どのような日本に「戻る」のか

■どのような日本に「戻る」のか            荒木 重雄

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「日本を、取り戻す」をキャッチフレーズに掲げた政党が圧勝した昨年12月の
総選挙であった。民主党への失望と景気対策への期待、日本社会の行く末への不
安感、さらにメディアに煽られた「決められる政治」という決断主義への脅迫観
念、そしてなにより多様な民意を死票にする小選挙区制のカラクリがその背景に
指摘されるが、ともかく、こう主張する政党が衆院の過半数を占め、連立与党で
3分の2を超えたのである。

では、いったい、どのような日本を取り戻そうというのだろうか。
「アベノミクス」などと喧伝される経済政策は、かつての自民党政権の、公共
事業と金融緩和、新自由主義路線の拡大コピー。だがそれが、進行する世界経済
の構造変化や日本の産業構造の変化を前にいまだ有効な処方箋なのだろうか。
道路特定財源復活にみられるような業界と族議員が跋扈する利益誘導政治へ復
帰のおまけまでつく。

一方、「自助」を主張するこの政党の政権下では、かつて生活保護申請者を自治体の窓口ではじく「水際作戦」が社会問題化したが、いままたすでに決まった生活保護費の引き下げに加え、年金や医療補助、就学援助の削減も取沙汰されている。
高齢化に加え、新自由主義下の雇用規制緩和で不安定就労が増加している状況
において、安全網の縮小は社会の根底を崩しかねない。「絆」などという言葉で
とうてい補いうるものではない。

◇不透明さを増す原発ゼロへの道
まだ記憶に新しいことだが、昨年夏、政権が11カ所で開いた意見聴取会では約
7割、討論型世論調査では半数近くが「原発ゼロ」を求め、首相官邸前には脱原
発を求める人々が日を追って多く集まった。その民意に動かされ、当初乗り気で
なかった民主党政権も、新エネルギー戦略で「30年代に原発ゼロ」を打ち出し、
原発の新増設は認めない原則を掲げた。だが新政権は、早々に旧政権の方針の白
紙撤回を表明した。政権が変われば政策が変わるのは当然であろう。しかし、明
らかにされた民意が、無視されてよいのか。

そもそも現状で、なにをもって「原発回帰」をいえるのか。福島第一原発は、
爆発が起きない程度に落ち着いただけで、炉内の状況さえいまだ把握できず、汚
染水の対策も進んでいない。詳細な事故メカニズムも不明で、数十年はかかる廃
炉作業にも入れていない。周辺地域の除染作業も遅々として進まず、避難をよぎ
なくされた16万の人々の帰還や生活再建のめども立たたない。生活の基盤を奪わ
れ、家族は離散、生きる希望さえ失った住民も少なくない。これらの問題を脇に
置いた原発再開は許されまい。

3.11以降、明らかになったのは、政官業に学界やメディアも癒着した「原子力
ムラ」が進めてきた「安全神話」の欺瞞であった。同様に「低廉神話」の欺瞞も
明らかになった。原発が一見、安価に見えたのは、電力会社が負担すべきコスト
を税金など国民の負担に転嫁してきたからである。原発にほんらい必要な安全対
策や後処理のコストを勘案すれば他の電源に比べてけっして安くはない。一旦、
事故が起これば巨額の費用がかかることはすでに実証済みだ。だが福島原発事故
で、周辺住民の被害についてはまだ本格的な調査さえなされていない。

わが国は、じつは、洋上風力発電などを含めた再生可能エネルギーの潜在力は
世界屈指との指摘がある(エイモリー・ロビンス博士)。科学技術にも優位性が
ある。かつての「原発推進」の自民党政治に戻るのではなく、これらの条件を活
用して新エネルギーや送電・蓄電・省エネ技術の開発による新たな電力システム
の確立に向かうところにこそ、いまの日本に必要な新しいビジネスや雇用を創出
する機会があろう。

原発には人智ではほとんど解決不可能な決定的な問題がある。それは、半減期
が数万年から数十万年にも及ぶものがある高レベル放射性廃棄物をどう安全に管
理し続け、どう最終的に処理できるのかということである。現代人が責任を負い
きれない未来への危険を承知で、核のゴミを溜め続ける原発を「経済性」だけで
云々することは、人間としても国家としても著しく倫理を欠くことではないか。
ところが新首相の初の外国訪問が、ベトナムで原発輸出の推進であったとは情
けない。

