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関東大震災百年から見る新聞報道

羽原 清雅

 1923年9月1日の関東大震災は、1世紀を迎えて新たな局面を開く。政府は、朝鮮、中国の人びとへの迫害の公的資料がないと言い、東京都知事は引き続きその慰霊祭に慰霊の気持ちを伝えようとしない。歴史の修正主義だ。一方、映画「福田村事件」はそれなりのアピールはあったが、韓国の人達と一緒に見た映写会での表情は、感動というよりも、なにか腑に落ちてない硬さがあった。
 次の百年のスタートに向けて、なにか名案はないか。若い世代に語り継げる仕組みはできないか。震災時に露骨に見せたこの民族蔑視の姿を、隣国民との友好の起点に切り替えられないものか。各地にばらばらに存在する当時の史資料を一堂に集めたセンターはできないか。各地の私立・公立図書館が所有する資料を専門化・分類化したネットワークはできないものか。かつての朝鮮通信使を送った日韓の間柄を再生させる定期的なイベントはできないか。名案はないが、なにか新たな百年にふさわしいスタートがあれば・・・。

 横浜の新聞図書館で12月24日まで開かれている「そのとき新聞は、記者は、情報は」なる展示を遅ればせに見ながら、そんなことを考えた。
 同時に、当時の異邦人(実は朝鮮民族は日本人に組み込まれながらも、差別の対象にされていたのだが)に対する迫害の数々を示す企画展を見て、改めて報道の難しさを感じもした。震災時の百年前の報道ぶりを見れば、たしかに稚拙で、危なっかしい点も目立つのだが、しかし今日の民主主義の時代にあっても、報道の難しさ、報道の危うさは今も変わらない、との印象を持たざるを得なかった。ごく一部だが、紹介しよう。
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 展示された「新愛知」(1923年9月4日付)の号外を見た。その見出しは
 *「不逞鮮人一千名と横浜で戦闘開始/歩兵一個小隊全滅か/鮮人の陰謀 震害に乗じて放火―東京に三千名蠢く/逮捕は頗<すこぶ>る困難/」
 その内容の概略は、歩兵一個小隊が朝鮮人約四百名と横浜で闘い全滅したかもしれない。朝鮮人が各所に放火したと伝えられる、というもの。だが、伝聞の表現ながら、そのでどころは書かれていない。
 *「発電所を襲い鮮人団」「屋根から屋根へ 鮮人が放火して廻る」
 この記事を見ると「鮮人が盛んに悪いことをして居るのは憎むべき事で 屋根から屋根へ渡って火を放って居るやうな有様」とある。とくに大きな活字を使い、見て来たかのような作文だ。
 *「解放出獄の鮮人団 略奪凌辱を恣<ほしいまま>にす/野毛山に追い込み包囲して射撃中」
 この記事は「横浜刑務所を解放したので、鮮人は二、三名或は五十名と一団隊を為し、横浜市内の各所に於て掠奪を行ひ婦人を凌辱するので戒厳令を布いて居る軍隊は之を野毛山に包囲して射撃して居る(大阪)」というもの。末尾に(大阪)とあるのは発信地か。横浜界隈は通信網も途絶え、大阪からの報道がふえていたことは事実だが、どのように確認したものかは一向にわからない。

 次に「下野新聞」(1923年9月7日付)。
 *社会面4段のトップ記事の見出しを見る。「今回の不逞鮮人の行動/社会主義者とロシア過激派の三角関係を根幹に行はる/怪しと睨んだ裏面の事実」とある。
 *震災前年の1918年に第1次世界大戦が終わり、翌年にウイルソン米大統領の主導によるベルサイユ条約で新たな国際秩序として国際連盟創設、国際労働会議(ILO)開催などの動きが生まれ、そうした流れに乗って中国の5・4独立運動など民族自決や、労働状態の改善を求める労働運動、ロシア革命後の社会主義運動などが始動していた。
 日本でも普選運動、労働争議、小作争議が頻発、大日本労働総同盟友愛会、日本水平社や日本農民組合、非合法の共産党、婦人参政同盟などが生まれた(1919-22年)。さらに震災直後には、第2次護憲運動のもとに加藤高明の護憲3派内閣が成立(1924年)。こうした社会の激変に伴って、為政者らは大震災時に戒厳令を発し、普通選挙法に合わせて治安維持法を公布(1925年)している。
 この新聞報道は、このような社会変動下にあって、守旧権力者側に走ったと思われる。震災時の朝鮮、中国人に対する蔑視、弾圧などに軍部や警察が絡んだのも、そうした背景があったことは否めない。権力はご都合主義に走り、やがて腐敗する。だからこそ、監視の厳しい眼が求められる。

