【コラム】
大原雄の『流儀』

蔓延したコロナ禍の中で…、歌舞伎風景(3)

大原 雄

★ コロナ感染爆発抑圧対策は、あるか

歌舞伎界の横道や裏道にも入り込みながら、10月、11月の歌舞伎座や国立劇場、つまり日本の代表的な「芝居小屋の場内コロナ禍対応」ぶりを記録していたら、世界中、コロナ禍・激震(世界の感染者は、1億500万人を、とうに超えている。2・6現在)となり、日本列島にも、コロナ禍は、津波のように押し寄せてきた。さらに、安倍政権から派閥の力を利用して、成立した無派閥政権の菅政権の、コロナ禍対応の「失政」で、懸念していたコロナウイルス「オーバーシュート」(感染爆発)状態を呼び込んでしまった。

年明け早々の1月8日から東京を核に首都圏を始め、大阪、愛知、福岡など10都府県で緊急事態宣言の発出となって、1ヶ月、さらに延長(栃木のみ解除)。日本列島は、芝居小屋の外にも、飲食店、スーパーマーケットなど業種を問わず、既に、歌舞伎座や国立劇場並みの掲示やマーキング(ソーシャル・ディスタンスの強調など)が目立つようになっていて、「歌舞伎風景(1)」で書いたような風景は、もう、日常風景。珍しくもない。これは、「社会の芝居小屋化」とでも言える現象だろう、と思う。読者の皆さんも、瞬く間に、あちこちで見かけるようになってきて、業種や場所を超えてあちこちで馴染んでしまっている。こういう変化というか、流行は、早い。まあ、「歌舞伎風景(3)」でも、このままのペースで書き続け、この項目は、今回で一応「終了」ということにしたい、と思う。

アメリカのトランプ前大統領は、大言壮語のトランプ流遊泳術に自ら溺れて、津波の海面下で溺死してしまったようだが、彼がアメリカのデモクラシーの歴史に残した爪痕は、大きく、醜い。「コロナとデモクラシー」は、彼のさまざまな顔を有権者に見せつけた。結局、それが、彼の政治家としての命取りになった、と思う。日本でもコロナ感染予防失敗問題(特に「GoToトラベル」。ウイルスは、人の移動や接触でしか、感染が拡大しない)は、トランプ政権同様、菅政権の命取りとなり、これに執着すればするほど、菅政権は、早晩、「倒閣」(内閣総辞職)か、「解散」か、という大波に飲み込まれるのではないか、と思われるが、菅政権は、未だに気が付いていない。コロナ感染爆発抑圧対策は、あるか。あるとしたら、どういう対策が有効か。

●歌舞伎座の感染抑圧対策

歌舞伎座は、伝統芸能・歌舞伎というタイムマシーン装置。江戸行きのタイムトラベラーのための魔法の箱。劇場は、社会の縮図。芝居小屋は、人生の実験箱。

歌舞伎座の4部制のチケットは1等席が8,000円、2等席5,000円、3等席3,000円で、桟敷席や幕見席は販売しない(桟敷席は、11月から販売を始めた)。座席数も前後左右を空けた配置とするため、通常の1,808席から半分以下の823席とする(10月まで。正月興行からは、一部では、左右の席は、「並び」=隣接して客を入れている。つまり、座席数を若干増やした)。

なお、歌舞伎座の主な新型コロナウイルス感染予防対策の一部は、以下の通り(原文ママ)。

【お客様へのお願い】
・咳やのどの痛み、発熱、味覚や嗅覚の障害、倦怠感等、少しでも体調がすぐれない場合は、ご来場をお控えください。
・劇場にて感染の疑いのある方が発生した場合、お客様の氏名や連絡先を保健所等の公的機関へ提供させていただく場合がございます。そのため、できる限りご購入者様がご来場くださいますようお願いします。
・入場時のもぎり(引用者注:チケット半券の切り離し処理=「モギリ」という)はスタッフが券面の確認を行った後、お客様ご自身でチケットをもぎって備え付けの〈半券ボックス〉に半券を入れてください。
・入場時はマスクのご着用の確認、手指の消毒、検温を実施いたします。
・劇場内では必ずマスクをご着用ください。ご観劇中もご協力をお願いいたします。
・マスクをご着用いただいていても、客席内での会話はお控えください。

