【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

自由を求める女性パワーが中東の社会を変える

荒木 重雄


 暑さの盛り。今月は少し襟元を緩めた話題でいこう。
 厳格なイスラムを国教とし、女性の権利が制限されている中東諸国で、自由を求める女性パワーが国の形を変えようとしている!

◆◇ 男装女性がスタジアムに潜入

 2017年12月のある日のイラン。会計士ザフラ・ホシュナバズさん(26)は、化粧で眉を濃く塗り、つけ髭を貼り、胸の膨らみは布を巻いて隠し、4時間かけて男性に扮した。向かった先は、テヘランのサッカースタジアム。ひいきにする地元の強豪プロチーム「ペルセポリス」の奮戦見たさからである。
 緊張しながら検問をくぐり抜け、観客席への暗い廊下を通って、ピッチの照明が見え、サポーターの声援が聞こえたとき、ホシュナバズさんの目に涙が溢れた。そして、「人生で革命が起きた瞬間だ」と感じたという。

 イスラム法学者が統治するイランでは、女性は公共の場では身体の線を隠す服装をし、ヒジャブ(頭を覆う布)で髪を隠さなければならないほか、既婚なら夫の許可なく海外渡航ができないなど、さまざまな制約があるが、男性スポーツの観戦禁止もそれらの制約のひとつである。
 スタジアムなどへの入場禁止は女性を痴漢や暴力から守るためと表向きにはされるが、保守派を代表する司法府の検事総長は「半裸の男性サッカー選手を女性が見るなど宗教的罪だ」とまで言明している。
 こうしたなかでホシュナバズさんがあえてタブーに挑もうと決断したきっかけは、試合の数日前にテヘラン近郊を襲った地震だった。激しい横揺れに死を覚悟したのち考えた。「ペルセポリスの試合を見ずに死んだら後悔する」。

 この男装写真がネットに出ると、ネット上に好意的な意見が溢れた。以降、多くの女性が男装してスタジアムをめざしはじめた。検問で見破られた女性も扮装を工夫しては二度、三度とチャレンジした。
 圧力に押されて政府も規制緩和に動き出した。半年後の、18年6月のワールドカップ・イラン代表戦では、女性にもスタジアムでのパブリックビューイングが開放され、同年11月のアジア・チャンピオンズリーグ決勝のペルセポリス対鹿島アントラーズ戦では、チーム関係者の女性ら約5百人がフェンスで区切られたエリアで観戦できた。

 全面解禁への世論は高まっているがまだゴールは遠い。だが、果敢な男装女子に触発されて、逮捕を覚悟で、広場や街頭の衆目が集まる中でヒジャブを脱ぐパフォーマンスを行なったり、その画像をネットに投稿する女性の運動が広がっている。

◆◇ 勇気がもたらした女性の運転解禁

 女性のスポーツ観戦を一足早く18年1月に解禁したサウジアラビアでは、同年6月に女性の自動車運転を解禁した。これにも、女性たちの長い闘いがある。

 解禁を遡ること28年前の1990年8月。女性の職業訓練をする会社を経営していたアイシャ・マネアさんは途方に暮れた。湾岸戦争に至る不穏な情勢の中でフィリピンなどから出稼ぎにきていた運転手たちが一斉に帰国。女性従業員の通勤手段の確保が難しくなっていた。そんなある日、車の後部座席に座って移動中、駐留米軍の女性兵士がトラックを運転する姿を見た。「なぜ私の国で、彼女たちだけ運転が許されるのだろう」。とっさに自分の車の運転手に告げた。「止めて。私が運転する」。米国留学中に運転のしかたは習っていた。

 噂は広がり、女性の権利拡大をめざすグループと活動をはじめた。企画したのが自動車によるデモだった。90年11月、47人の女性が乗り合わせた14台の車が、白昼堂々と首都リヤドの幹線道路を走った。
 「女性の運転を禁じる明文法はない。7世紀に生まれたイスラム教にそんな教えがあるはずもない。女性を縛っているのは男性優位の慣習だけだ。私たちの行動できっと何かが変わるはず」。だが47人を待っていたのは警察による逮捕だった。職場を追われたり、匿名の脅迫を受けたりの圧力は後まで続いた。

 しかし、これに触発された女性たちの声はしだいに高くなった。ネットの普及や経済効果を目論む政府の思惑も働いて女性の社会参加への賛同を増幅させた。そしてついに18年6月24日、女性の運転解禁の日が到来。裕福な女性たち(に限られるが)は、日付が変わるのを待ちかねて、ハンドルを握り歓声を上げて「歴史的な日」を祝ったのであった。
 彼女たちの次の目標は、父や兄、夫など男性の家族の許可を得なければ就学、就業や旅行もできない「男性後見人制度」の撤廃であるという。

◆◇ 銃撃死した娘の遺志を継いで

 一方、もっと痛切な女性パワーの発揚もある。パレスチナのガザ地区では、昨18年3月以降、イスラエルの建国で故郷を奪われたパレスチナ難民の帰還を求め、米国の在イスラエル大使館のエルサレム移転に抗議するデモが、毎週金曜日を中心に続いている。同年6月1日、デモの現場で負傷者の手当てをしていた、医療救援団体のボランティア看護師ラザン・ナジャルさん(当時21)はイスラエル兵に胸を撃たれて亡くなった。
 活動を心配する家族や友人には「白衣と(医療従事者を示す)身分証明書が私を守ってくれる。人道支援から大丈夫」と言っていたのに。

 娘の遺志を継いで救護活動ボランティアに立ち上がったのが母親のサブリーン・ナジャルさん(41)だ。遺品となった救護活動用のベストをまとい、ラザンさんの身分証明書を身につけてデモ現場に通っている。自身は看護師の資格がないため、現場では、医師や看護師らの補助作業を受け持つ。「デモでは白衣を着たラザンの写真を掲げる人もいます。人の命を救ってきたラザンは私の誇りです」。

 昨年3月以降、一連のデモで、イスラエル軍の銃撃などにより約3百人が死亡し、1万5千人以上が負傷している。このうち医療従事者の死傷も少なくない。ナジャルさんは今日もイスラエル軍がまいた催涙ガスに苦しむ少年に、慣れない手つきながら必死になって酸素マスクをつけていることだろう。

 いつの世でも社会を変え動かす力は女性パワーである。

※本稿は朝日新聞の記事を基に構成した。記して深謝する。

 (元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)

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