【コラム】大原雄の『流儀』

舞台は廻る。「デルタ」と「オリンピック」

 ~マスメデイアの伝え方~
大原 雄

新型コロナウイルスのデルタ株が、世界各地で猛威を振るっている。東京オリンピック・パラリンピック開催中の日本でも、開催中にオーバーシュート(感染爆発)したデルタ株の猛威には、翻弄された。特に、東京都を軸とする首都圏では、8月、コロナウイルスは、5回目の暴走を開始し始めた。デルタ株の感染者は、東京都で一日、5,000人を突破した。日本列島全体では、一日で、10,000人を超えた、あるいは、15,000人を超えたなどと、急激な感染拡大には驚かされる。

デルタ株は、2019年末から中国で流行し始めた新型コロナの歴代ウイルスの中でも、最強、最悪のウイルスである。菅政権の政治判断の稚拙さが、新型コロナウイルスの国内への侵入を許し、最悪ウイルスの「活動」を結果的にかなり支えてしまっているように見える。辛うじて、各医師会や感染症の専門家などが、医学界あげて、きちんと検証しながら、政治家たちに向かっても主張すべきは主張し、政治家たちの不手際をカバーしようとしているようだが、世界的にも開発途上で、データが出揃っていないワクチン接種に頼って、試行錯誤しているのが菅政権を構成する政治家メンバーでは、これまでの対応でも精一杯なように見受けられる。人類の叡智も、デルタ株には、まだ優っていない、と思う。まだ、負けているのである。

一方、政治は、医学界に比べようもなく、はるかにひどい状態にある。日本の菅首相に至っては、もはや、具体的な内実を欠く抽象的な同じ文言を念仏のように繰り返すだけで、残念ながら、私のような素人の目には、効果があるとは思えないことばかりしている。また、その表現方法も稚拙で、「隔靴掻痒」の感があって、私も、実にもどかしい思いをし続けてきた。
東京オリンピック・パラリンピックの前半戦、オリンピックは、8・8に閉幕した。選手団含めて大会関係者では、これまでに判明しただけでも400人を超える感染者が見つかった。IOCバッハ会長の、開催前の「コロナは持ち込まず」という大見得にも関わらず、「彼らは、コロナウイルスを持ち込んだ」のだ。

さらに、同業OBとしては、恥ずかしながら、以下を認めざるを得ない。
新聞やテレビなどのマスメディアの報道ぶりに至っては、定見がなく、ほとんどが、行政の後追いか、ほかのメディアが報道した情報の後追いのようで、真実味にかける嫌いがあった。それでなくても、例えば、私の出身母体であるNHKの報道ぶりをウオッチングしてみると、報道の編集方針の構造的な問題性が浮き上がってくるように思える。これまで判っただけでも、問題性は、二つあるように思う。一つは、コロナ禍報道。二つ目は、オリンピック報道である。

デルタ株を軸とするコロナ禍後追い報道と政治優先のオリンピック強行開催の無定見な受容報道を両立させてしまったため、二つの異質なニュースが、同時進行する。この結果、コロナ報道は、デルタとオリンピックという二つの異質な世界を、歌舞伎の廻り舞台のように場面を切り替えるだけで、芝居小屋(日本列島)の客観性を持った全体像を伝えきれていない、という構造的な「分裂」を含んだ問題を浮き彫りにした。

テレビの画面には、緊張した表情のアナウンサーが、オーバーシュート(感染者の爆発的増加、あるいは、感染爆発)を予感させる深刻な原稿を読み上げる姿(アナウンサー・バスト=「アナバス」)のサイズが、映し出されていて、コロナ禍のニュースが流れている。定時のニュースの最中に、ニュース速報のチャイム音が流され、アナウンサーの頭上近くの画面で、「○○(種目)で〇〇選手、金メダル獲得」というスーパーが、ダブられる。アナウンサーは、画面の中で、コロナウイルスの原稿を読み続ける。

つまり、コロナ報道で、日々の感染者数や感染者の重症化、入院患者の死亡数、医療現場の供給体制崩壊の実態など、日本列島を覆い尽くす深刻な現況を報道しても、「次のニュースです」で、繋いで、文字通り「鳴り物入り」でオリンピック報道にコーナーが切り替わると、番組中継場面で興奮していたアナウンサーの絶叫の声を生かした動画(録画)を活用しながら映像編集をまとめて、競技の結果を報道する。このため、勝てば勝ったで、お祭り騒ぎの報道ぶりとなり、負ければ負けたで、残念報道となることから、スポーツニュースは、毎日、喧しいばかり。

その結果、ニュース番組の前半で伝えたコロナ禍報道の深刻さは、視聴者の脳内から消し去られ、番組後半で厚めに報道されるオリンピックの勝ち負け報道、自国開催の強みを生かした日本のメダルラッシュ報道、つまり、獲得したメダル数の自慢話の報道が続く結果、コロナ禍の深刻さを忘れて、夜になれば視聴者たちは街へ繰り出す。繁華街では、コロナ蔓延の元である「人の流れ」の増加に身を投じ、デルタ株との接触率を増やしてしまう。感染者は増え続けるばかり。

