【コラム】
大原雄の『流儀』

芸の伝承と世代交代(下)~浅草から歌舞伎座へ

大原 雄

 2019年1月3日。東京の国立劇場は、初春歌舞伎公演。出し物は、「通し狂言 姫路城音菊礎石(ひめじじょうおとにきくそのいしずえ)」。出演は、尾上菊五郎一座の面々。開演に先立ち、午前10時50分から、菊五郎、時蔵、松緑、菊之助らがロビーで鏡開きに参加した。ロビーには、大凧が飾られ、着飾った着物姿の観客も目立ち、穏やかな芝居小屋の新春風景となった。

 「芸の伝承と世代交代」シリーズの、3回目。歌舞伎界の真女形の人間国宝・坂東玉三郎(68)の「芸の伝承」の続きを書き止めておきたい。玉三郎は、今、自分の得意とする役柄を熱心に若い世代に伝えようとしている。10月歌舞伎座では、勘九郎・七之助(中村屋)兄弟(十八代目勘三郎の息子たち)に「助六」や「吉野山」で共演した。12月歌舞伎座では、壱太郎(成駒家。鴈治郎の長男)に「お染の七役」を指導し、梅枝(萬屋。時蔵の長男)と児太郎(成駒屋。福助の長男)の「阿古屋」日替わり交互共演には、玉三郎も舞台を同じくして、指導をし、見守っていた。

 今回は、これまで2回の連載のうち、あまり触れていなかった12月歌舞伎座の舞台から、中村壱太郎と中村梅枝への伝承と世代交代の取り組みをまとめたい。若い世代からの世代交代への動きの典型でもあると思われるのが、尾上松也(音羽屋)。18年は、正月の浅草歌舞伎から師走の歌舞伎座へ、わずか1年で双方の主役を勤めた尾上松也も12月歌舞伎座夜の部までの軌跡を追いかけてスケッチしてみたい。

 梅枝、児太郎ふたりは、初役で12月歌舞伎座夜の部に交互に出演していた。また、壱太郎(成駒家。鴈治郎の長男)は、玉三郎監修の「お染の七役」に初役で挑戦している。彼らは、いずれも1年ほど前から楽屋や稽古場で玉三郎から指導を受けた上、今回は、主役を任され、歌舞伎座の同じ舞台に立ちながら、真女形大先達の指導を受けている。恵まれたことだ。
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 12月の歌舞伎座夜の部のハイライトは「阿古屋」。1958年以降、六代目歌右衛門と玉三郎のふたりだけが、演じ続けていた「阿古屋」を60年ぶりにいよいよ若手の後継候補たちに伝承するのである。玉三郎自身は、普段なら演じない、立役の道化敵役の岩永左衛門を「人形振り」という滑稽な演出で演じながら、若い女形たちを育成指導する、というわけである。「人形振り」とは、生身の歌舞伎役者が、故意に人形浄瑠璃の人形のようなギクシャクした所作(動き)を見せて、観客を喜ばせる演出法である。岩永左衛門の赤っ面に太い眉毛が、仕掛けで大きく動く。道化役である。それを玉三郎が演じる。

 江戸時代から歌舞伎の役者たちは、己が取得した芸のエキスを有望な後進たちに伝承してきた。芸の伝承とは、ベテラン役者がいずれの時か、「一世一代」として己の消滅と若手への世代交代という厳しい背景を踏まえて、どのタイミングで、誰に芸を伝承するか、という課題に取り組んできた。伝承の仕方は、様々あるだろうが、その一つに同じ舞台に立ちながら芸を伝承するという方法がある。

 同じ舞台に立つといっても、主役を張る先達が稽古場などで見本を示し、後進がそれを目や耳を含めて身体全体で受け止め、記憶し、模倣するという方法や、先達が舞台で後進に主役を譲って脇役に廻り、出演後楽屋などで助言をする、ということもあるだろう。とにかく大事なことは、歌舞伎で同じ舞台で共演するという場合は、現在の興行形態では、初日から千秋楽まで25日間、毎日、ほぼ同じ時間に同じ演技を繰り返すというシステムになっていることを忘れてはならないということだろう。前日、上手く演じられず、先達から助言を受けたことは、翌日、あるいは翌日以降の舞台で、改めて演じ直すということができるからである。

