先輩党員、議員らを排除するかの急激な傾向を示したことから、左派勢力の佐々木派が右寄りになるなど、先陣党員、議員たちの猛反撃となり、激しい対立に向かった。若い層は活力はあるが、先陣たちの経験、社会浸透への長い歴史などの苦難の道を評価しない。一方、旧来の勢力もマンネリ化し、派閥抗争も絶えず、地方での活動に力を入れず、国会活動に傾くなど、批判のタネも少なくなかった。そうした対立は結果的に社会党から社民党、そして国会から消えていく寸前までに落ち込んでいった。
その時代は去り、中選挙区制のころには自社2大政党の形だったものが、2大政党を目指したはずの小選挙区制度になると、逆に多数の政党が誕生し、当初目指した政権交代可能の2大政党化という狙いは消えた。イデオロギー的要素が収まるとともに、政治が目指すはずの将来社会の構図さえ十分には語られなくなり、先行きが見えなくなった。
このような政治責任は、自民党ばかりではなく、野党にも問われよう。野党第1党は、現政権の非を正すべく、監視の目を光らせておくとともに、政権に取って代わりうる日常的な力量を育てない限り、夢は夢に終わるだろう。そして、被害者は国民有権者だという基本を常にわきまえておく必要がある。野党の責任は重い。
(9月17日現在/元朝日新政治部長)
(2024.9.20)
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