今回の報道のポイント。

*国家機能逼迫状況、コロナ感染者、重傷者、死亡者の実相を伝える、ドラスティックな(根源的な)コロナ禍報道。
*国家的スポーツイベントとしての、世界を揚げてのお祭り騒ぎを伝える、オリンピック報道。

その結果として、オリンピックが、コロナウイルス、特にデルタ株を撒き散らす。アルファ株、ベータ株、ガンマ株、デルタ株と「進化する」コロナウイルスは、こうして、オリンピック開催の「人流」に影響されて、デルタ株の変異種として、「オリンピック株」ともいうべき、強力な変異株に化けて、コロナウイルスの感染者を嫌が上にも、積み上げて行くことになる。

情報の受け手である私たちも、マイナスのコロナ禍情報とオリンピックメダル情報とが併置されることで、まちまちな方向性を示すベクトルをつけたままの多重な情報は、私の頭脳の中で分裂したまま、放置されることになる。このままでは、いずれは、我々も、「死屍累々」の山に加わらなければならないのか、というようなイメージばかりが分裂し、破片となり、脳内に残ることになる。

「宴のあと」。オリンピックが終わった後、変異したデルタ株コロナは、マスメディアを直撃した。この「宴のあと」の、日本社会の落ち着きのなさは、今後、どこまで続くのか。

★過去「最多」と過去「最高」

2021年8月5日午後。東京都の一日の新たなコロナウイルス感染者数が、とうとう5,000人を超えた、というスーパーインポーズ(速報)が、テレビ画面の上部に流れた。街中の電光ニュースでも、速報された。コロナウイルスが、オーバーシュート(感染者の爆発的増加)したことを認めざるを得なくなったのだろう。この日は、5,042人。

7月31日付けの朝日新聞夕刊の記事。本文記事は、以下の通り。

「2020年に日本人の平均寿命が男女共過去最高となったことが、厚生労働省が30日に公表した「簡易生命表」で明らかになった。女性は87.74歳と8年連続、男性も81.64歳で9年連続で過去最高を更新した」(引用は、原文ママ)。

もう一つ。コラム記事は、以下の通り。

「いま、過去最多といえば、感染者と日本の金メダル数」(同じ日の朝日新聞夕刊「素粒子」から引用)。一行で、ニュースの本質を見抜く原稿を書く朝日の、論説委員、ベテラン記者が歴代引き継いできた。筆者は、坪井ゆづると恵村順一郎両論説委員だという。その後、2021年4月30日には次のような告知が掲載された。

「『素粒子』は、坪井ゆづる、恵村順一郎の両論説委員が担当してきましたが、恵村はあす5月1日で終わり、6日から坪井がひとりで執筆します」。

そうか、日本国内では、自慢すべきは、年の数、感染者数、金メダルの数、なのか。

そういえば、オリンピックの時、新聞が掲げる「日本のメダル 金 銀 銅の数」を派手に掲げる欄が見当たらない。朝日新聞の場合、一面、右下に「第○日 日本のメダル」という欄があり、「金 ○○(氏名) 競泳○○(種目) 銀 ……」と記録されているが、メダル数の合計は、そこには、掲載していない。まさか、掲載をやめたのか、と思ったら、7月25日の朝刊の一面には、「高藤『金』1号」の見出しの記事とともに、その左隣に、「第2日 日本のメダル」の欄が掲載されていた。また、特集の五輪ページには、右下に「メダル獲得数(第○日まで)」という欄があり、左から「国・地域名、金、銀、銅、計」の数が、それぞれ掲載されていた。

連日、増えるゴールドラッシュの「メダル獲得数(第○日まで)」で、日本のナショナリズムを鼓舞するマスメディア。その姿は、変わらない。菅政権は、コロナ対策での続く数々の不手際などの政治的な失敗を、オリンピックという他力本願のゴールドラッシュで、回復させようとしているのだろう。これぞ、菅首相の「真夏の夢」。だからこそ、この政治家は、ダメなのだ。

もう一つ。2021年7月28日付けの朝日新聞朝刊の見出し。真っ黒な背景を持つ白抜きの見出しが、朝刊一面トップに立てられている。「東京 感染最多2848人」。

見出しのリードが、次のように続く。以下、引用。

「東京都は27日、新型コロナウイルスの感染者を新たに2848人確認したと発表した。第3波の1月7日の2520人を超えて過去最多となった。2千人を超えるのは1月15日以来約半年ぶりで、8日連続で1千人を超えた(以下、略)」。引用終わり。

以下、本文中より、引用。「4度目の宣言から2週間経っても、感染急拡大はいまだに収まっていない。2848人の年代別では20代951人、30代610人で半数以上を占める」。引用終わり。