◆ 壱太郎と「お染の七役」

 「於染久松色読販~お染の七役~」を観るのは、今回で、4回目。私が観たお染の七役は、玉三郎(2回。03年10月歌舞伎座、18年3月歌舞伎座。ただし、7役のうち、「お六」のみも配役)、亀治郎時代の猿之助(11年2月、ル テアトル銀座。初役だった)、そして今回が、初役の壱太郎。今回は、玉三郎監修・指導で、壱太郎が初々しくも初役に挑む。ならば、壱太郎は、まず、玉三郎の所作の外形を徹底的に真似る。先達の指導をなぞるように努める。いずれ、何回も外形の真似を繰り返すうちに、内面も真似られるようになるだろう。さらに、いずれ、壱太郎の独自性も付加され、芸が身についてくるようになるだろう。

 「壱太郎の話」は、松竹・歌舞伎座の雑誌「ほうおう」から引用。表現や表記は、幾分手を入れたが、引用はできる限り、忠実に行った。

 七之助が、以前に玉三郎の指導を受けて、「於染久松色読販~お染の七役~」のお染を演じている。5年前の、14年1月の大阪松竹座。私は、この時の舞台を観ていないが、玉三郎が、七役のうち、お六だけを演じ、七之助が、お染、久松、お光の三役を演じた。七之助は、その2年前、12年1月、東京・浅草の平成中村座で、七役を初役で勤めている。壱太郎は、七之助の舞台は観ているという。その時には、いずれ、「自分が勤める、という意識はありませんでした」というが、……。

 「玉三郎のおじさまに教えていただいています。しっかりとお芝居があるのは、土手のお六です。『莨屋』と強請のある『油屋』が大事だよ、科白を主体にお稽古をしてくださいました」。「南北ものをということを意識してやりなさい、というのが最初の教えでした。科白の音をとり、その上に感情を乗せるように、と言われました」。

 お六を初役で演じるにあたって。「悪婆は初めてですし、啖呵を切り、強請をする芝居の経験もありません。悪婆といえども、武家奉公していた、というのが大事だと玉三郎のおじさまはおっしゃいました。お芝居の裏に、お家騒動という大きな筋が通っているのをしっかりと見せなければいけません。金を強請るのにも理由があることのおもしろさと難しさを感じます」。

 「悪婆(あくば)」というのは、歌舞伎の類型化された役柄の一つ。悪人の中年女。束髪に広袖の半纏を着るなど扮装や演出も、定型化されている部分がある。玉三郎が得意とする役柄の一つである。

 早替りについて。「祖父(坂田藤十郎)も『仮名手本忠臣蔵』や『大津絵道成寺』など早替りのあるお芝居をたくさん勤めております。幼いころ、祖父がぱっぱと役を変わるのを黒衣姿で裏から見ていて、楽しいと思いました。本人より、周囲が大変なんですよね。その中で自分がどれだけ落ち着いて、いい意味で人に委ねて演じられるかです」。

 「玉三郎のおじさまにも、お六のお稽古の際、歌舞伎座を強請る気持ちでやらないと四階席まで届かないと言われました。科白の気持ちの込め方と歌舞伎座の隅々まで届く声。今回もふたつを並行しながら芝居を作らなければなりません」。

 芸の伝承について。「おじさまご自身が財産にされてきたものを一言一句、動きのひとつひとつから、手取り足取り教えてくださいます。その幸せを、ほかならぬ自分が一番感じておりますし、しっかりとお客様に伝えていく使命も負っているのだと思います」。この1年間、玉三郎と「一心同体」の気持ちで、多くを学んできたという。

