【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

解決遠いミャンマーの少数民族問題

荒木 重雄

 今秋には総選挙が予定されているミャンマーで、依然、少数民族問題が疼いている。
 とりわけ、多数派の仏教徒が少数派イスラム教徒ロヒンギャを迫害している問題である。
 昨年12月には国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)でこの問題が、ミャンマー政府による「ジェノサイド(集団殺害)」として審理され、アウンサンスーチー国家顧問が口頭弁論で反論した。スーチー氏は訴えを「不完全で誤解を招くもの」と全面否定したが、かつて軍事政権に抗って民主化を進めたノーベル平和賞受賞者の発言として注目されただけに国際社会には失望と批判が広がった。

◆◆ 繰返されるロヒンギャ迫害

 ベンガル湾を臨むバングラデシュとの国境近くに住むロヒンギャの人々は、政府から不法移民と見做され、無国籍状態に置かれてきた。そのせいもあって、1970年代から迫害がはじまり、2000年代に入ってからは2、3年ごとに、軍や仏教徒住民から迫害を受けた何万人もが国外に逃れようと、老朽船でアンダマン海やマラッカ海峡を漂流して多数の犠牲者を出したり、陸路逃れながら人身売買業者の手にかかって過酷な境遇に陥ったりの事件が頻発し、国際社会の耳目を集めてきた。

 とりわけ17年8月には、棒や刃物を持ったロヒンギャの集団が反撃を試みて警察施設を襲ったことをきっかけに、治安部隊の大規模な掃討作戦を受けることになった。村全体を焼き打ちして逃げる人々を銃撃し、生き残った男性には刃物でとどめを刺し、女性を暴力的にレイプするといった状況を、国連人権委員会調査団が報告している。「極度の残虐性」がある「ジェノサイド」の疑いが強いこの作戦は、その規模や組織的な動きから軍主導と認定されると同調査団は指摘する。

 この掃討作戦では、1ヵ月で6,700人余りのロヒンギャが殺害され、100万人以上がバングラデシュに逃れたとされる。現在も70万人余りのロヒンギャがバングラデシュ・コックスバザール近郊の難民キャンプで暮らす。電気もない粗末な簡易住宅が密集する劣悪な環境で、職も子どもの教育機会もない状況だが、バングラ・ミャンマー両国政府のお膳立てにもかかわらず、帰還希望者はいない。命の危険があるからだ。難民の多くが帰還の条件に望むのは、国籍の付与と帰還後の安全確保だが、その保証は得られず、とりわけ帰還するべき土地の占拠を目論む仏教徒からいつまた迫害を受けるかわからないからである。

◆◆ 彼らはそもそも不法移民か?

 不法移民とされ国籍もないロヒンギャだが、じつは彼らがインドのベンガル地方からこの地に移ってきたのは15世紀から18世紀のことである。イスラム諸王国が国際貿易の担い手だった当時、イスラム教徒であるロヒンギャは商人や傭兵としてこの地にあった仏教王国を支えた。その後も、地元の仏教徒アラカン族やビルマ族住民と普通に共存していたのだが、ネウイン軍事政権下、1982年に制定された国籍法で国籍が剥奪され、バングラデシュからの不法移民とされて無権利状態に置かれることになった。さらに88年、アウンサンスーチー氏らの民主化運動を支持したことが軍事政権の逆鱗に触れ、財産没収や移動の制限、強制労働、暴行などの弾圧を受けるようになって、現在の迫害に繋がっている。

◆◆ 歴史が醸した民族間の不信

 だが、ミャンマーで少数民族問題はロヒンギャに限らない。ミャンマーをその地形からみると、イラワジ河流域の平野部を全人口の約70%にあたるビルマ族が占め、平野を囲む山岳・高原地帯に、西から時計回りで、チン、カチン、シャン、カヤー、カレン、モンなど、主要民族は約20、細かくは135を数える少数民族が住む。

 19世紀にビルマを植民地支配した英国は、ビルマ族と非ビルマ族を分別する「分割統治」を実施し、殆どが仏教徒であるビルマ族に対し非仏教徒の山地民にキリスト教の布教を行ない、キリスト教化したカレン族などを植民地政府の官吏や兵士、警官に仕立ててビルマ族支配に当たらせた。さらに第2次大戦中、日本軍が英国統治に不満を持つ仏教徒ビルマ族を軍事力に育てて侵攻し、英=非仏教徒少数民族軍と戦ったことも重なって、ビルマ族と少数民族の分断・対立が深まっていった。
 1948年に独立を迎えると、ビルマ族中心の政府に対して少数民族側が民族自治や権利の平等を要求して反政府武装闘争を展開する。先に挙げた主要民族を含む20余りの少数民族がそれぞれの名を冠した武装組織を創設し、60年余りに亙って、政府軍との戦闘が続けられてきた。
 2012年から政府と少数民族武装組織との対話が始まり、現在、10組織との停戦が実現しているが、充分な和解が成立しているとは言い難い。

 このような歴史からみても、多数派仏教徒ビルマ族と少数民族との間の確執・憎悪・怨念・不信は根強く、そうした感情の矛先がいま象徴的に、少数民族の中でも最も弱い立場にあるロヒンギャに向けられていると想像しても間違いではないだろう。

◆◆ 選挙に勝つには多数派依存

 さて、冒頭の国際司法裁判所でのアウンサンスーチー氏の弁論に戻ろう。スーチー氏は、一部に行き過ぎがあったことは認めながらも、ジェノサイドを否定し、「自国の問題は自分たちで解決する」という主張を貫いて、国軍を擁護した。
 軍が議会で議席の4分の1以上を占め、軍は政府の指揮命令を受けないことなどを規定する現憲法下で、スーチー氏らが目指す憲法改正や少数民族和平問題の進展では軍の協力が欠かせず、軍との関係は重視せざるを得ない。
 それになにより、仏教徒が9割を占め、民主活動家や知識人たちさえ「ロヒンギャは国民ではない」「これはテロリストとの戦いだ」などと主張する、ロヒンギャとロヒンギャを擁護する国際社会への反発が強いミャンマー社会の状況の中で選挙を展望するとき、ロヒンギャに寄り添う姿勢を示すことなどとてもできない相談なのだ。

 国際司法裁判所におけるジェノサイドの審理では判決が出るまでに数年を要するとされる。だが先月、裁判所は緊急の対応としてミャンマー政府に対し、ロヒンギャへの迫害行為を防ぐ措置を取るよう命令を出した。「仮保全措置」とよばれる、権利の損害が「切迫し重大な危機」にあると認定される場合にとられる命令で、日本の裁判での「仮処分」にあたる。

 ところで、このような状況のなかで、なんと、駐ミャンマー日本大使が同国メディアに、「ミャンマー政府も国軍もすべてのイスラム教徒『ベンガリ』を殺そうとしたとは思わない」と語って、国際社会の顰蹙を買った、という記事に出遭った。国際司法裁判所で審理中の問題に現職大使が非中立的な見解を述べることじたい不見識だが、「ベンガリ」はベンガル語話者すなわちバングラデシュ人という意味で、ミャンマーでは、国籍を与えられていないゆえに苦境にあるロヒンギャを差別・排除する意図をもって口にされる「差別表現」である。
 筆者自身の海外での経験も含めて思うのだが、日本の外交官には、とくに任地において、資質や品格を疑いたくなる言動を見聞きするケースも稀ではない。

 (元桜美林大学教授・『オルタ』編集委員)

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