「4度目の宣言」とは、日本のコロナ対策の最大対策と菅政権が銘打っている「緊急事態宣言」のことを指す。日本では、コロナ禍の対応に手間取り、緊急事態宣言という最後の「武器」を、もう4回も引き出したにも関わらず、効き目を欠き、「次の一手」をどうするか、考えあぐねているように思える。7月23日に開会式が催されたオリンピックは、その後の競技を開催せず、ということになったのか、と思いながら、新聞を広げると、その菅政権の動向を示す記事が、朝日新聞7月28日付け朝刊の同じ一面の左肩に掲載されている。以下、引用。まず、見出しから。

「首相、五輪中止を否定」。さらに、サブ見出しには、「人流は減少、心配ない」とあるではないか。なにが、「心配ない」なのだろう。どういう思考経路を持ったら、こういう判断になる、という説明が、全く無い。
以下、本文から、引用。

「菅義偉首相は27日、新型コロナの東京の新規感染者数が過去最多の2848人を記録するなど全国で感染が急拡大するなか、記者団から東京五輪の中止の選択肢を問われて、『人流も減っているので、そこはありません』と明言した」という。「明言」とは、すごい発言スタンスではないのか。では、明言する根拠は? 「車の制限やテレワークなど、人流は減少している。心配ない」と、(菅首相は)「断言した」という。上記のような不確かな根拠で、明言されたり、断言されたり、して良いものか、と私も、現役時代の記者意識を持ち出して、菅首相の発言を問いただしたい。「それは、国民にとって、致命的な判断ミスではないのか」。

菅政権のミスを質さず、菅発言を無批判的に受け入れ、「明言した」「断言した」などという表現を使って原稿を書くマスメディアの記者たち。特に、政権与党的な発想しかしない政治部記者たち、部下を引き連れて、官庁や政党本部に設けられた記者クラブに陣取り、取材指揮をするキャップ、編集セクションの社内にいて、出先の記者クラブから上がってくる原稿をチェックするデスク、新聞ならば、原稿をもとに記事を仕上げ、紙面を作る編集セクションの責任者、テレビならば、番組の編集責任者など。

日々出稿される原稿をチェックしたり、取材体制を組み、要員を取材ポイントに貼り付け、取材の進め方、つまり、「取材指揮」をしたりする。あるいは、原稿そのままを活字にした新聞人の幹部らの報道倫理を問いただしたい。マスメディアの倫理観を問いただしたい。これでは、首相が言うから、無批判で記事にした、と言うだけの根拠しかない。無批判どころか、菅政権の内面を忖度して記事にした場合もあるのではないか。

菅首相の発言は、いったい全体、公人として正しいものなのかどうか。いっとき、アメリカの大統領だった「トランプ」が、批判的な記者に対して、「フェイクニュース」という表現を連発して、非難したため、マスメディアも、無検証で記事を垂れ流していたが、それと同じではないのか。フェイクニュースならフェイクニュースらしく、マスメディアは、受け手の国民が誤解しないように、きちんと補助線を入れて記事から誤解を生まないような配慮が必要だろう。記事の細部でも具体的に読者に判るように構成し、記事の公平性、多様性を保ちながら慎重に取り扱うべきではなかったのではないか。

贅言;この記事で耳慣れない言葉が出てきた。「人流」である。これは、「じんりゅう」と読むらしい。つまり、人から人に感染するコロナウイルスの「移動」実態から、をウイルスが人に付着して感染する様を称して、「人流」=「人の流れ」と言うようになった。その後、東京都の新たな感染者は日々増え続け、7月下旬に3,000人を超えたと思ったら、連日、3,000人以上となり、7月31日には、過去最多の4,058人を記録した。日本列島全体も、新たな感染者は、10,000人を超えた。8月6日には、日本国内の感染者は、累計で、100万人を超えた、と報道された。
この夏、日本列島は、コロナ禍のピークを迎えたのだろうか。いや、迎えていまい。その後も、日々、感染記録は、更新されている。だから、まだ、まだ、ピークは先にいくつもあるのかもしれないのだ。しかし、それに対抗するマスメデイアは、すでに、空拳で手を拱いているのではないのか。マスメディアは、このような「徒手空拳」で、良いのか。仄聞にして、このような視点でコロナ禍とマスメディアの問題を提起したリポートにお目にかかっていないように思える。

菅政権は、多くの国民感情を無視して、オリンピック開催を「毎日、強行」し続け、無理無理、ゴールまで飛び込んでしまった。それが結局、東京都のコロナウイルス感染者の急拡大現象を引き起こすことになるのだが、頑固な菅首相、あるいは取り巻きを含めた菅政権を支える政治家や官僚たちは、そういう認識には、意地でも「なろう」としない、という感じで、ひたすら「依怙地になっている」ように見える。
「オリンピック株」というウイルスは、貪欲な政治家たちに黒い夢を見させる、デルタ株よりも悪辣・悪質なウイルス株のように思える。それなのにマスメディアは、それを放置している。マスメディアが優先すべきは国民感情だろうに、国民感情を汲み取り、それを公共に伝えるという役割をマスメディアは、果たせなかった。