 03年10月歌舞伎座で「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」を私は初めて観た。16年前の玉三郎。今も変わらないなあ、この人は。「於染久松色読販」は、四代目鶴屋南北の作品。長い下積み生活の果てに、50歳を前に、やっと立作者になった南北は、満74歳で亡くなるまでの中・老年期こそ、彼にとっては、充実の「青春期」であったかも知れない。まあ、そういう時期ではあっても、水ものの興行の世界だ。当たり外れもある。1年余りの不当たりの後、久しぶりに当てたのが、森田座初演の「於染久松色読販」であった。五代目岩井半四郎の七役が、当たったのだ。

 南北は、大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想をベースに、主家の重宝探し、土手のお六と鬼門の喜兵衛の強請が絡むが、基本は、「お染の七役」と言われるように、早替りをいかにテンポ良く見せるかという、単純な芝居(それゆえか、南北は、2年後、お六を軸にした芝居「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」を書き、江戸の河原崎座で上演する)。不当たり続きの南北が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた捨て身の趣向が当たったのだろう。

 今回の主な配役。お染、久松、お光、竹川、小糸、お六、貞昌の七役:壱太郎。庵崎久作:中車。山家屋清兵衛:彦三郎。下女・おその:歌女之丞。鈴木弥忠太:猿弥。油屋太三郎:門之助。油屋太郎七:権十郎。鬼門の喜兵衛:松緑、髪結・亀吉:坂東亀蔵。女猿回し・お作:梅枝。船頭・長吉:松也ほか。

 今回の場面構成は、次の通り。
序幕 第一場 「柳島妙見の場」、同 第二場 「橋本座敷の場」、同 第三場 「小梅莨屋の場」、二幕目 第一場 「瓦町油屋の場」、二幕目 第二場 「瓦町油屋座敷の場」、二幕目 第三場 「油屋裏手土蔵の場」、大詰 「向島道行の場」 浄瑠璃「心中翌の噂」。

・序幕 第一場 「柳島妙見の場」。
 序幕の早替わりを紹介すると、序幕・第一場「柳島妙見の場」では、舞台上手に、妙見社の大鳥居、妙見大菩薩の提灯など、下手に、妙見茶屋、浄瑠璃塚、松の木などという大道具の仕立てで、参拝者が行き交う妙見社の賑わいを背景に芝居が進行する。七役役者の早替わりを大雑把に追うと、「吹き替え(役者)」も適宜、使いながら、お染(花道から鳥居内へ)→久松(上手揚幕から下手へ)→お光(上手より鳥居内へ)→竹川(鳥居内の下手奥から花道揚幕へ)→小糸(花道揚幕から鳥居内へ)→貞昌(花道より駕篭で。茶屋の中へ。茶屋の暖簾を分けて、出て来て、茶屋の前で、再び、駕篭に乗り、揚げ幕へ)→お六(下手奥より別の駕篭で)、という具合だったのではないか(暗転中の観客席、メモの不備で、若干、不正確かもしれないが、動線は、押さえてあるだろう)。

・同 第二場 「橋本座敷の場」。
 第二場まで、早替わりの趣向優先である(ここでは、大雑把に書くと、奥下手より上手障子の座敷へ久松→奥からお染→襖中央奥へ入る。暖簾の奥から小糸→中央襖の奥へ。上手、障子の間の簾を上げると、障子の間に竹川)。

・同 第三場 「小梅莨屋の場」。
 芝居らしい芝居は、序幕 第三場「小梅莨屋」の場面から始まる。それまでは、玉三郎の場合も、亀治郎、壱太郎の場合も、七役紹介という場面が続く。早替りなどに慣れている猿之助一座の芝居と違い、早替りのテンポなどは、玉三郎でも「ちょっと」という場面もあったが、玉三郎は「替わる急所をしっかり押さえることが大事だと思います。七つの役がパッと浮かび上がって見えるように。だから早替わりでなくて遅替わりになるかもしれません」と言っていたのを思い出す。亀治郎は、澤瀉屋一門(猿之助一座)で、早替りは、慣れている。壱太郎は、早替りの主役は初めてではないか。