ひとつつけ加えておけば、自民大勝は原発への民意の変化をけっして意味する
ものではない。衆院選当日、朝日新聞が投票所出口で行った調査でも、「今すぐ
ゼロ」と「徐々にゼロ」を選んだ回答が78%に及び、「ゼロにしない」の15%を
大きく上回った。

◇歴史を逆転させてはならない
一方、このたびの選挙の特徴は、与党・野党を問わず、当選者の9割を「改憲
派」が占めたことである。折から、竹島、尖閣諸島をめぐる領土問題や北朝鮮の
ミサイル問題がメディアでクローズアップされ、ナショナリズムのバイアスがか
かった国民意識に乗じた政治家がことさらに勇ましい言を弄して受けを狙い、そ
の言に煽られて民意がいっそう右に傾くという、ナショナリズムあるいはマッチ
ョイズムのバブルのような現象が認められたことも背景にあろう。

閉塞した社会の中で希望や自信をもてない人々が不満の捌け口を偏狭な民族主
義や排外主義に求め、それにおもねて煽る政治が導く先は、すでに幾多の歴史が
示すところだが、わが国でも、複雑な問題を直視せず、単純な勇ましい言葉で煽
るポピュリズム(大衆受け狙い)の政治が、小泉政権以来の風潮となっている。

では、隣国との関係にどう向き合うべきか。
韓国、中国ともに日本にとっては欠かせない経済的パートナーであり、ともに
地域の平和と繁栄を築く重要な友邦である。そのことは、3.11東日本大震災の後、
温家宝、李明博両首脳が自ら被災地に入り被災者を励ましたことにも表れていよ
う。

いわゆる「領土」問題は「歴史」問題と切り離せないことを認識せねばならな
い。
日本の竹島(独島)領有は日露戦争中の1905年、韓国の植民地化を進め、外交
権も奪いつつあったなかでのことである。したがって韓国国民にとって独島は、
たんなる島ではなく、侵略と植民地化の起点でありその象徴である。また、李明
博大統領の独島訪問は、「従軍慰安婦」問題を動機としている。

尖閣諸島(釣魚島 / 釣魚台)も日清戦争の帰趨が見えた1895年に日本領土に
組み入れられ、3カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地になった。こ
れまた中国国民にとっては侵略と植民地化の起点、象徴となる。さらに日中国交
正常化以来の、領土問題を「棚上げする」という暗黙の「合意」を反故にして挑
発した石原都知事(当時)の尖閣購入宣言と、それに追随した野田政権の国有化
方針が、国交正常化40年を祝う年を友好から紛争の年に変えた直接の原因である。

ドイツなどと比べると不十分とはいえ、日本も、過去の侵略に対する反省と謝
罪の意を「河野談話」「村山談話」はじめさまざまな機会に表明し、それなり理
解を得てきた。しかしこうしてうまれかけた信頼が、一部政治家の浅慮な言動に
よって何度も揺るがされたこれまでであった。そうした愚行を駄目押しするよう
に、新首相は、「河野談話」や「村山談話」を見直して新たな「未来志向の談話」
を発表するとするが、歴史の真摯な反省なしに「未来志向」などありえない。

領土問題はナショナリズムに情動的に火をつける危険性をもっている。それゆ
え政治家とメディアは、けっしてそれを煽ったり自己の利益に転用を画策するこ
となく、冷静な熟考と対応をこそ国民に呼びかけるべきである。そして外交的に
は、上の認識を踏まえつつ、「主権は分割できなくとも、資源を分かち合って利
益は共有できる」(馬英九「東シナ海平和イニシアティブ」)を指針に協議を尽
くすべきである。これは尖閣問題のみならず、竹島にも北方領土にも適用すべき
基本コンセプトであろう。
ところが新政権を主導する政党は、尖閣問題をむしろ好機と、国防軍創設、集
団的自衛権容認、垂直離着陸機オスプレイなど最新兵器の配備、尖閣に公務員常
駐などを主張する。核兵器保有の言さえ弄する「暴走老人」は論外としても、最
近の日本に、対外強硬路線と軍事力強化の風潮はあまりに顕著である。

さらに、アルジェリアの人質事件を機に政府は、現行では認められていない、
自衛隊が海外で邦人の陸上輸送に携わり、邦人保護に必要と判断すれば武器使用
を可能にする自衛隊法改定を画策している。これは、外国の地を日の丸を掲げて
進軍することであり、自衛隊という軍事力の適用範囲を厳格に国内に限定する現
行憲法のぎりぎりの要請をはるかに逸脱するものである。10人もの邦人が犠牲に
なった悲しい出来事を受けて、国民の支持は得やすいことだろうが、憲法にもか
かわる重大な法改定を、このようなときに便乗して安易に行っていいのか。