★タイムスリップ:二つの「東京」オリンピック

早速、「横路道草ノ助(よこみちみちくさのすけ)」の手法で、私は好んで、迷路に飛び込むこととしたい。
それは、二つの「東京」オリンピック」。ここからは、自分史をベースに、私が同時代に生きて、遭遇した1964年と2021年の、二つの東京オリンピックと私との関わりを「蘆(よし)の髄(ずい)」「髄の穴」から覗き込んでと想定して点描してみたい。いわば「極私的なデルタ&オリンピック論」である。

★ オリンピック「株」という名のウイルス

前回、意図的にきちんと説明しなかったが、「オリンピック株」とは、コロナウイルスの、これまでのところ最強とみられる「デルタ株」に対抗できるウイルスの「株」として、菅政権最強のものとして、「オリンピック株」なるものを想定してみた。「オリンピック株」とは、いわば、全てはオリンピックのために、価値の序列をつける発想のことである。

この「オリンピック株」は、いずれ、菅政権の「解散・総選挙株」に取って代わられるだろうが、当面は、最強に地位を保ち続けるのではないか。しかし、それは、権力者の政治決断としては、最悪の不幸を私たち国民に直面させることになるのではないか。曰く、一に、コロナ禍の急激な暴走的な拡大を許す政策であり、二に、オリンピック開催だけを最優先する「暴走的な」思考方法である。この上、菅政権に日本を占拠されて、自民党の総裁選挙、解散・総選挙、衆議院の国会運営まで、操られたら堪らない。

★タイムスリップ:オリンピックの「夢」

オリンピックなど、東京で開催されるのは、50年に一回か、100年に一回か、ということだろうな、と私は思う。そう言う意味では、私は、東京オリンピックを同時代に2回「体験」していることになる。それは、57年前、1964年の夏と今回、2021年の夏、と言うことを意味するが、実際には、1964年の夏は、高校3年生で大学現役合格を目指して自宅2階の自室で受験勉強中であり、東京オリンピックには、関心はあったものの、自宅1階茶の間を出入りするため、通り抜ける際に、茶の間のテレビの画面を横目で見て、音声でオリンピックに暫時、接しただけであったし、今回もテレビの番組をいくつか観た程度で、オリンピックの全体を鳥瞰することはないまま、オリンピックは、8月8日の閉会式を迎えてしまった。

新しい種目が増えたね! 老舗の種目と違って、何か、ついていけない。代表選手たちの苦労話を聞けば、ヒューマンドキュメンタリーとして、サクセスストーリーは、興味深いが、人生で2回も東京オリンピックと同時代に遭遇したにも関わらず、私は東京オリンピックについては、この程度の感想しか持ち得ない。よほど、縁が薄いのであろうか。

2021年の東京オリンピックは、ほとんどの日本人には、コロナ禍との関連で記憶されたことになるだろうが、私も、コロナ禍ばかりが印象付けられていて、オリンピックの方は、早くも、夢路の彼方へ漂泊し始めているように思われる。きっと、すぐに忘れてしまうだろうし、10年先には、生きているとしても、私も85爺になってしまい、あるいは、とうに、鬼籍に入っているかもしれない。2021年に開催された「東京2020」(トウキョウニイゼロニイゼロ)は、私にとって悪夢のオリンピックだった。

一方、57年前、1964年夏のオリンピックの印象は、鮮烈だ。と言っても、オリンピックそのものの印象ではない。高校3年生の夏休みは、ほとんど、「ステイ・ホーム」で自宅に籠って大学受験のための勉強に費やされた。青春真っ盛り、大原雄17歳の夏休みである。

当時、私の自宅があった駒込(東京都豊島区)6丁目は、豊島区と北区との区界となる住宅地にあった。国鉄の山手線の駒込駅と巣鴨駅が、ほぼ同距離の最寄駅であった。実は、もう一つ最寄駅はあったが、都心方向へ向かう最寄駅という意味であれば、都心方向には、「遠くなる」という意味で、最寄駅とは呼びにくい駅として、国鉄の京浜東北線の上中里駅があった。

その後、駒込駅、巣鴨駅、上中里駅に寄り添うように、地下鉄の南北線、都営地下鉄の三田線などが、建設されたことで、駒込地区の現在の最寄駅は、山手線の駒込駅(地下鉄南北線の駒込駅でもある)、巣鴨駅(都営地下鉄三田線の巣鴨駅でもある)、京浜東北線の上中里駅(少し離れているが、地下鉄南北線の上中里駅がある)、ということになるだろう。
もっと大雑把に言えば、都営地下鉄南北線、山手線、京浜東北線に囲まれた三角地帯の中にある住宅地の一つが、駒込地区である。大雑把に遠望・描写すれば、山手線に沿った南西側の高台の高級住宅地(今も高級マンションや大企業の社宅がある)と谷あいの川沿いにできた染井銀座商店街、北東側の坂上にある高級住宅地(八代将軍徳川吉宗ゆかりの桜の名所、飛鳥山や明治期の渋沢栄一ゆかりの地、王子地区)というところか。