きめ細かい、というか、なんとも日本的な執拗な対応ぶりであり、文言ではないか。

このほか、目についたところでは、以下のようなものもあった。

・大向こうや掛け声を控えるよう求める
・出演者へのプレゼント、手紙、面会は控える
・ブランケット、座布団、オペラグラスの貸し出しを一時的に休止する
・幕間がない公演のため、必要な水分補給を除き劇場内での飲食を控える(幕間は、短めながら、3部制興行からは、幕間も復活)

歌舞伎座は、八月の舞台再開後、一部役者の休演は、限定的ながらあるものの、公演中止は免れている。国立劇場は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、限定的ながら公演中止を経験しているから、そういう意味では、歌舞伎座、というか、松竹の対策は、観客の感染者を一人も出さないなど、成功している、と言えるだろう。一方、目下、東京など10都道府県では、緊急事態宣言発出継続(3月7日まで延長)中であるが、歌舞伎座の興行は、上記のペースで推移している。

●国立劇場の感染抑圧対策

国立劇場内で配布している予防対策のチラシの内容は、歌舞伎座の予防対策と共通する部分が多く、概ね変わらないようなので、記載は省略するが、目についた現象は書き留めておきたい。こういう細かな記録は、一般的には、多くの人の目に触れていないだろう。

国立劇場正面入口の前には、ベンチがいくつか置かれていて、早めに来た観客は、ここに座り、開場を待っている。このベンチが、今、どれにも赤いテープで、大きなバッテンがつけられている。その上、「椅子を挟んで、離れて座る2人の人のイラストが描かれた」大きなシールが貼られている。シールには、また、「一定の間隔を空けてお座りください。一定の間隔を保ちましょう。」などと書かれている。

劇場内に入るためには、入口ではチケットを見せるだけ(目視で確認)、消毒剤を吹きかけての手指の消毒をし、サーモグラフィーによる検温をする。「37.5度以上の発熱があるお客様のご来場は、ご遠慮いただきます」。「マスクを着用でないお客様のご入場はご遠慮いただきます」。「なお、入場をお断りした際は、チケット代金を払戻しさせていただきます」。チケットもぎりは、「お客様ご自身で半券をお切り取りの上、指定の箱などにお入れください」。この辺りは、歌舞伎座と同じ「思想」である。

ロビーに貼られたポスター。『新しい鑑賞様式』(新型コロナウイルス感染予防対策)「劇場の取り組み」では、黒衣のイラストが劇場側の対策をピーアールしている。「お客様へのお願い」では、夕霧、五右衛門、由良之助、連獅子、静御前のイラストたちが、それぞれ「体調不良の時はおうちに」(夕霧)、「マスクの着用を」(五右衛門)「手洗いと手指消毒を」(由良之助)、「間を空けて」(連獅子)、「お静かに」(静御前)などと呼びかける。歌舞伎座と違って、こちらは食堂、喫茶室、売店は、一部営業していた。

客席のうち、禁止座席は、「この席はご使用になれません」と書かれたシートで覆われている。エレベーターの中に入ると、床に3人分の足跡(というか、3人分しかマーキングされていない)が描かれている。トイレの入口にも足跡が描かれ、KEEP DISTANCE の文字があるシートが間隔をおいて貼り付けられている。

