【北から南から】中国・吉林便り(20)

芸術・スポーツの秋というけれど

今村 隆一


 9月18日は柳条湖(満州)事変、中国では「九一八事変」の日。1931年のこの日、関東軍の手により瀋陽(当時の奉天)柳条湖で南満洲鉄道の線路が爆破され、それを中国軍の行為と偽り戦闘が開始された日です。

 中国では10月1日から8日までは国慶節と中秋節の連休となります。
 さて今年の夏休み後半は、7月27日から私は吉林市にいて、主なレジャーは戸外活動での登山、映画館での映画鑑賞、吉林市人民大劇場での音楽鑑賞などでした。そして8月21日から北華大学の新学期が始まりました。

 日本以外の多くの国が学期の始まりとなります。8月末は新入生の入寮で、毎年キャンパス内外で生活用具が売られます。そして中国では短期大学を含めすべての大学で軍訓(軍事訓練)が行われます。春に実施されたこともありましたが、今年は秋で授業開始に先立って始まりました。一年生全員が兵隊の作業服である緑の迷彩服に身を包み、朝からグランドに整列し解放軍の指導者に導かれての訓練が4週間行われます。一目見て約2千人の隊列は壮観に見えます。私にとっては未だその光景が慣れるに至っていないので、異様に映り、不必要な行事にさえ感じています。ただ韓国青年男子の兵役2年義務同様、国家の置かれた現実と歴史からその訓練が実施されているのだ、と理解しています。
 以前、軍訓について「あれは戦争のための訓練ではなく身体鍛錬なのです」また「あのお蔭で他学部の学生と知り合いになれた」と男子学生から聞いたことがありました。雨が降るとグラウンドでの訓練が教室での坐講になり喜ぶ学生が多かったので、当然のこと、楽しい身体鍛錬ではないことは確かなようです。

 今年の私は吉林にいる時の週末は戸外活動で比較的軽い日帰り登山を続けています。それ以外では今年の夏に日本の高校野球のライブ実況がネットで見れることがわかり、東京地区大会から、甲子園でのゲームも大概見ることができ、吉林生活が長くなった私にはこれまでになく高校野球観戦の楽しさに魅了され、外国にいることを忘れるほどで、新聞社のデジタル放映ではコマーシャルがない分、野球だけに熱中できました。

 8月15日は日本政府が72年前無条件降伏をした日で、この日は「敗戦記念日」と言うのが正しく、終戦記念日と呼ぶのは間違い。ことさら「終戦」表現にこだわるマスコミこそ、日本の多くの人に間違った認識で感化してきたわけで、その罪は大きい。毎年この日、中国TVでは日本が侵略戦争に失敗し降伏した日として、戦時と降伏に至る記録と現在の平和を訴える日本での運動や活動を紹介します。今年も例年どおり昭和天皇と東京裁判、そして敗戦を契機に平和を希求した日本国憲法の成り立ちを紹介しました。今年の特徴としては村山談話の意味、そして戦時、広島県竹原市にあった陸軍の毒ガス製造遺跡(大久野島毒ガス資料館)と子供たちが歌う「大久野島之歌」を紹介しました。また人民日報は安倍首相が靖国神社に自民党総裁の名で玉串料を自費で奉納し、参拝は見送ったこと、また小泉進次郎自民党副幹事長、千葉県の森田健作知事や参議院議員、あの安倍首相側近中の側近―「官邸は絶対やる」、「総理のご意向」、「官邸の最高レベル」発言で名を売った、加計学園職員(千葉科学大学客員教授)でもあった萩生田光一自民党議員などが相次いで参拝したことも報じました。

 私の日課としてインターネットで日本メディアのニュースキャッチは、日によって多少の時間差はありますが毎日しています。なかでもNHKラジオニュースは欠かさず聞きますが、最近の北朝鮮の動向の多さと不必要だと感じる皇族報道には、聞いていて日本のリスナーの関心事ではない、為政者による押し付けとしか思えず、不快感が極度に募りました。また私には戦後最低に思える安倍首相、安倍内閣の支持率の発表には、どうして?ホント?とマスコミへの疑惑と不信感が湧くのが習い性となった感があります。