私の両親が戦後直後に立てた小住宅は、木造密集地と呼べば良いのだろうが、豊島区と北区との区境の中には、いまも車が入り込めないような、防災的には、いろいろ課題のありそうな道路が地域の一画にあったりした。我が家から、そう遠くはないところに染井銀座商店街(「○○銀座」というネイミングは、当時の流行であった)があり、商店街の裏町を形成する木造密集住宅地は、戦後、平屋のまま、10数年が経過して老朽化したせいか、自宅の建て直しの時期を迎えていて、建て直しブームが終わった家は、2階をアパート形式の住宅に生まれ変わらせていた。

私の家も、狭い敷地の中で、3回目の増築・建て替えを経ていた。アパートには、しなかったが、新築の恩恵を受けて、私も狭いながらも、一部屋をもらい、ここで起伏のある青春期を過ごした。私の専用部屋として、2階には、4畳半の勉強部屋が新築されていたが、もちろん、エアコンなどはなく、扇風機を回しながら、窓を開け放ち、早朝から深夜まで勉強机にかじりつくように座った私の椅子に置かれた座布団は、1日で、背中や尻から流れ出た汗で、じっとりと濡れている有様であった。

★ タイムスリップ:「ゲイシャ・ワルツ」と東京オリンピック

この時に、開け放たれた窓越しに、毎日午後4時頃になると、どこかの「アパート」の部屋から流れてくるレコードの音が忍び込んできた。そのレコードは、いつも、曲は決まっていた。神楽坂はん子の「ゲイシャ・ワルツ」であった。

神楽坂はん子の「ゲイシャ・ワルツ」のレコードは、1952年発売。作詞、作曲の著作権を配慮し、詞は一部しか引用しないが、西条八十の「詞」は、芸者の恋するお客への切ない恋を描く。接客業の芸者の、誰が当事者になってもおかしくないような、紋切り型の決まり切ったストーリーを起承転結で描き、その部分の表現も擦り切れたような陳腐な表現で書いていて、極めて俗っぽい歌謡曲である。
それなのに、私にとって、「ゲイシャ・ワルツ」は、1964年という年とピッタリ張り付いていて、東京オリンピックといえば、大学受験、つまり、夏休みの受験勉強と猛暑であり、そして意外な登場の「ゲイシャ・ワルツ」の歌詞とメロディーが、一生涯付いて回っている、ということなのである。

1952年のレコードの発売から、12年後。東京オリンピックとは、なんの関係もないのに、なぜ「ゲイシャ・ワルツ」なのか。私には、さっぱり判らない。また、レコードのタイトルが、なぜ「ゲイシャ・ワルツ」という、バタ臭いネイミングなのか。これも、やはり判らない。それでいて、私の青春時代の思い出とは、がっちり握手している。まさに、「ゲイシャ・ワルツは 思い出ワルツ」なのである。以下は、「ゲイシャ・ワルツ」の「起承転結」の「起」。冒頭の歌詞である。

「あなたのリードで 島田もゆれる
 チークダンスの なやましさ
 みだれる裾も はずかしうれし
 ゲイシャ・ワルツは 思い出ワルツ」(以下、略)

なぜか、「芸者」。それも「ゲイシャ」と表記する。西条八十の美意識の不思議? 芸者とは、大人の世界にしか、存在しない。特に、高校生には、縁のない、いわば架空の世界(デルタとオリンピック。この二つは、相容れない。やはり、架空の世界か)。それでいて、受験生の身には、「恋の辛さが 身にしみるのよ」という最後の詩句が、自由にならない受験の辛さが「身にしみるのよ」と、共感を呼ぶ。共感の親しみやすさを感じるとともに、真逆に俗っぽさを蔑む思いも感じながら、「あなたのリードで 島田もゆれる」と、私は、いつしか、口ずさんでいたのかもしれない。

17歳と半年。世間のオリンピック熱を横目で見ながら、国立大学受験一直線の現役高校生は、「ゲイシャ・ワルツ」を聴きながら、昼夜逆転の生活を送り、大汗を座布団に染み込ませるように、英語の単語を覚えこもうとしていた。

★ タイムスリップ:神楽坂はん子の「秘密」

「ゲイシャ・ワルツ」の歌手・神楽坂はん子に関するインターネットの断片的な情報をまとめると、不思議な人生の航跡が浮き上がって見えてくる。自己主張の好きな、元気な女の子。神楽坂はん子は、東京都出身。1931年3月24日-1995年6月10日。昭和期の「芸者」歌手。東京・神楽坂で芸者をしていたとき、万丈目正の紹介で、作曲家の古賀政男と作詞家の西条八十が、訪ねてきた、という。歌声を披露すると古賀が気に入ってくれた。すると、彼女は、「私、芸術家って大嫌い」と発言するなどしたため、その竹を割ったような性格がまた、作曲家に気に入られたらしい。こうした経緯から、「コロンビアレコード」へスカウトされた、という。
家業の料理店を営む両親の反対を押し切って、高校を中退し、16歳で神楽坂の芸者の世界に身を投じた。そして、1952年、古賀作品の「こんな私じゃなかったに」でデビューを果たす。同じ1952年にヒットした江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られたのが、「ゲイシャ・ワルツ」だったという。これが大ヒットしたため、神楽坂はん子は、1953年の「第4回紅白歌合戦」に、大好きな持ち歌「こんな私ぢゃなかったに」で初出場して、一躍スター歌手となった。さらに、1954年の「第5回紅白歌合戦」にも「みないで頂戴お月さん」で、2回目の出場を果たすから、スター歌手の道は、順風満帆のように見受けられたが、1956年、わずか4年で引退した。
後年、古い歌を楽しむ高齢者の間から沸き起こった「懐メロ」ブームに乗って歌手復帰を果たした。NHKや東京12チャンネル(現:テレビ東京)の「懐メロ」番組などで歌声を披露したが、晩年は公の場から姿を消した。1995年6月10日。肝臓癌で逝去。64歳であった。