 だが、事実を事実として伝える報道も、数少ないながら あった。
 「横浜貿易新報」(1923年9月14日付)は「鮮人六百名 復旧工事に努力」という短行の記事があった。
 「しん災後盛んに流言が行はれ、鮮人が放火したの 強姦したの 井戸に投毒したのと人心恐々で 為めに何等犯罪なき善良な国民が不逞鮮人と間違へられた事実も少なくない。森岡警察部長の話によると、一青森県人が言葉になまりがあるため鮮人とあやまられ、スンデの事に危なかったやうな事実もある。善良な朝鮮人の中にはあやまたれる名誉快復のため公共的事業に従事したいと申出る者も却々<なかなか>あり、既に鎌倉、大船間では六百余名の鮮人が復旧工事に働いて居る」
 警察部長と言えば、今の県警本部長。そうした人物の発言としては目を引く。
 「朝日新聞」の縮刷版をめくると、9月14日付に「大阪朝日へ無電を打つまで 森岡警察部長の大努力」なる記事があった。記事には、「震災救護に努力した第一人者」として神奈川県警察部長森岡二郎の名があり、前述と同一人物だ。
 この記事によると、彼は地震直後に庁舎は崩れ、各所に火の手が上がり、避難者を3回公園に導いた後、火炎激しく海に飛び込み、停泊中の「コレヤ丸」<東洋汽船>に乗り込んだ。大阪府、兵庫県、大阪朝日新聞などに船の無電(無線)で「最大の救援と食糧」を頼んだ、という。

 朝日新聞社は震災で社屋が燃えて、印刷不能となり休刊。復刊は12日からだった。
 その日の新聞に「小言」なるコラムが載った。新聞としての姿勢が見えるので、再録しよう。
 「◇今回の大震災に際し、最も遺憾な出来事の一つは、朝鮮人に対して面白くない流説が宣伝せられこれら同胞に対して種々な意味に於ける不愉快を與へたろうことである。
 ◇狂人走れば不狂人走る かういふ大災難大混雑に際しては多少の間違ひを生ずるのも免れ得ない事である。日本人の仲間にも不心得者があったから朝鮮人にも不逞の行為があったかも知れない。
 ◇併し多少の不逞行為があったとて、すべての朝鮮人を敵視し、罪人視し迫害するが如きは実に言語道断である。吾人は所謂朝鮮人に対する流言が何処から出たかを知らない。しかも如何なる流言にせよ、ウカとそれに乗って狂人と共に走る如きは、遇々以て如何に国民的訓練の乏しきかを語るものと謂はねばならぬ。
 ◇市民はよも朝鮮人が吾人と同じ同胞であることを忘れはすまい。四年前の万歳事件を忘れはすまい。今日朝鮮人を迫害する如きは、たとひそれが一人の朝鮮人であってもわが朝野十五年の朝鮮に対する苦心を一日にして滅ぼすものであることを記せねばならぬ。
 ◇サルに手も、今回の震災の結果、新聞紙の位置はますます確められた。朝鮮人に対するあらぬ流言が自由に流布されたのも、半ば新聞紙が全滅し正確な報道が行はれなかった結果である。
 ◇本社はかゝる大切な時期にあたり、震災類焼の結果とはいひながら、号外以外しばらく十分の報道を為し得なかったことを最も遺憾とする。しかも今や諸般の準備が成った。日と共に装を新にして、庶幾くば読者平生の眷顧に副ひ得ることを信ずる。」

 このような主張のせいか、9月15日付の同紙は、斎藤朝鮮総督、湯浅警視総監の長めの談話を掲載する。
 「多数鮮人中に多少不逞の徒があったのも事実で是又遺憾に堪へない。併しながら朝鮮人が皆悪いのではない。否不逞の徒は極めて少数に過ぎない事は断言して憚らない・・・在留鮮人に対しては保護を主とする、即ち適当な職業を與ふる外凡ゆる方法を講じて衣食住の安定を得せしむ方針である」(総督)、「内地に在る鮮人中にも注意を要するものはある。・・・而して鮮人の大多数の者は順良なる者であることを断言して憚らない。殊に親日の思想を有する鮮人は決して少なくない」(警視総監)
 だが、12日付では、「鮮人進んで労働に服す」との戒厳司令部の発表を載せるなかで、「陸軍9日夕までに鮮人3700名、支那人2500名を習志野陸軍廠舎に収容」とし「鮮人約100名を市の道路整理に使用する」としている。
 この習志野とその周辺での虐待はのちに問題視されており、この政府幹部らの発言と実態との言動不一致が表向きの意図的虚言であったかどうかはわからない。取材力はそこまで追いついてはいなかった。人数を確保して、現場の隅々までの実態を追える状況、時代でなかったのだろう。

 朝日新聞で重ねて言えば、14日付の「青鉛筆」のコラムに「大須賀栄は殺された、社会主義者はやられた、といふ様な流言が大分行渡って居たが、警視庁に真否を尋ねて見ると大杉オン大はじめ御連中は極めて安全に私服諸君の保護を受けて自宅に縮こまって居るそうだ」と書かれていた。
 大杉栄、伊藤野枝、甥の6歳の橘宗一の3人は憲兵隊特高課に連行され、16日には憲兵大尉甘粕正彦らの手で殺害された。
 冷やかし風に書くのはいいとしても、上っ面の取材にとどめず、深追いしていれば、と残念ではある。当時の官憲の取材の壁は厚く、リークなどもあり得ないことはわかりながらも、折角のヒントを事前に書けたのだから、一層惜しまれよう。
 取材は、今も決して容易ではない。

                    (元朝日新聞政治部長)
(2023.12.20)
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