「戦後レジームからの脱却」を掲げて憲法改定の手続きを定めた国民投票法や
改定教育基本法を成立させ、防衛庁の省昇格を実現させて一旦退陣しながら再登
場した新首相が、軍事力強化と併せて執心するのが教育改革である。国や首長の
権限強化に加え、現行教科書は「自虐史観」や偏向が多いとして、アジア諸国と
の歴史的関係に配慮を求めた「近隣諸国条項」の廃止を含む教科書検定改革など
を提起している。この企図はすでに政権下の「教育再生実行会議」で動きはじめ
た。

社会道徳や規範意識の涵養に異存はないが、それを「市民としての公共心と良
心」の育成ではなく「愛国心」の強制で行おうとするのは、時代錯誤を超えて危
険ではないか。

そして、この政党が究極の目標とするのが憲法改定である。国防軍の保持や緊
急事態条項などの他、全体像はまだ不明だが、「戦後レジームからの脱却」や
「日本を、取り戻す」の含意にみられるように、日本国民としての伝統と誇りの
復活とともに、非戦の否定(戦争のできる国へ)や歴史の見直し(南京虐殺や従
軍慰安婦はなかった)の方向性をもつと解される。

日本国憲法はたしかに連合国の占領下に定められた憲法であるが、そこには日
本が、侵略戦争を行った軍国主義とは異なる政治体制を造りあげるという国際公
約の意味があった。それはまた、無謀な戦争で戦闘員・非戦闘員270万人が死亡
し、全国66都市が爆撃され、海外に650万人が残され、全国民が飢餓と貧困にう
ちひしがれた、未曾有の犠牲の代償として得たものであり、「戦争だけは嫌、生
活を豊かに」と戦後社会がめざした国民的黙契であった。

その憲法によってこそ、日本は国際社会で一定の信頼を受け、軍事紛争に巻き
込まれることもなく、経済大国の地位を得て、安定した生活を享受することが可
能であった。そして、それだからこそ、日本国民は、たびたびの改定の誘惑にも
かかわらず、この憲法を60年以上にわたって支えてきたのである。

新政権が企図する憲法改定が、歴史の見直しを含み、日本軍国主義の事実上の
名誉回復まで目論む上にあるならば、中国、韓国や東南アジアのみならず、欧米
諸国からも厳しく非難されることは避けられない。

打算で憲法を擁護するのではない。平和主義の日本国憲法は、まさに世界のあ
るべき未来を指し示す理想である。そのこと自体を誇りたい。が、打算でいうのではないが、しかし、経済的には衰退に向かうであろう将来の日本にとって、こ
のような理想を掲げた平和憲法を保持することこそが、国際社会でその地位と面
目を保つ最大のソフトパワーになることは確かである。

◇市民としての異議申し立て
一方、なぜいま憲法や安全保障かと問う声もけっして少なくない。それより、
社会保障や雇用制度が機能不全を起こし、毎年3万人以上が自殺する現実に目を
向けるべきだ、遅々として進まぬ震災復興や放射能汚染対策、増大する一方の財
政赤字など、差し迫った国民生活の課題にこそ取り組むべきだ、との意見である。
同様に、確かに一票は投じたが、すべて白紙委任したわけではない、原発や「国
防軍」などについては別の選択肢を取るべきだ、との声もある。総じて、議会制
民主主義を経由しての国政と民意の乖離である。

ひとつデータを引いておこう。朝日新聞と東大の合同調査では、憲法改定につ
いて、先の衆院選で当選した議員の89%(自民党議員では99%、維新の会では全
議員)が賛成だが、有権者の賛成は50%。集団的自衛権行使では、議員の79%が
賛成に対して、有権者で賛成は45%であった。

3.11以降、脱原発運動を軸に多様なデモが出現した。我が国では1970年代初頭
から40年を経てはじめて、デモが普通にある「デモをしてもいい社会」になった
のである。創意工夫にあふれたプラカードや仮装、ドラム隊など表現方法や、主
催者の運営に、新しい「デモ文化」もうまれつつある。世界各地の反格差・反貧
困のデモやオキュパイ運動とも連携しながら、代議制による政治と民意の乖離を
補う機能に成長するのか、これも注目すべきことである。

(筆者は社会環境学会理事長、元桜美林大学教授)

(注)この原稿は社会環境学会報第11号に載せたもに加筆して戴いたもので文責
は編集部 にあります。

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