贅言;当時は、なぜか、「芸者歌手」が大勢いた。私が覚えているだけでも、次のような歌手がいた。市丸、赤坂小梅、小唄勝太郎、榎本美佐江(プロ野球の金田正一夫人だったことがあるが、ここでは、端折る)、神楽坂はん子、神楽坂浮子など。

★ タイムスリップ:「ゲイシャ・ワルツ」と「テネシー・ワルツ」

「ゲイシャ・ワルツ」が、64年の東京オリンピックに無関係だったように、「テネシー・ワルツ」も、無関係だった。

1982年2月13日の午後。一人の人気歌手・女優が、東京・港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上でうつ伏せの状態で倒れていた。マネージャーに発見されたが、既に心肺停止状態で、呼吸・心音とも反応がなく、死亡が確認された。江利チエミ。45歳であった。 死因は脳卒中と診断され、直接死をもたらしたのは、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(「誤嚥」)によるものだった、という。

「テネシー・ワルツ」は、原曲の英文の詩を読むと、久しぶりに出会った女性の古くからの友人が、女性の夫を「寝取り」、二人で逐電してしまったという苦い体験を歌う「恨み節」である。歌手は、パティ・ペイジ。それを江利チエミは、自分らしい日本語の歌詞に整え直し、英文歌詞も直して、得意な英語も交えて歌っている。過ぎ去ってしまった青春時代の恋物語を偲んでいる、という内容になっている。神楽坂はん子の「ゲイシャ・ワルツ」は、若い芸者の顧客に対する淡い恋物語という仕立て。チエミの「テネシー・ワルツ」とはん子の「ゲイシャ・ワルツ」が似ているのは、タイトルにカタカナだけを使い、バタくさい「・」が、用いられている点くらいではないのか。なのに、なぜ、二つの曲が、ライバル視扱いされたのか、これも、判らない。

「ゲイシャ・ワルツ」と「テネシー・ワルツ」の迷路は、おもしろいが、これがこの小文のテーマではないので、横路から抜け出す場所に出てきたような気がする。さて、本題は、菅政権下で展開されたコロナ禍の対応とオリンピック強行開催の問題性であった。

2021年夏。1964年夏に見つけた狭い路地のある街には、あの時の区境の道路が今もそのまま残っている。何年か前から、この地区に都道として道路を引き直すことになった。そのための用地買収が東京都の手で始まっているが、買収は遅々としてしか進まず、57年間、都心部では、再開発著しい大東京も、片隅では、時が止まったような、眠った時間が流れているスポットも残っているのである。

8月9日付けの朝日新聞一面左肩、トップの朝刊記事。東京オリンピック・パラリンピックのうち、オリンピック強行開催とコロナ感染急増大という結果を総括する世論調査の記事である。

見出しは、以下の通り。

「菅内閣支持28% 最低」
「五輪開催『よかった』56%」

本文記事は、以下の通り。

「朝日新聞社は7、8日に全国世論調査(電話)を実施した。菅内閣の支持率は28%と昨年9月の発足以降、初めて3割を切った。不支持率は53%。東京五輪開幕直前の7月調査の支持31%、不支持49%からいずれも悪化した」という。(略)内閣への見方が厳しいのは、新型コロナウイルスをめぐる評価の低さが響いている」。(以下、略)

菅政権で夢見る政治家たちの夢は、儚く砕け散ったのか。まだ、自民の総裁選挙、解散・総選挙と従来型の政治手法は通用するのか、しないのか。もう、しないのでは無いか? デルタとオリンピックの先に、見果てぬ夢が横たわっているのか?

