【コラム】神社の源流を訪ねて(54)

雷命神社(いかつち)神社

栗原 猛

◆水神を祀る神社祭祀の源流                  

 雷命神社は、対馬南端の豆酘(つつ)集落のはずれにあって、こじんまりとした神社だ。近くを阿連川が緩やかに流れる。対馬空港の案内でバスの便が少ないので、タクシーにした方がいいですよといわれ、途中にある神社にも立ち寄れるのでタクシーにした。         
 雷命を「イカツチ」と読むのは、延喜式の神名帳に「イカツチ」とある訓に由来するとされ、地元の人々は「ライメイ」と呼んでいる。したがって雷命とは祭神で「イカツチノミコトかな」と思ったら、祭神は雷大臣命(イカツオミノミコト)といわれていささか驚いた。                           
 この点について永留久恵氏は、「日本の神々」(神社と聖地1)で、元禄の頃編まれた「津島亀卜伝記」に、「津島亀卜ノ祖ハ、雷大臣(イカツオミ)ニ始ル。神功皇后ノ御軍ニ従ヒ、凱旋ノ後、津島直ニ封セラレ、子孫卜部トナル」とあるので、神功皇后の審神者(さにわ、神託を受けて神意を解釈して伝える人)だった中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツオミ)に見立てた記述ではないかと、指摘している。   
 参道の案内板には、「創立の年代は不詳。由緒、雷大臣命、神功皇后征し給う時、御軍に従ひ勲功あり、凱旋の後、対馬県主となり豆酘に館をかまえ、韓邦の入貢を掌り祝官をして祭祀の礼を教え太古の亀卜の術を伝う。由りてその古跡に祠を建て亀朴の神として祭り…」とあった。      
 雷命とは、名前からみても竜神、水神、雷神など自然神そのものを表しているので、もっとも古い神社の祭祀形式とされる。雷命神社の近くを流れる阿連川を遡った山中には太陽の女神、オヒデリさまの社がある。今も村を上げて両社の祭礼が継承されているという。水神、雷神という農作物の収穫に欠かせない水と、太陽神という組み合わせを祭祀をするのは、穀物の収穫にかかわる古くからの祭祀に違いない。対馬にはこのほか神社が母親と子供が対になって祭られる天道信仰も継承されている。

 永留氏は「そもそも雷命とは自然現象の雷電を神格化したもので、降雨を祈る神だと思うが、それを雷大臣という歴史上の人物らしく仮構したのは、対馬卜部が神祗官において中臣氏の配下になったことから、中臣氏の同族とするよう系譜を改めたためである」としている。                           
 豆酘には亀卜が伝わり、加志の太祝詞神社は名神大社であることから、阿連一帯について「対馬の神道」の著者・鈴木棠三氏は「対馬神道のエルサレム」と称したがいいえて妙である。                       
 新撰姓氏録によると、中臣烏賊津使主は、天児屋根命14世孫で、天児屋根命は、藤原・中臣氏の祖先神とされるから、烏賊津使主も同族ということになるが、「日本書紀」では「中臣」を冠しているが、烏賊津使主が活動した時代にはまだ中臣と名乗っていなかったとの見方もある。史実はともかく神功皇后とともに往古、朝鮮半島で活躍をしたとされるが、凱旋してきて中央の舞台に登場しないで対馬にとどまったというのはいささか不思議である。

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