しかし、歌舞伎役者らの「肉体」に対する感染拡大防止対策は、どうなっているのか、いまひとつ、判らないのではないか。「3密」対策が、間違っているわけではないが、ウイルス「撲滅」、あるいは、ウイルス抑制による「共存」のための、決めて対策からは、程遠いのではないか。あちこちで急がれているワクチンも、ここへきてテンポアップがなされ、私の目には、「拙速」気味に映るが大丈夫であろうか。さらに、副反応、副作用なども、気がかりである。特に、アレルギー体質のある私など、ウイルスの前にワクチンに命を預けてしまって良いのか、と不安になる。そういう懸念を持つ人も多いらしい。

★「顔見世月」のムーン・トラベル(歌舞伎座と国立劇場)

江戸時代から11月(ただし、正確には旧暦)は、芝居小屋では顔見世月興行となる。「顔見世月」とは、江戸時代の芝居の世界では、「正月」のことである。新年に当たり役者や作者などのデモンストレーション行事であった。

ところが、2020年の11月は、日本列島コロナ禍蔓延である。11月19日、日本列島では、高止まり状態になっていたコロナウイルスの1日当りの感染者が、2,000人を超えた。同じく東京都は、1日当り500人を超えた。その後、さらにさらに、感染は、1日当たり1,000人だ、2,000人だと増え続けているのが実情だ。第3波のピーク状況だろう。「過去最多」という情報が連日、マスメディアでは乱発されているのは、ご承知の通り。きのうより、きょうが怖い。

 既に、「オーバーシュート」という「感染爆発」状態に「右肩上がり」で、ピークへ、と近づいている。2度目の緊急事態宣言も、高止まり、横ばいで、ピークを迎え、下り坂になれば、いくらかでも、被害を抑制できるだろうが…。その気配は、希薄か微弱だ。緊急事態宣言延長で「ピークアウト(峠越え)」の状態になったとしても、東京都での感染者数を一桁に追い込み、ゼロに近づけたとしても、近づけ方の工夫が必要だろう。

<歌舞伎座十一月歌舞伎>
 第一部(午前11時開演)の演目は、「蜘蛛の絲宿直噺」。主な配役は、傾城薄雲など「五変化相勤め申し候」の猿之助を始め、坂田金時(猿弥)、貞光女房桐の谷(笑也)、金時女房八重菊(笑三郎)、隼人(源頼光)、中村福之助。つまり、猿之助以下の澤瀉屋一門の舞台。先代猿之助時代の澤瀉屋の賑わいが懐かしい。
 第二部(午後1時50分開演)の演目は、「身替座禅」。主な配役は、山蔭右京
(菊五郎)、奥方玉の井(左團次)ほか。菊五郎の持ち役。
 第三部(午後4時45分開演)の演目は、「一條大蔵譚」の「奥殿」。主な配役は、一條大蔵長成(白鸚)、常盤御前(魁春)、吉岡鬼次郎(芝翫)、女房お京(壱太郎)ほか。高麗屋・白鸚の胸を成駒家の貴公子・壱太郎が借りる、ということだろう。
 第四部(午後7時30分開演)の演目は、「義経千本桜」の「川連法眼館」。主な配役は、佐藤忠信、佐藤忠信実は源九郎狐(獅童)、静御前(莟玉)源義経(染五郎)、駿河次郎(團子)、亀井六郎(國矢)。獅童が最若手の役者を指導か。

<国立劇場十一月歌舞伎>
演目と主な配役は、次の通り。
 第一部(午後0時開演)の演目は、「平家女護島 ~俊寛」。滅多に上演されない序幕「六波羅清盛館の場」を二幕目「鬼界ヶ島の場」の前に付けた貴重な舞台だった。権力を握った男の傲慢ながら、きらびやかな生活と地獄のような絶海の孤島での厳しい生活が対比されて描かれ、この狂言の本質を一段とくっきり浮き彫りにする後世になっていた。主な配役は、平相国入道清盛、俊寛僧都の二役(吉右衛門)、海女千鳥(雀右衛門)、俊寛妻東屋、丹左衛門尉基康の二役(菊之助)瀬尾太郎兼康(又五郎)、能登守教経(歌六)ほか。菊之助は、七代目菊五郎の嫡男であり、二代目吉右衛門の娘婿である、という立場を活用して、これまでの真女形の芸域を女形も立役も兼ねる芸域の役者に成長・成熟の途上にある。コロナ禍と対抗しながら国立劇場が、こういう演出に踏み切ったことに賛意を送りたい。