★「救民救国政権」よ、出でよ

東京オリンピックが菅政権の手で強行開催されるまでには、閣僚の一部からも、菅首相に対して、「オリンピックを中止せよ」という声が出たと伝えられたが(「大原雄の『流儀』」・「オルタ広場」前号参照)、その声が高まらないうちに、時間切れで、オリンピックは、強行開催へと押し込まれてしまったように見える。その結果、東京オリンピックは、コロナ禍蔓延、真っ最中という異常な時期にも関わらず、7・23に開会式が開催された。東京オリンピックは、日本のメダルラッシュという「あらかじめ見込まれた(?)」開催効果をもたらしながら、8・8の閉会式を迎えてしまった(東京パラリンピックの日程は、8・24から9・5)。

東京オリンピックは、「人流」を増やし、その結果、一日当たりの新しいコロナ感染者を万単位で増加させた。新しい感染者は、首都圏の医療提供体制を逼迫させてしまい、感染者、つまりは、入院可能な、ということは、治療を受けさせてもらえるコロナ患者は「中等症」程度以上という曖昧な基準で線引きされ、それより軽症とみなされた感染者は、差別的な待遇を受けることになる。その結果、個人の生命の選別がなされ、はじき出されれば、治療拒否「棄民」として、事実上、殺されてしまう、ように見える。
菅政権が、これまでのような判断がチグハグで、自立した判断能力を今後も持ち得ないのならば、菅政権は、直ちに総辞職して、まともな政治判断ができる政治家集団と政権交代をすべきであろう。国民は、そういう要求を菅政権にすることができるだろうに。なぜか、そういう声が、小さ過ぎる。

コロナ対策をきちんとやらないまま、国民を機械的に年齢で選別して、ワクチン接種実施の判断を恣意的に、勝手に強行し、社会の要である現役世代(30代、40代、50代)への接種を、今も事実上排除してしまっているような現政権の総辞職を要求し、政権交代を実現させなければならない。今からでも、やるしか無いだろう。このままでは、国が滅ぶ。

今の時期、政治家を稼業としている人間がなすべきことは、コロナ国家・社会体制を実質的に支えている現役世代(30代、40代、50代)を最も手厚く擁護する施策を実行することであろう。現役世代をこそ救うような「救民」、そして、その結果としての社会の救済、「救国」を実現できるような政権への交代である。そういう与野党間の政権交代が、今の与野党では、できないというのなら、与野党を跨ぐような政権交代の途を探るべきであろう。そういう意味合いを込めて、その政権を私は、「救民救国連立政権」と呼びたい。

この政権では、与野党大連立で「保革連合政権」構想を構築し、まず、コロナ対策を最優先で実行する。コロナ対策の実施と後始末に目処がついたら、有権者である国民の審判受けて、コロナ後の社会に相応しい国家構想、あるいは、「公共」構想を再構築すべきであろう。菅首相や二階幹事長が構想しているような、菅政権継続、二階幹事長温存、というような政策なき、人的構想を優先するような古い政治を精算し、国民のための政策判断が迅速にできる政権誕生へ、与野党再編も必要だろう。衆参両院の政治家たちは、至急衣替えをしなければならない。

★酒に恨みは……

菅政権は、政治判断が、ちぐはぐなばかりでなく、ミス判断も多い。例えば、「酒」である。「酒」という蘆の髄の穴から、覗いてみれば、いろいろ見えてくる。

政府が法的根拠もなく民間事業者を使って圧力をかける――。法治国家としておよそ信じられない出来事が起きた。緊急事態宣言下で酒類提供を続ける飲食店への対応を巡る一連の騒動である。すでに撤回された現在でも批判はくすぶり続ける。この騒動ににじむ菅義偉政権の体質を浮き彫りにしておこう。

「東京オリンピック・パラリンピック」は、いまや、日本国民の生命と暮らしを守るという「建前」すら放棄しているようだ。路上での集団酒飲みをする若い世代は、建前すら放棄している菅政権の実相を、若者らしい率直さでリアルに映し出している、というだけなのだろう。自粛、自粛、自粛。路上ですら酒も飲めない。家の中でだって、「暗幕で窓を閉ざして」(などとなれば、まるで戦時中だ!)、家族二人程度でしか、飯が食えないし、酒も飲めない。酔うことはできない。

知り合いと外食しながら、酒を飲もうにも、ここでも、午後8時までには、お開きしなければならない。午後6時までの仕事を終えて、都心で待ち合わせて、店に入って、つまみとビール程度を注文し、ビールが来たら「まずは、乾杯」などと言っていたら、午後7時過ぎ。慌てて、メインディッシュを注文し、ビールを飲み、久しぶりの会話にも花を咲かさなければならない。しかし、話が盛り上がりそうになるころ、「酒類は、ラストオーダーです」と、言われてしまうだろう。

今や、日本は、特に繁華街に外食店などがある都心部では、会食は、自粛、自粛、自粛、自粛。これでは、「商売にならない」と休業を続ける店も多い。7月から8月。1年中で、外食店には、稼ぎどきなのに、日本国中、「オリンピック以外はすべて自粛」。自粛なのに、網の目をくぐり抜けるようにして、酒類を販売する「悪徳業者」がいる。それなら、銀行を通じて営業資金を「悪徳業者」には、貸さないようにするなど圧力をかけられないか、酒類を外食店に降ろさないようにするなど圧力をかけられないか。それでいて、自分たちが決めた営業・休業の補償費も満足に出さないのに、「国策だから、協力しろ」という大臣がいた。