 七役で替る役は、お染、久松、お光(「お染久松」の世界の3役)、久松の姉で奥女中・竹川、後家の貞昌、土手のお六、芸者・小糸。それぞれの役を早替りで見せ、「悪婆」と呼ばれるお六をじっくり見せる。従って、序幕 第三場で、お六が登場するまで、七役の役者は、目まぐるしく替って見せる場面は、筋立てが、判りにくい。まあ、ここは、筋立てを気にせずに、目まぐるしく替っても、役者の顔は、替らずに七役役者というところを堪能するだけで、良いのかも知れない。

 この第三場は、「悪婆」という独特の女形の型のあるお六(壱太郎)と鬼門の喜兵衛(松緑)の夫婦の登場。実は、重宝紛失の鍵を握る男が、この喜兵衛。盗んだ重宝の刀を売り払い、百両という金を手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。金の工面に思いついたのが、質店油屋(お染の実家)に対する強請だが、これが、強請に使った「死体」が、息を吹き返すという杜撰な強請で、化けの皮がはがれるが、喜兵衛は、意外と、泰然自若としている、おもしろい男。

 「小梅莨屋の場」から、「瓦町油屋の場」までの場面は、早替りもなく、じっくり芝居をするので、こちらもじっくり観た方が良い。人に頼まれて、自分が、重宝を盗み出して、油屋へ質入れをし、その金を使い込んでしまい、依頼主から重宝を催促されて、質入れをした店に、偽の「死体」で強請をかけ、それが失敗するや、質店の土蔵に盗みに入る。その挙げ句、盗みに入った土蔵に居た久松に見つけられ、久松に斬り殺されるという、発想の単純な小悪党でもある。

 最初に玉三郎で観た時は、喜兵衛は、今は亡き團十郎であった。油屋の強請の場面では、お六と喜兵衛の思惑の違いもあり、このあたりの、玉三郎との対比も、おもしろい。女形が、強請の主導権を握るのも、珍しいので、おもしろく拝見した。兎に角、この芝居は、玉三郎の早替りの妙と、團十郎、玉三郎の絡む場面というふたつの見どころを見逃さなければ、良いだろう。発想の単純な小悪党の喜兵衛。そのあたりの人物の描き方が、團十郎は、巧い。今回の松緑も、いろいろ小悪党は演じているが、まだ、團十郎には負けている。

・二幕目 第一場 「瓦町油屋の場」。
 浅草の質屋・油屋。後家の、貞昌が、店を仕切っているが、資金繰りが苦しいらしい。家族は、息子・多三郎、娘・お染の3人。多三郎は、柳橋の芸者小糸と恋仲。お染は、店の丁稚・久松と恋仲。久松の姉・竹川は、奥女中で、お家の重宝・短刀「牛王吉光(ごおうよしみつ)」を盗まれ、責任を取って、切腹した父の汚名をそそぐために、丁稚となった久松とともに、失われた重宝・短刀と折り紙(保証書)の行方を探している。久松には、さらに、乳(ち)兄弟で、久作(中車)というのが、親代わりになっていて、久作の世話で、お光を許嫁にしている。お染・久松・久作・お光は、「お染久松の世界」そのものを踏襲している。竹川の、元の召使いの、お六は、鬼門の喜兵衛という悪党と夫婦になり、「土手のお六」などという、「飾り」のついた名前を持つ、「悪婆」だが、実は、元の上司である竹川に頼まれて、探索中の重宝・短刀を買い戻す資金の調達を頼まれている。お六と喜兵衛による強請場。歌舞伎には、いろいろな強請場がある。

・同 第二場 「瓦町油屋座敷の場」。
 最初に玉三郎で観た時は、座席の関係で、特に、二幕目 第二場「瓦町油屋座敷の場」の場面は、大きな屏風一枚を巧みに使いながら、お染、久松、貞昌の3役を、吹き替え役を巧みに使いながら、玉三郎がひとりで演じて行く様がよく判って、興味深かったのを覚えている。