 第二部(午後4時30分開演)の演目は、「彦山権現誓助剣 ~毛谷村」。主な配役は、毛谷村六助(仁左衛門)、一味斎娘お園(孝太郎)、微塵弾正・実は京極内匠(彌十郎)、一味斎後室お幸(東蔵)ほか。「文売り」では、文売り(梅枝)。「三社祭」では、悪玉(鷹之資)、善玉(千之助)。

既に触れたように、国立劇場(第二部)「毛谷村」出演の孝太郎が、コロナウイルスの陽性反応が出たということで、国立劇場では、11月22日から25日の千秋楽まで、第二部の公演そのものを中止とした。十二月歌舞伎からは、通常通り、公演再開した。

★ 歌舞伎風景は、蘇るか

未来の歌舞伎風景を占う舞台になるか。11月以降の歌舞伎座と国立劇場の演目と配役をチェックしてみたが、未来を見据えた新しい潮流は、まだ見えてこない。
歌舞伎座は、顔見世(十一月)歌舞伎も、4部制。ただし、十一月歌舞伎から、桟敷席も販売開始するようだ。次第に、芝居小屋は、従来の日常の形に戻って行くのか。それは、いつ頃からか?
松竹の方針では、4部制は、取り敢えず、12月までで、1月の歌舞伎座・初春歌舞伎からは、3部制に戻ったが、本来の昼夜2部制復活は、まだ、目処が立っていないようだ。私の目から見れば、3部制では、演目の「闊達さ」が失われたままなので、従来のような、観劇の楽しみが削がれてしまっている。

国立劇場の方が、劇場運営や演目演出などを見ると、もっと従来の形に近くなっている。1月は、1演目(通し狂言)上演で、上演形態は、去年と変わらない。しかし、「従来の形」という経験値対応では、孝太郎のコロナウイルス陽性判明などでなどで判るように、歌舞伎に限らず、劇場公演などのイベントも、確信的な対応策はなく、ギリギリのところで判断していて、薄氷を踏む思いで公演を続けているのが、興業側関係者の本音というところではないのか。

それとも、若い歌舞伎役者などの間で模索が始まったような、新しい上演形態(デジタル映像化)に変わって行くのか。変わって行くとすれば、江戸から明治へ時代が変わった時、劇場内にも、文明開化が訪れ、場内に「電気」が点り、人力に頼っていた舞台機構が電力に操作を任せるようになったのと同じ改革をデジタル化は強いてくるのだろうか。

既に触れたように、十一月歌舞伎は、「顔見世月」歌舞伎。江戸時代なら、浮世絵に芝居町の正月風景が描かれることだろう。この芝居小屋では、「向こう一年、こういう顔ぶれで興行します。観に来て下さい」、というメッセージが託される興行だ。しかし、客が不入りなら、潰れてしまう。役者も演目も変わってしまう。観客の心は気ままだ。ご政道(政権)からの厳しい注文も今と違って、露骨にあったことだろう。厳しい大衆文化の世界で生き抜く歌舞伎の戦いは、未来も続く。未来の歌舞伎風景は、果たして、どういう展開になっているだろうか。