「欲しがりません。(ウイルスに)勝つまでは」。感染以来既往症がある年寄りには、「前倒しでワクチン接種をしてやるから協力しろ」と迫る。2回することになっているファイザー製のワクチン接種を終えた年寄りは全国で既に、8割以上になったという。

若い現役世代は、社会の人々の健康と暮らし、さらに経済をも犠牲にし続ける菅政権に反発しているのか、既往症がある人が少ないからなのか、感染開始以来、若い世代には、比較的感染禍が広がらない傾向が続いたから、甘く見ているのか、あるいは、こういうレッテル貼りは良くないと思うが、若い世代の保守指向的な体質(?)から、菅政権の意向を受けて、高齢者から年齢順に、行政に接種をさせてきたから、自分も、そのペースで良い、という理由も大きいのだろうか。担当大臣を含め、行政によるワクチン供給体制の不手際もあって、現役世代のワクチン接種率は、まだまだだ。そういう状況のまま、日本社会は、変異型の、厄介な新型コロナウイルスの大襲来に立ち向かわなければならないことになる。

ここへきて、コロナウイルスは、デルタ株を持ち込んで、人類社会に逆襲して来た。私にとって、オリンピックとは、あってはならないことだが、コロナ禍による若い世代の大量「病死」が、万一、出るようなことがあったら、それを許すことができないという心理状態の中にある。あるいは、フェイクニュースで作り上げた2021年の「東京2020」オリンピックの印象は、ゲイシャ・ワルツよりも影が薄い。

日々、1万人を超えるコロナ禍の感染者たちの急増。その原因を居酒屋でのアルコール付きの会食を主原因と見定め、無理難題を押し付けてきた政治家、行政、大会関係者などは、自分たちの狙いが、方向違いだと気付いただろうか。彼らは、こういうグローバル、あるいは、ナショナルな事態をどう認識し、分析し、今後の対策に、具体的に、どう活かそうとしているのか。

第五波が日本列島に荒波を送り込んでくる。緊急事態宣言は延長され、8・2から8・31まで延長されたが、ウイルス抑圧の具体的な目処は、まだ、立ちそうも無い。有効な施策はあるのか。何よりも、大至急対応すべき行政課題として、行政の施策の問題性(世代別の接種順番の決め方、ワクチン供給の中断という不手際)で、ワクチン未接種となっている現役世代(30代、40代、50代)の生命と暮らしを、どうすれば守れるのか。彼らを失うことは、この社会の、今のパワーを失うというだけでなく、長い未来を担うパワーを失うということであり、課題はまさに「緊急事態」である。新型コロナウイルスの第「五波」を「御破」算にしてほしい。

★ 懐かしの街へ。タイムスリップ:1950年代、60年代。戦後の色合いが薄れ出した街には、商店街のはずれ、精肉店の隣に、小さな珠算学校があり、教室からは、……夜になると、子どもたちの声が聞こえてきたものだ(今なら、パソコン教室か)。
「御破算に願いましては……」。

付記

5・23、上方歌舞伎の女形で人間国宝の片岡秀太郎が、亡くなった。79歳。秀太郎は、十三代目片岡仁左衛門の次男。上方味を濃厚に残す貴重な女形であった。
「新口村」の梅川、「封印切」のおえん、「道明寺」の老女・覚寿など、上方歌舞伎の女形なら、年齢にこだわらずに、それぞれの上方女性を描き出した。
それも、舞台に出てきただけで、もう、役柄になりきっていた。だから、私は、秀太郎を観るのではなく、女性を演じる歌舞伎役者を観るのではなく、時空を超えて、私の前に立ち現れた上方女性を観た。
阪急沿線の千里山に住んでいる時、確か、強盗に侵入されたことがあったはずだ。おとなしく縛られて、金品は盗られたが、生命は助かった。「芝居の要領で、おとなしく縛られた、というようなことを言っていたらしいが、私もご本人に確かめることはしなかった。いかにも、秀太郎らしいエピソードではないか。2019年、秀太郎は、上方の女形が評価されて、人間国宝になった。

九月歌舞伎座の予告。
今回の歌舞伎の演目と主な配役は、以下の通りである。

第一部:「お江戸みやげ」(川口松太郎原作の新作歌舞伎の人情もの。芝翫、福助など成駒屋。勘九郎、七之助など中村屋。六代目歌右衛門、七代目芝翫所縁の役者による上演。歌右衛門二十年祭、芝翫十年祭)。「須磨の写絵」(梅玉、魁春の兄弟。成駒屋の児太郎)。
第二部:「盛綱陣屋」(幸四郎、雀右衛門、又五郎、錦之助、歌六)。「女伊達」(時蔵、萬太郎、種之助など萬屋を軸にした共演。)。
第三部:「東海道四谷怪談」(玉三郎のお岩、仁左衛門の伊右衛門。松緑の直助権兵衛)。玉三郎と仁左衛門の「東海道四谷怪談」。

新型コロナデルタ株蔓延中。都県境を越えて、歌舞伎見物に行くのを自粛している。観たいなあ。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

(2021.08.20)
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