【コラム】槿と桜(9)

韓国が直面する高齢化社会

延 恩株


 高齢化社会と言われて久しい日本ですが、韓国もこの問題から逃れなくなりました。言うまでもありませんが、高齢化社会とは、総人口に占める65歳以上の高齢者が増えた社会のことを指します。
 世界保健機構(WHO)などの定義では、高齢化率が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」と呼ぶということです。
 日本は45年も前の1970年には「高齢化社会」となり、それから24年後には「高齢社会」、そして2007年には「超高齢化社会」(21.5%)となっていて、超高齢化率はさらに上昇を続けています。

 でも、お年寄りがいつまでも元気で安心して生きていける社会を維持し、国が繁栄し続けられるならば、それは誰もが望むところでしょうし、すばらしいことだと私は思います。
 つい最近のことですが私自身、高齢化社会が出現する一要因には医療技術の進歩があることを実感させられました。と言いますのは、韓国にいる父親が2カ月ほど前に脳溢血で倒れましたが、その後の処置がうまくいき、多少の後遺症は残ったものの、退院できるまでに回復したからです。一昔前でしたら、ひょっとすると父親は重い障害を背負うか、亡くなっていたかもしれないのです。

 でも今回の父親の突発的な事態に経済的に対応できたのは、決して国の医療制度や保健制度のおかげではなく、私たち子どもたちが支援したからでした。子どもとして当然のことですが、もし年老いた夫婦のみの世帯だったら、あるいは父親一人だけだったらと考えると、そら恐ろしくなりました。

 残念ですが、韓国の社会保障制度や医療制度はあまりにも貧弱で、頼れるのは自分や家族だけです。ここにこそ韓国の高齢化社会を迎えての最大の課題があると、今回の父親の突発的出来事で思い知らされました。

 高齢化社会になると、生産年齢人口が減ってしまいますし、生産性も落ちてしまいます。しかも収入源を持たない高齢者への社会保障費や医療費は増加の一途をたどります。さらには介護を必要とする高齢者も家族介護だけでは対応が難しくなり、社会全体で高齢者を支えていくための介護負担なども増加します。

 これらを解決するためには莫大な費用が必要で、国としてどのようにまかない、高齢者が安心して生きていける社会を維持し、そのうえ国を繁栄させていくのかとなりますと、これを達成させるには相当の困難がたちはだかることになります。

 もう一つの厄介な問題があります。それは高齢化が進む一方で、出生率が低下していることです。この問題でも日本は韓国より「進んで」いますが、現在では韓国でも深刻度を増してきています。

 そんな折、5月7日にソウル市の65歳以上の高齢者人口が15歳以下の人口を上回り、123万7000人余りになったとのデータが公表されました。この要因として出生率より高齢者率が上回っていることが挙げられていて、まさに「少子化」と「高齢化」の問題が一つとなって韓国を襲ってきていると言えそうです。
 なんでも韓国の1970年度以降の高齢化進行速度は、経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国中、最速とのことです(産業研究院の分析による)。韓国の高齢化率は、2013年では12.2%で、まだまだ日本より遙かに低いと言えます。でも進行速度で見ると、1970年の高齢化率を基に2013年を比較すると4倍にもなっていて、日本の3.6倍より速いのです。

 しかも高齢者の人口比率が7%(高齢化社会)から14%(高齢社会)に達するまでの所要年数は日本が24年、アメリカが71年なのに韓国は18年。14%(高齢社会)から21%(超高齢社会)に達するまでの所要年数は日本が12年、アメリカが27年なのに韓国は8年と予測されています。

 そのうえ韓国の統計庁によると、出生率は1970年には4.53人、1980年には2.63人、1990年には1.60人へと激減しています。事実、ソウル市では高齢者人口が15歳以下の人口を上回ってしまったのですから、「少子高齢化」問題はひょっとすると、短期間に一気に襲いかかってくるだけに、日本よりもっと深刻かもしれません。

 高齢化社会を迎えた韓国で気がかりなことがあります。それは高齢者の自殺率がOECD加盟国中でもっとも高いからです。
 ふと自殺を考えた高齢者の動機は、病気による苦痛が最多で、第2位が経済的困窮、第3位が孤独だったそうで、次の「高齢者実態調査2014年度版」(韓国保健福祉部)の数字が、高齢者の自殺動機を裏付けているようです。

 高齢者が子どもと同居している割合は、全体の28.4%(2014年)で、20年前の54.7%からは大きく後退しています。おそらくこの数字が回復することはないだろうと考えられます。その一方で、高齢者夫婦だけ44.5%、一人暮らし23.5%というように、子どもと離れて暮らす高齢者が圧倒的に多くなっています。
 儒教的な考え方がまだ強い韓国社会では子どもが親の老後の面倒を見るのは当然とし、親もまたそのように考えている人が多くいます。でもそうした思いと現実は大きく違ってきているようです。

 長年、韓国から離れている私から見ると、こうした儒教的思考が広く韓国国民に根付いていたことが、かえって高齢者の仲間入りをしたときの覚悟や、老後のための個人的な貯蓄という取り組み意識を弱めてしまったように映ります。
 経済的な逼迫と孤独感は高齢者にとって致命的とも言えますし、それだけに深刻で、もはや個人的には解決できないところまできているようです。

 もう一つ気がかりなのは、国自体の高齢者を支える仕組みが日本に比べるとあまりにも立ち後れているだけでなく、取り組み方も後ろ向きに見えることです。

 国家の経済的発展、成長を最優先にしてきたギアを入れ換えないかぎり、韓国の少子高齢化問題に光明は見いだせないように思います。つまり国民を犠牲にしての国の発展や大企業の繁栄だけを考える国家運営の見直しが必要になってきています。

 日本では1990年代から生産可能人口が減少を始め、経済面での飛躍的な発展は遠ざかっていきました。韓国も「少子高齢化」が襲ってきていることは上述のとおりです。
 OECDはすでに2012年度に韓国の経済成長率が次第に低下し、2017年度以降は2%台になると予測しています。でも実際にはすでに低成長時代への突入が始まっているように私には見えます。

 国家としての経済的繁栄を最優先にする政策から、国民一人ひとりが安心できる生活に重点をおいた政策への転換をしなければならない時に来ていると思います。
 そして高齢者への社会保障費や医療費、さらには介護費などの充実を実行、実現しないかぎり、韓国から高齢者の貧困率や自殺率がOECD加盟国中で最悪という不名誉な数字を返上することはできないのではないでしょうか。

 日本は1970年代以降、少子高齢化時代に突入して、経済的低迷と共に悪戦苦闘を続けています。そして韓国も間違いなく日本と同じ道をたどろうとしています。
ある意味で日本はすばらしい先生です。韓国は日本を鏡にして謙虚に、そして大いに学んでいかなければならないと考えるこの頃です。 

 (筆者は大妻女子大学准教授)


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