<歌舞伎座十二月歌舞伎>
 第一部(午前11時開演)
愛之助、松也の「四変化 弥生の花浅草祭」という舞踊劇。21年1月の浅草歌舞伎は、公演せず、ということなので、12月と21年1月向けの浅草対策だろうか?
 第二部(午後1時30分開演)
「心中月夜星野屋」という落語が素材の新作歌舞伎。出演は、おたか(七之助)、星野屋照蔵(中車)、母お熊(猿弥)、和泉屋藤助(片岡亀蔵)ほか。
 第三部(午後4時開演)
「傾城反魂香」。人気演目。浮世又平・後に土佐光起(勘九郎)、狩野雅楽之助(團子)、土佐修理之助(鶴松)、将監北の方(梅花)、土佐将監光信(市蔵)ほか。
 第四部(午後7時15分開演)
「日本振袖始」。岩長姫・実は八岐大蛇(玉三郎)、素盞嗚尊(菊之助)、稲田姫(梅枝)ほか。玉三郎は、コロナ禍で、孝太郎の濃厚接触者として確認され、一部期間休演。菊之助が代役。

私は、12月歌舞伎座の初日チケットを購入したが、初日の12月1日の時点で、東京都が前日までの7日間連続で感染者が300人以上という状態が続いており、特に8日目は、500人を超えるという実状で、日本列島はコロナウイルス感染拡大状況がよりひどくなっていた。特に東京などの都市圏では、「蔓延」という感じなので、私は都心にある歌舞伎座へ出向いて行く観劇を今回は断念した。

先に触れたように、玉三郎は、孝太郎の濃厚接触者として確認されたため、12月1日の歌舞伎座初日に出演叶わず、菊之助を代役に立てざるを得なくなった。玉三郎は、12月9日から配役通りの出演となった。

<国立劇場十二月歌舞伎>
 第一部(午前11時開演)
「三人吉三巴白浪」。主な出演者は、お嬢吉三(時蔵)。お坊吉三(松緑)。和尚吉三(芝翫)ほか。
 第二部(午後3時30分開演)
「天衣上野初花」。主な出演者は、河内山宗俊(白鸚)。高木小左衛門(彌十郎)。松江出雲守(梅玉)ほか。
合わせて、所作事の演目で、「上 鶴亀」。女帝(福助)ほか。「下 雪の石橋」。獅子の精(染五郎)。

<歌舞伎座一月歌舞伎(「寿 新春大歌舞伎」)>
3部制復活。5ヶ月続いた4部制は、2月以降も、無くなるか。以下、歌舞伎座から届いたメール。以下、引用(表記などは、原文ママ)。

●2021年1月から三部制公演(各部総入れ替え、幕間あり、2演目)となります。
●お客様の安全安心を第一に考え、俳優及び舞台関係者の健康にも万全を期すことを徹底させていただくため、引き続き50%の座席使用を維持しますが、この範囲内で2席並びの座席を一部のエリアで設定いたします。
●短い幕間となりますので、必要最低限の水分補給を除き、場内客席内でのお食事はお控えくださいますようお願いいたします。
●検温や手指消毒などの「お客様へご理解とご協力のお願い」「劇場での取り組み」は従来通り実施させていただきます。
(引用、終わり)

 第一部「壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)」。曽我ものの演目のひとつ、「対面」をアレンジか。今年の(あるいは、今年「以降」という意味か)公演が中止となった新春浅草歌舞伎の松也を軸にした若手役者たちの舞台。主な配役は、曽我五郎(松也)、曽我十郎(隼人)、大磯の虎(米吉)、化粧坂の少将(莟玉)ほか。/猿翁十種から。「悪太郎」。「松羽目もの」という。「狂言」ものをアレンジした1924年初演の新歌舞伎。岡村柿紅原作。主な配役は、悪太郎(猿之助)ほか。
 第二部は、先日亡くなった藤十郎を偲んで。新作歌舞伎。「夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)~由縁の月」。主な配役は、藤屋伊左衛門(鴈治郎)、扇屋夕霧(扇雀)ほか。/「仮名手本忠臣蔵 ~祇園一力茶屋」。主な配役は、大星由良之助(吉右衛門)、遊女おかる(雀右衛門)、平岡平右衛門(梅玉)ほか。安定感のある配役。吉右衛門は、過労ということで、1月下旬1週間ほど、体調不良で休演となった。ただし、千秋楽前に舞台復帰。吉右衛門休演中の代役は、大星由良之助(梅玉)、平岡平右衛門(又五郎)であった。
 第三部「菅原伝授手習鑑 ~車引」。主な配役は、松王丸(白鸚)、梅王丸(幸四郎)、桜丸(染五郎)ほか。高麗屋三代の揃い踏み。/「らくだ」。「落語」ものをアレンジした新作歌舞伎。岡鬼太郎原作。主な配役は、手斧目半次(芝翫)、紙屑買久六(愛之助)、糊売婆おぎん(梅花)ほか。

