【自由へのひろば】
『俳句弾圧不忘の碑』除幕式にて
「オルタ」に昨年6月、「『俳句』まで殺された時代―『共謀罪』の拡大解釈に不安はないのか」という文を書いたことで、マブソン青眼さんと知り合い、2月25日の除幕式にお邪魔した。
厳冬期の上田市としては、日差しも穏やかで春の到来も間近と感じさせるなか、北海道や青森や四国などから集まった約150人と、多くの報道陣に囲まれて、マブソンさんと無言館館主の窪島誠一郎さんが除幕のひもを引いた。ひもは3本あり、金子兜太さんも引くはずだった。
兜太さんが到着した際のサプライズに、と開館が準備された「檻の俳句館」だったが、そうはいかず、関係者を惜しがらせていた。
マブソンさんの挨拶は原稿にお任せするとして、76歳にして闊達な窪島さんは「個々の表現が生き続け、表現の自由が保障され、自由に詩(うた)を詠い、自由に聞ける時代を、いつまでも守っていきたいと飄々と話した。
幾たびかの日本の戦争は、多くの兵士を死なせ、沖縄を別とすれば国外での戦闘によって多数の他国の民間人をも巻き込んで殺戮の限りを尽くした。そればかりか、戦争が仕掛けられるプロセスでは、戦争の「意義」に疑問を抱き、反発する人々を非国民としてなじり、意思の表明を封じ、いのちをも奪った。ひとたび戦乱に向かうと、国家は権力・暴力をもって個々人を押さえつけ、偏狭なナショナリズムや愛国心に酔わせて、殺戮の世界を正当化する。戦乱の死者を形式においてあがめつつ、戦乱後ともなれば、徴兵制などで国民を駆り立てた国家としての責任を果たさず、哀しみを個々人に押し付けてしまう。
俳句弾圧も、こうした戦乱の犠牲だった。
不忘の碑は、そのような歴史的事実を語っていた。
碑に刻まれた句をいくつか紹介したい。
我講義軍靴の音にたゝかれたり 井上白文地
戦争をやめろと叫べない叫びをあげている舞台だ 栗林一石路
千人針を前にゆゑ知らぬいきどほり 中村三山
大戦起るこの日のために獄をたまわる 橋本夢道
英霊をかざりぺたんと座る寡婦 細谷源二
戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡辺白泉
(「オルタ」編集委員)
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