・同 第三場 「油屋裏手土蔵の場」。
 強請りに失敗した喜兵衛は、油屋裏手の土蔵に忍び込む。牛王吉光の刀を盗み出そうと、実力行使に出た。土蔵の二階にいた久松に阻まれる。立ち回りの挙句、喜兵衛は、久松に切られてしまう。探し求めていた刀が手に入ったので、久松は、お染を追って、隅田川へ向かう。

・大詰 「向島道行の場」 浄瑠璃「心中翌の噂」。
 「向島道行の場」は、「心中翌(あした)の噂」という常磐津舞踊として、独立して、演じられることもある場面で、お馴染みの傘と茣蓙を使ったお六と久松の早替り。女猿廻し・お作(梅枝)と船頭・長吉(松也)の所作。これらが、見どころ。このほか、南北作品らしく、江戸の庶民の風俗の描写が、細かい。序幕の「柳島妙見堂」の大道具(壁などに掛かった奉納額、絵馬など)なども、そういう視点で観ていると、おもしろい。歌舞伎は、細部に宿る。

 早替り最後は、お六。「なりこまや」と書いた傘を使った10人の船頭たちとの立ち回りの後、今回の壱太郎は、お六の扮装のまま、幕切れで立周りの相手をしてくれた大部屋の役者衆と一緒に舞台に一線に並んで座り、「昼の部は、これぎり」と、頭を下げて挨拶をした。普通は、主役と主役格の挨拶の場面が多いので、大部屋の10人が、新鮮だった。

◆ 「阿古屋」の見せ場

 琴、三味線、胡弓の三曲を遊君・阿古屋自らが演奏することで知られる「壇浦兜軍記 阿古屋」の見せ場は、通称「琴責め」と言われる。楽器の演奏の乱れで、阿古屋の言うことが、嘘か誠か、判断しようという粋な音楽裁判の趣向である。阿古屋を演じられる役者が極めて少ない古典的な演目の義太夫狂言。六代目中村歌右衛門より教えを受け、1997年初演から20年以上も阿古屋を勤めてきた玉三郎は、「阿古屋」の後継者を探していた。その「阿古屋」が、いよいよ、玉三郎以外の女形によって上演される機会が来たのだ。12月歌舞伎座、夜の部。梅枝(萬屋)と児太郎(成駒屋)が、遊君・阿古屋役に初挑戦することとなった。

 今回の歌舞伎座夜の部では、松竹は二つのプログラムを用意した。Aプロ(従来通り、玉三郎自身が阿古屋を演じる。25日間の興行のうち、14日間)とBプロ(若手女形のふたりが日替わりで交互に阿古屋を演じる。玉三郎は、立役の滑稽な脇役へ回る。若手は、25日間の興行のうち、11日間。さらに、梅枝が6日間、児太郎が5日間)である。つまり、玉三郎は、先達として、阿古屋を演じ、ふたりの若い女形役者に手本を見せたり、ふたりに主役を演じさせながら、自身は、脇役に廻り、リアルタイムで、若手を指導したりする、という方法をとったのだ。

 去年の夏頃から稽古を始めたという。玉三郎は「おふたりとも特に胡弓がお上手。年齢的には梅枝さんが歳上なのですが、楽器を前にすると梅枝さんは若い娘方という印象で、児太郎さんは落ち着いた雰囲気があります」と答える。また、「阿古屋を演じる上で大事なのは、ふたつのことが同時にできるかどうか。阿古屋の役になりきった状態で三曲をしっかりと奏でられるか、ということですね。それから、『源平に関わってしまった傾城の心』を想像することも大切。想像で役を作り、お客様に伝えるのが俳優(役者)の仕事ですから」と自身の経験を踏まえて語るとともに、「かつての私もそうでしたが、はじめの稽古ではできていても、ほかの俳優(役者)さんが稽古に参加したり、(舞台が)稽古場から劇場に移ったり、周りの状況が変わると急にうまくできなくなってしまうことがあるんです。ですが、それでもやらないと先に進めないんです」と若いふたりに発破をかける。さらに阿古屋という難役・大役を継承していくことにも言及し、「稽古をすれば阿古屋を演じられるチャンスがあると思ってもらうことが大事。そうしないと幅が広がらなくなってしまいます。阿古屋に限らず、どの役もそうですが、誰々でなければ勤められないという固定観念はないほうがいいのかもしれません」と話す。