 中国のTVとネットでは北朝鮮のミサイル発射や核実験報道についてのニュースは頻繁にされていますし、韓国での米軍ミサイルTHAAD(サード)配備は緊急的外交問題として顕在化していることが感じられます。一方中国メディアの韓国でのサード設置反対と沖縄での米軍基地建設阻止の住民運動の激しさも動画配信が頻繁にされています。中国政府は現在同様且つ将来も世界の平和と発展に積極的に貢献し続けるでしょうが、極東に当たる朝鮮半島と日本列島抜きに発展はありえない、そのことを8月28日発信の中国中央テレビ局(CCTV)製作の“大国外交―大国への道”の中で中国政府が自ら表明していることを、習近平主席や王毅外交部長の発言からは名指ししないまでも聞き取ることができます。日本政府指導者から中国政府指導者のような理想に満ちた表明が聞けない(うわべだけの軽い発言だけと感じる)ことは残念と言うしかありません。このように言うと私は日本の人から決まって批判されますが、決して中国政府は間違ったことをしていない、と主張しているのではありません。9年間吉林に住んで中国の政治的負の部分を未だ私が実感していない(些細なことはあります)だけのことかも知れません。

 さて9月3日から5日まで福建省厦門(アモイ)市でBRICSビジネスフォーラムが開催されました。中国ではこの会議を「2017年金磚国家工商論壇」と表記しました。ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5か国の英文頭文字がBRICS、英語で「brick」は「レンガ」で、レンガは漢字では「磚」なので、5か国を漢語で「金磚国家」と表記し使っており、いかにも漢字の国、中国らしい所です。TVニュースでは習近平主席の出番が突出して多く、宣伝と報告が繰り返し報道されました。

 厦門(アモイ)は東西13km、南北14kmの島で、国際的にもアモイで通用しており日本の人にも知られていると思います。
 「食在広州(食は広州にあり)」に対して「学在厦門(学は厦門にあり)」と言われます。それは地域を代表する厦門大学が南の厦門湾に面してあり、広い大学キャンバスは緑が多く、景色の美しさと図書館など充実した設備を誇る大学であることからです。

 また魯迅が1902年から7年間の日本留学(清国の国費留学生)を経て帰国し、辛亥革命後の軍閥政府と中華民国政府の迫害から避難するため、北京から赴任したのが厦門大学です。1926年の夏から1927年1月までの短期間ですが同大学に身を寄せ、その後広州に移っています。厦門大学にいた1926年10月に、日本留学時指導を受け、唯一彼が尊敬したと言われる日本の恩師そして東京と仙台での思い出を綴ったエッセイ《藤野先生》を執筆したのでした。

 私は2014年、5月連休を利用して4日間だけでしたが厦門を旅行したことがありました。緑の多い大学のキャンバスには、観光バスが10台ほど停車できる広いバス停留所があり、小旗を持ったガイドに多くの観光者が連れられていたのには驚きましたし、校舎内と校庭のおしゃれな喫茶店と新しくはないが落ち着いた音楽会場もあり、私は入場無料を良いことに2日間もチェロと琵琶の演奏を聞きに行きました。

 厦門は歴史も古く唐の時代から城が築かれて、明の時代に港が繁栄し、アヘン戦争後開港しました。厦門島の西南500m程にコロンス島(鼓浪嶼)という、1902年にイギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ等が領事館などを建て共同疎界地となり、1942年に日本軍が占領した、面積1.78k㎡の有名な島があります。100年以上に及んだ外国統治は1949年の中華人民共和国建国に伴って終わっています。この島は建物に異国情緒が強く残っていて、自動車利用が制限され道路は狭い上、バッテリーカーまたは徒歩で観光するところが観光地として特徴的でした。厦門でのBRICS会議のため、沿岸に国際会議センターやビルが建ち、目を見張るモニュメントで夜ライトアップされたのをTVで見て、厦門の発展の速さと変化の大きさに驚きました。