<国立劇場一月歌舞伎(初春歌舞伎公演)>
(午後0時開演)
「四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)」。江戸中期の作品。「四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)」は、1815(文化12)年、江戸の中村屋で初演された顔見世狂言。晩年は、中村座専属で、四代目鶴屋南北のライバル的な存在だった福森久助(炭問屋の若旦那から、芝居に溺れて、勘当され、狂言作者になった)らが、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、三代目尾上菊五郎、七代目市川團十郎の4人を四天王に見立てて原作を書いた。三代目尾上菊五郎、七代目市川團十郎は、襲名披露の舞台でもあった。狂言作者で、蔵を建てたのは、南北と久助のふたりだけだといわれるほどである。通し狂言形式での上演復活。場の組み立ては、以下の通り。

「序 幕 」 相馬御所の場
「二幕目第一場」羅生門河岸中根屋座敷の場
「同 第二場」同 花咲部屋の場
「三幕目第一場」二条大宮頼光館の場
「同 第二場」同 寝所の場
「大 詰」北野天満宮の場

主な配役は、菊五郎(鳶頭中組の綱五郎 実は渡辺源次綱)、松緑(相馬太郎良門、平井左衛門尉保昌、袴垂保輔)、菊之助(女郎花咲 実は葛城山の土蜘蛛の精、大宅太郎光圀)、時蔵(茨木婆 実は良門伯母真柴、一条院)ほか。国立劇場は、去年までの一月歌舞伎公演の上演形式に戻った。「四天王御江戸鏑」は、国立劇場では、10年前(2011年)に約200年ぶりに復活、同じく菊五郎劇団で上演されている。私も、その時に観ている。この時は、五幕八場であったが、今回は、四幕六場に再構成されている。床の間の、飾りものかもしれないが、前回あった「暫く」や「だんまり」という歌舞伎独特の遊び心に溢れた演出が省略されている。これも、「3密」防止対策か。

「四天王御江戸鏑」の劇的な「世界」は、「前太平記」。テーマは、源氏の朝敵征伐と土蜘蛛退治。平安中期の武将・源頼光朝臣と家臣の四天王(渡辺綱、碓井貞光、酒田公時、卜部季武)、一人武者の平井保昌。敵対する平将門一族(相馬太郎良門ら)という図式。それに加えて、三代目尾上菊五郎襲名披露の調味料として、市村羽左衛門から初代尾上菊五郎に伝わった菊五郎家の「家の藝」である「土蜘蛛」という妖怪を登場させるという「趣向」である。