◆ 12月歌舞伎座

 2018年12月4日。歌舞伎座夜の部。この日、「阿古屋」を梅枝が初めて勤めた。1997年以降、玉三郎以外の女形が阿古屋を初めて演じたのだ。問注所のお白州に連行されるため、花道から登場した梅枝の阿古屋は、前後を捕手たちに囲まれながらも、堂々としているように見えた。蝶の模様が縫い取られた打ち掛けに、孔雀の豪華絢爛たる前帯が、阿古屋の遊君としての格を示す。しかし、阿古屋役の初日とあって、かなり緊張しているように見受けられた。本舞台に移動した後は、平舞台に座らされて、詮議となる。恋人の悪七兵衛景清の居処を白状せよと責め立てられる場面である。三種の楽器の演奏を強いられる。観客も、梅枝の初役の阿古屋の、それも初日の舞台だということを知っているので、観客の側も緊張しているのが、伝わってくる。結果は、どうだったか。最初は、琴を演じた。ついで、三味線を演奏した。最後は、三種の中でいちばん難しいと言われる胡弓の演奏である。

 梅枝は、12月の興行では、Bプロ、11日間の若手出演のうち、千秋楽までに6回、初役で阿古屋を演じることになる。私が観た12月4日は、Bプロの初日。梅枝にとって、女形役者としての生涯のエポックメイキングな日であっただろう。もう一人、初役で同じ体験をしたのが児太郎で、こちらは、5回、演じる。梅枝出演の翌日、5日が、児太郎にとっても、やはり、女形役者としての生涯のエポックメイキングな日であっただろう。ただし、私が観劇したのは、梅枝の方のプログラムで、児太郎の方は観ていない。そういうエポックな舞台だけに、梅枝への劇評は、きちんと書いておきたい。

◆ 梅枝と「阿古屋」

 阿古屋を演じる女形の肝心要の必要条件は、ふたつあるように私は思う。一つ目は、琴、三味線、胡弓の演奏がきちんとできるかどうか。ふたつ目は、演奏に神経が行き過ぎて、演奏者が遊君・阿古屋になりきれなくなるようなことはないか。演奏しながら、役柄の存在感を出すような演技も要求される。

 印象論だが、私と一緒に歌舞伎座の座席を埋めた観客も、梅枝の女形の演技よりも、三曲の演奏がきちんとできるかに神経がいっているように思えた。なぜかというと、琴、三味線、胡弓が演じ終わるたびに、ホッとしたような空気(あるいは、ため息)のようなものが感じられた。その後、盛大な拍手、そして、大向こうからの声(「萬屋!」)が掛かった。ミスがなかったと思われる演奏が、終わるたびに、この、拍手が繰り返され、時に屋号が叫ばれたからである。

 そういうことで、私が観た舞台の範囲でしか言えないが、梅枝は、まあ、三曲の演奏のミスもなく、初役の阿古屋を無難に勤め上げたと思う。演奏の技術的なことは、私では判断できないが、梅枝の三曲では、胡弓の演奏が、いちばん巧く、次いで、三味線、私がいちばん、ハラハラしながら聞いていたのは、琴だったような気がする。しかし、2回目、3回目と阿古屋を勤める回数が増えてくれば、観客は、玉三郎のレベルへの芸の向上を期待するようになるだろう。

