【コラム】神社の源流を訪ねて(69)
邪霊の侵入を防ぐ神々(中)稲作と鳥居
韓国に神社の源流を訪ねる10
栗原 猛
鳥居こそ日本固有のものに違いないと思っていたが、どうも鳥居にも源流があるらしい。古代史家の鳥越憲三郎は「古代朝鮮と倭族」で、中国雲南省からタイ、ミヤンマー、ラオス、にかけて住むアカ族、中国のハニ族と呼ばれる倭族に属する少数民族の習俗を現地調査して、鳥居と注連縄の源流ではないかと紹介している。
この地域は揚子江の中流から下流の地域に当たり、8~9000年前の頃から種を植える時と収穫の時には感謝する行事が行われたものと考えられる。
実は数年前、ソウル市内で堂探しをしていて偶然、古い建物の前に道路を挟んで、二本の柱の上に渡してある笠木の上に、鳥の形をした板がいくつも並んでいるのを見つけたことがある。以来、神社の鳥居にも源流があるのではないかと気になっていたところだった。ちょっと見ると分かりにくいがよく見るとまさしく鳥居である。木の蔦が注連縄のように二つの柱に巻き付いている。
笠木の上の鳥の種類は分からないが、天の神が下りてくる時の乗り物といわれる。また鳥は天地を行ったり来たりすることから、神の使いとも考えられたようだ。鳥居は神聖な土地と区別する表示でもある。鳥居が村の東西や南北にそれぞれあるのは、村全体が神に守られているという意味にもなるという。外から悪霊の侵入を防ぐ役割があるようだ。
注連縄は村に悪霊が侵入しようとすると、捕まえて縛るためのもので、鳥越氏の「古代朝鮮と倭族」には、中国雲南省のラフ族の木造の門や略した門に注連縄を掛け渡してある写真が紹介されている。
ところで日本でも奈良、滋賀、三重県などで新年に、村の出入り口の道を挟んだ柱に、注連縄が張り渡されるところがあった。さらに綱の真ん中あたりに結び目が作られているのもある。これはハニ族などの呪術的な習俗であったとして鬼の目と同じ役割とされる。
日本では注連縄に紙を切って稲光のような紙垂を垂らすが、これに当たるのではないかとされる。韓国では禁縄(クムチュル)と呼ばれ、今でも出産直後の家では注連縄を飾るといわれる。邪霊の侵入を防ぐためとされる。文化人類学の秋葉隆氏の「朝鮮民族誌」によると、「朝鮮半島では注連縄の習俗は北緯38度線を境にして北方のツングース族の高句麗にはなく、倭族が渡来した半島の南に多く見られる。南の方の文化と言えるのではないか」としている。
鳥の木型が置かれ、これと似た木型が日本弥生稲作文化のはじまりとされる池上、曾根遺跡(大阪府和泉市、泉大津市)纏向遺跡(奈良県桜井市)でも見つかっている。今日の雲南省、江蘇省、浙江省の町の入り口で見られる鳥居を写真で見ると、三輪鳥居に似ている感じだ。注連縄の由来はここにある。河内で発見されたものにも、腹に穴があり、竿の上に押し立て村の入り口にあったとされる。「中国雲南省に住む苗族(ミャオ)族の村の中心に、芦笙〈ろしょう)柱が建ててあり、その頂上に木製の鳥が止まっている。ミャオ族の神樹とされる楓香樹(カエデ)で作られる。日本では榊や欅が神木でこの柱に銅鼓がつるされた。日本ででは銅鐸とされる。この風習はツングースや蒙古族にも雑鬼を防ぐ守護神になっているといわれ、東アジアに広がっていることになる。朝鮮半島の南部で石積みの塔の上に鳥の形の石を置いている。この石積みの塔はツングース系といわれ、鳥が止まる結界門という習俗は南の倭族のこの二つが合流したものとされている。
雲南省では春は蕨が収穫され、コンニャクも売られているという。また麻から糸をつむいだり、蚕から絹糸を生産したり、藍染めもあるそうだ。気の遠くなるような長い時間をかけて、お米とともに日本にもたらされたのではないか。以上
(2024.8.20)
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