贅言1);1801(享和元)年に刊行された『戯財録(けざいろく)』という本には「世界は、竪筋(たてすじ・つまりストーリー)、横筋(よこすじ・つまりエピソード)は、趣向」という趣旨が記載されている。劇の「世界」を定めることで、役者やスタッフ(裏方)も、役づくりや衣裳・かつらなどの準備がしやすかった。例えば、「曽我物語の世界」と決めたなら、主役の五郎は荒事、十郎は和事、工藤は実悪、大磯の虎は傾城、朝比奈は道化というように、人物と役柄の基本設定が関係者全員に共有される。
また、江戸時代には、実際の社会的・政治的事件をそのまま芝居に脚色するとご政道批判となるとして、禁止されていた。禁じられていたことをやると、刑罰が科せられたので、芝居の設定を過去の「世界」に仮託して、当時の世間で知られた題材を芝居にすることができた。例えば、1702(元禄15)年の赤穂浪士の吉良邸討ち入りは誰もが知っている大事件でしたが、浄瑠璃も歌舞伎もこれを「太平記の世界」という「物語」として受け入れていた。観客たちは、フィクションの世界をそのままリアルな事件に置き換えて、芝居を観ていた。

贅言2);新春恒例の「浅草歌舞伎」は、どうなる?
松竹の告知は、以下の通り。

例年1月に開催しております、浅草公会堂「新春浅草歌舞伎」の2021 (令和3) 年1月公演は、中止とさせていただきます。楽しみにお待ちいただいていたお客様には、深くお詫び申し上げます。
なにとぞご理解とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
松竹株式会社

歌舞伎座の新春大歌舞伎に吸収された形の浅草歌舞伎という上演形態が、変化のポイントのひとつ。また、1月分から桟敷席のチケットも、発売された。外観的には、国立劇場も歌舞伎座も、劇場運営は、従来の形に戻ってきているように見えるが…。実際には、3月以降、公演中止をした時に比べてイベント自粛の規模が緩くなったに過ぎないからではないか。5,000人以上自粛なら、観客席2,000人程度の歌舞伎座のような劇場は、昨春の時のようなイベント開催の自粛対象にはならない、というカラクリがあるからだろう。

<歌舞伎座二月歌舞伎>
まだ、構成は、3部制だ。
 第一部「本朝廿四孝 ~十種香」、「泥棒と若殿」。名作「十種香」の主な配役では、八重垣姫(魁春)、腰元・濡衣(孝太郎)、長尾謙信(錦之助)、武田勝頼(門之助)。新作歌舞伎の「泥棒と若殿」の、泥棒(松緑)、若殿(巳之助)。
 第二部「於染久松色読販」、「神田祭」。主な出演は、仁左衛門と玉三郎。「於染久松色読販」の土手のお六(玉三郎)、鬼門の喜兵衛(仁左衛門)。「神田祭」の鳶頭(仁左衛門)、芸者(玉三郎)。
 第三部「奥州安達原 ~袖萩祭文」、「連獅子」。「袖萩祭文」は、中村家の十七代目勘三郎三十三回忌追善狂言。「奥州安達原」の袖萩(七之助)、安倍貞任(勘九郎)、安倍宗任(芝翫)、娘お君(長三郎)、平傔仗直方(歌六)、浜夕(東蔵)、八幡太郎義家(梅玉)。「連獅子」では、狂言師右近、後に親獅子の精(勘九郎)、狂言師左近、後に仔獅子の精(勘太郎)。第三部では、勘九郎の息子たち、長男勘九郎と次男長三郎が出演する。

<歌舞伎座三月歌舞伎>
 第一部「猿若江戸の初櫓」、「戻駕色相肩」。「猿若江戸の初櫓」では、勘九郎と七之助の兄弟が、勘三郎家所縁の演目を踊る。猿若(勘九郎)、出雲の阿国(七之助)。「戻駕色相肩」。松緑と愛之助。浪花の次郎作(松緑)、吾妻の与四郎(愛之助)。
 第二部「一谷嫩軍記 ~熊谷陣屋」、「雪暮夜入谷畦道 ~直侍」。お馴染みの「熊谷陣屋」では、仁左衛門の熊谷次郎直実。孝太郎の熊谷妻相模。これもお馴染みの「直侍」では、菊五郎の片岡直次郎。時蔵の三千歳。
 第三部「楼門五三桐」。吉右衛門の石川五右衛門。幸四郎の真柴秀吉。吉右衛門の体調は、回復されただろうか。もう一演目は、Aプロ「隅田川」(玉三郎、鴈治郎)、Bプロ「上 雪」、「下 鐘ヶ岬」。玉三郎が軸となる。