 今回は、玉三郎が主役を譲り、本人は脇役に回って、舞台裏、舞台上と手厚く見守ってくれ、事前の稽古を含めて長い時間をかけた指導もあり、梅枝、児太郎とも初々しくも初役に挑んだ。ならば、壱太郎のところでも書いたように、梅枝、児太郎は、まず、玉三郎の所作の外形を徹底的に真似ることである。先達の指導をなぞるように努めなければならない。
 いずれ、外面の真似を繰り返すうちに、内面も真似られるようになるだろう。さらに、いずれ、梅枝、児太郎の独自性も付加され、また、梅枝、児太郎の、それぞれの違いも身についてくるようになるだろう。梅枝と児太郎は、同じ時期に玉三郎から、丁寧な指導を受けた同士だということで、今は、難役に向かう、いわば「戦友」というような意識で、互いに励ましあいながら、ということかもしれないが、いずれ、ライバル心も芽生えてくることだろう。いずれにせよ、歌舞伎界の財産演目のひとつである、「阿古屋」を継承し、磨いて行くことが、何よりも大事である。

 梅枝の阿古屋は、秩父庄司重忠(彦三郎)に、最後に「この上は、構いなし」と、無罪の判決を言い渡される。梅枝も、阿古屋を演じ終えて、「無罪放免」という心境になっただろうか。

◆ 『浅草から歌舞伎座へ』~松也の飛翔~

 18年1月浅草歌舞伎。「元禄忠臣蔵 ~御浜御殿綱豊卿」では、浅草歌舞伎の座頭・松也が主役の綱豊卿を演じる。ほかの配役は、巳之助が富盛助右衛門、新悟が祐筆の江島、米吉が中臈のお喜世、これに加えて、ベテランが脇を固める。歌女之丞が上臈の浦尾、錦之助が新井白石(通称・勘解由)ほか。若手を引っ張り、ベテランとの融和する松也。

 松也の綱豊は、特に科白廻しが仁左衛門そっくりに聞こえたりする。松也は、仁左衛門を目標に綱豊の役作りをしているのではないか。尾上松也は、二代目。初代は、叔父の大谷桂三。父親は、六代目尾上松助。脇役として味のある役者だった。20歳の時に松也は父親を失ったが、今、誰に師事して指導を受けているのか。華があり、口跡も良い。声がよく響く。次代を担う若手の歌舞伎役者の一人であることは間違いない。

 松也が、15年から加わった新春浅草歌舞伎では、4年目を迎え、座頭としての風格が一段と上がったようである。盟友の巳之助が難しい助右衛門役をきちんとこなしている。米吉のお喜世が可愛らしい。新悟の江島は、綱豊の秘書役として、有能ぶりを発揮していた。

 18年12月歌舞伎座。「幸助餅」では、松也が主役の幸助を演じた。「幸助餅」は、上方落語の味を染み込ませた新作歌舞伎の世話物だ。本来は、松竹新喜劇の大正時代からの演目。1915(大正4)年12月、京都の夷谷座初演。05年1月、大阪松竹座で、当時の翫雀(当代の鴈治郎)が、歌舞伎として初演した新作歌舞伎。歌舞伎座では、今回が初演。鴈治郎が主役の大黒屋幸助として再演を重ねてきた演目を今回は若手の松也が主演する。

 松也は、今年の正月は、若手花形歌舞伎の座頭として浅草歌舞伎に出演していた。既に触れたように「元禄忠臣蔵 ~御浜御殿綱豊卿」で松也が主役の綱豊卿を演じていた。その松也が、師走の歌舞伎座では、「幸助餅」の主役を演じる。数年前では、考えられなかったような配役ではないか。松也の実力もさることながら、歌舞伎界の中堅どころの役者衆の不足(ベテラン中堅役者の近年相次いだ逝去の影響が痛ましい)が、こういう配役を生み出している面もある。若手たちは、厳しい修業に耐え、歌舞伎界の期待に応えて大活躍している。この危機をなんとしても乗り越えて行ってほしい。

 新年の19年1月、松也の浅草歌舞伎は、5年目に入る。松也は、「源平布引滝 義賢最期」で、主役の木曽先生義賢を演じ、「寿曽我対面」では、主役の曽我五郎を演じる。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)日本ペンンクラブ理事 『オルタ広場』編集委員

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