 9月10日は中国では「教師節(Teacher's Day)」(韓国にもあり)となっています。1985年に制定されたもので祭日ですが休日にはなっていません。今年は日曜日でしたので、学生からは「先生、教師節おめでとうございます」とQQや微信(WeChat)でメッセージが送信されてきましたので、返礼に忙しい週末になりました。

 先に触れたように今夏もいくつか吉林周辺の山を歩いたことで、大雨災害に関連したことを報告します。ただ大雨災害は、毎度のように「中国は災害超大国」と私が記しているように夏期から秋に入った9月も南方の広東省と広西自治区では台風による洪水が、重慶市では豪雨の洪水が発生しており、災害が止むことがない今年の春夏秋です。

 先ず、藤田恵さんがメールマガジン「オルタ」164号(2017.8.20)『土石流災害等は「拡大造林」が元凶の人災』で述べておられるように、吉林周辺の水害も人災ではないか、と推察したことです。私は7月12日から13日にかけて黒竜江省漠河にいて、当地も局地的に集中豪雨に見舞われていたのですが、吉林一帯でも同様の豪雨があり、吉林市の南約30kmにある永吉県は街の西を流れる温徳河が溢水し街全体が洪水被害が発生しました。

 この河は2012年7月末にも氾濫し街が水に浸かっています。川幅は200m程ありますが南の上流からはほゞ一直線で下流に位置する永吉の街に向かっています。上流の支流の至る所に小規模なダムと堰が多く、永吉県は清朝末期の施政が及んだ歴史を持ち吉林市に近距離とあって、河川や道路整備が比較的進んだ地域でもあります。5年前の洪水は降水時の小規模ダムの放流が原因の一つとなり、温徳河の水量が瞬時に上がったことが報告されました。その後温徳河の改修は河川壁と壁面歩道が整備されましたが形状は直線のままでした。上流の枝線に当たる河川も、藤田さんが触れていた「わんど」(湾処と書く「水たまり」)は私が山を歩いて目にした範囲では吉林市の東に位置した地域に比べ少ないように感じていました。

 豪雨の約1月後、吉林市区部(中心区)の郊外にある永吉県の東側に位置する烟圡砬子600mに登った時、大豊満屯という村の中を流れる魏家溝(中国では小川や谷のことを溝と呼ぶことが多い)という川幅5mから3mほどの流れの距離1km弱が全域土石流で溢れていました。2015年5月に初めて登った時は、整備された緑の美しい谷を横目に見て通った一帯が、目を疑うほどの大量の大小の土砂で破壊されたのでした。吉林市中心部から車で一時間足らずの近距離にあり整備が進んだ小川は集中豪雨の排水に勢いをつけ、小さな河川下部一帯を土石流で襲った跡を残していました。30軒ほどの都市近郊農村の人たちの当時の恐怖は如何ほどだったかと思いました。

 今夏は吉林市の東と東南に位置する地域では、雷雨が登山時に何度かあり、あたりが暗くなったり、強烈な雨に会い、私たち登山者仲間には道に迷った人が出て、そのため私も帰宅が夜中の1時過ぎになったことがありましたが、街一帯の洪水は出ずに済んだようでした。藤田さんが述べておられるように土石流災害の原因は大雨ばかりでなく、河川整備や治水名目の工事、必要以上の広幅員の林道整備や舗装が排水速度を速め河川決壊の元凶になっていることは、吉林周辺の山や河川を見ていて、素人ながら指摘のとおりと感じました。吉林市では中心を流れる松花江(ソンファジァン)の上流の東側に観光地として整備が進んでいる朱雀(チューチェ)山871mがあり、その頂上近くを横断する林道が山を斜めに刻んでいる工事が進んでいることが、8月17日に登った豊満東山870mから見えました。現地に足を運んでいないので判りませんが、山下一帯に洪水が発生しないよう林道の排水に配慮した整備であってほしいと願っています。

 (中国吉林市・北華大学漢語留学生・日本語教師)

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