<国立劇場三月歌舞伎>
「時今也桔梗旗揚」。主役の武智光秀は、菊之助が演じる。岳父の吉右衛門の監修で、三幕もので上演。場の構成は、以下の通り。
 序幕「饗応の場」
 二幕目「本能寺場盥の場」
 大詰「愛宕山連歌の場」

︎コロナ禍の第3波は、菅政権が「ロックダウン」を決断しないまま、効果のない対策を小出しにしているだけ、という方向性がウイルスに見抜かれてしまったのか、勢いが全く衰えない。そして、1月8日になって、やっと出た緊急事態宣言。限定的で、効果は、窺えず。コロナ禍の先は、不透明なまま。先行きが見通せない。私も、12月以降、歌舞伎の舞台を見てはいない。買い求めたチケットを使わず、無駄にした月もある。人の移動、他人との接触が、コロナウイルスに助太刀することになる。どこでウイルスとの接点ができるか判らない。首都圏でのコロナウイルスの「勢い」を軽視してはならない、と思ったからである。

混沌の歌舞伎界は、日本社会を象徴している。
400年を超える生(なま)の舞台が命という演劇が、歌舞伎だった。
江戸時代からの伝統の歌舞伎。インターネット社会になった結果、最近の歌舞伎の映像化の試み。さまざまな新しい潮流。シネマ歌舞伎、図夢(ズーム)歌舞伎など、映像の力を助太刀に利用しようとする新しい発想や動き。この課題について、歌舞伎役者の中で先行して取り組んでいるのは、松本幸四郎らであろう。

中でも、幸四郎と猿之助の「弥次喜多」(朝日新聞12月22日の記事参照)の試みを記録しておこう。幸四郎と猿之助の「弥次喜多」ものは、2016年8月の歌舞伎座で「納涼歌舞伎」として初演された。もちろん、原典は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』。それを新作歌舞伎に仕立て直した。以降、毎年8月の歌舞伎座「納涼歌舞伎」での新作上演の演目として定着しつつあった。2017年以降には、シネマ歌舞伎として、映像化もされた。そういう人気演目が、2020年8月は、舞台上演が実現しなかった。コロナ禍で歌舞伎座が3月から7月まで閉場休演になってしまったからだ。8月の再開場では、「花形歌舞伎」の演目が上演された。幸四郎と猿之助の「弥次喜多」は、代わりにインターネットでレンタル配信された(12・26)。

中堅、花形、若手の歌舞伎役者らが参加する、こうした新しい映像化の潮流は、まだ、流れの水脈がどの方向へ流れるか、未知数だろうが、歌舞伎は、伝統芸能であり続けながらも、常に新しさを求めているから、受け手には、違和感が少ない。幸四郎が言うように、コロナ後の歌舞伎は、「元に戻ることはないと思っています」。しかし、どのような流れが奔流となるかは、まだまだ、試行錯誤が続く。そういう意味では、やはり未知数だろう。

伝統芸能の歌舞伎、世界的な映画祭という定点観測で、葦のズイから天を覗くようにしながら見てきたエンターテインメントのコロナ禍拡大防止論は、ひとまず、今回は、これにて幕を閉めたい。

イギリスでは、経済重視の政治家が、(感染症の)専門家の助言を無視した、という。日本では、経済重視の経済人に押され、政治家が決断しなかった。同席していた専門家も、身体を張って政治家に逆らってまで、適切な助言をしなかった。その結果、日本国民は、生命と暮らしを奪われている。

コロナ禍の抑制を祈りながら(柝の頭にて幕。/つまり、この項、了)。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

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