【コラム】
神社の源流を訪ねて(30)

降臨神話の日朝相似形

栗原 猛

◆ 伽耶にもある「高天原」

 日朝の神話では相似点が少なくない。記紀で書かれていることの半分は、朝鮮半島に関連しているとさえ言われる。

 天津神籬(あまつひもろぎ)と熊神籬(くまのひもろぎ)について、日本書紀に有名な記事がある。高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)を降臨させるにあたって、随神に「吾は天津神籬及び天津磐境(いはさか)を起し樹てて、当に吾孫の為に齋(いは)ひ奉らむ。汝、天児屋命(あまのこやねのみこと)・太玉命(ふとたまのみこと)は、天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾孫の為に齋ひ奉れ」とある。
 神籬とは祭祀器具とされるが、天津神籬と、天日槍が携えて渡来した熊神籬は、名前こそ異なるが、共に祭祀器具とされる。

 次に、降臨した山の名前は、日本書紀では「日向の高千穂岳の槵触峯(くしふるのたけ)」、一書では「日向の襲の高千穂の添(そほり)の山峯」である。添はソウルに通じるといわれる。古事記は「竺紫(つくし)の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」である。
 「槵」と「久士布流多気」は、洛東江の周辺にあった6つの伽耶諸国の1つ、金官伽耶国の歴史書、『駕洛国記』にある「亀旨峯」(くしふる)に似ているとされる。

 ということで、釜山市に隣接する金官市(きめ)にある金官伽耶国の首露王降臨の地、亀旨峯を訪ねた。市の中心部は伽耶時代の宮殿や政庁、首露王や王妃の円墳などが整備され、古都の風情である。その近くにある小高い丘が亀旨峯で頂上まで歩いてもわずかだ。登り口に簡単な案内板があり、「亀よ亀よ首を出せ。出さないと首をちょん切るぞ」という古歌が紹介されている。意味は書かれていない。頂上は広く平坦で中央部分に簡単な柵があり、大きな自然石の上に6個の石の卵が置かれ、簡単な亀旨峯の説明書きがあった。二度目に行ったときには卵は別の場所に移されたという。

 伽耶の神話は、村民たちが天に向かって「自分たちを治めてくれる人を授けて欲しい」と祈ると、空から紫の糸につるされた金の箱が下りてきて、中に真床男衾(おぶすま・ふとん)に包まれた6個の卵があった。村民が持って帰ると卵から6人の立派な王子が生まれ、それぞれ6つの伽耶諸国の王になった。降臨した山の名前が亀旨、槵触、槵日―など共通性があるとされる。異なる点は、『駕洛国記』は村民たちが統治者を祈るのに対して、記紀神話では天孫が大国主命に国譲りを迫るところである。この場面から天孫が征服に来たという推測ができるとされる。

 また高天原の地に擬される地も、御所市高天、宮崎県高原町など、韓国では新羅の慶州や、慶尚北道高霊郡の伽耶大学には高天原の故地の碑が立つ。三品彰英氏は『増訂日鮮神話伝説の研究』の「首露伝説―祭儀と神話」で、降臨した山の名前だけではなく、神話と天孫降臨とが似ていると指摘する。中島利一郎氏は『日本の地名学研究』で、「天照大神時代は南朝鮮の新羅慶州であったと考えられる」としている。

 仁濟大(金海市)で、かまどなどの研究で知られる李永植教授は「大和政権にいた漢字に詳しい渡来人が、記紀に故国の伝承を反映させたとも考えられる。九州の大学と釜山の大学生が船を使って海流の研究やシンポジウムなどを開いていますよ」と語った。

 (元共同通信編集委員)
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