イスラム教徒を動かす歴史のルサンチマン

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

イスラム教徒を動かす歴史のルサンチマン

荒木 重雄


 昨今、イスラム過激派がらみの衝撃的な事件が相次いで起こり、イスラムへの疑問や関心が世間一般に高まっているところから、前号本欄ではあらためてイスラム教徒の信仰や生活の基本を見た。その中で、イスラムはほんらい平和を尊ぶ宗教で、「ジハード」という言葉の意味も「努力を尽くす」ことで「戦い」の意味ではないが、しかしそれがときに「戦い」の様相を帯びることもあると述べたので、今号では「イスラム理解の基礎知識」Part2として、「ジハード」が「戦い」に転化する状況に触れておきたい。

 一橋大教授の内藤正典氏はその著『イスラムの怒り』(集英社新書)で、イスラム教徒が怒る主な原因として(1)弱い者いじめ(2)聖典コーランや預言者ムハンマドの侮辱嘲笑(3)イスラムの価値観や生活習慣を「遅れている」と蔑むことの三つを挙げている。(1)はアフガニスタンやパレスチナで女性や子どもが戦火の犠牲になっていることであり、(2)は今年1月の仏「シャルリー・エブド」紙事件がその典型であり、(3)は欧米在住の移民二世たちを「イスラム国」に向かわせる一因でもあろう。

 だが、こうした日々の出来事に加え、イスラム教徒を憤らせる背景となる要因に、「歴史のルサンチマン(恨み、弱者が強者に対してもつ敵意)」がある。今号では、その観点から、イスラム世界と西欧の近現代史を振り返っておこう。

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◇◇ 英「三枚舌外交」の呪縛
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 西欧側からはレコンキスタ(国土回復運動)とよばれる8世紀から15世紀に亙るイベリア半島でのキリスト教勢力とイスラム勢力との攻防戦や、聖地エルサレム奪還を名目に11〜13世紀、キリスト教勢力が8回に亙ってイスラム世界への侵攻を企てた十字軍などは措くとして、1000年に亙って西欧キリスト教世界が到底及ばない高度な文明と経済的繁栄を誇ってきたイスラム世界を西欧が蚕食しはじめたのは、西欧が産業革命を経て近代兵器を整えた19世紀に入ってからであった。

 それはまず英国のインド(ムガル帝国)支配にはじまり、グレート・ゲームとよばれる英露の中央アジア争奪戦に広がり、一方、フランスはアルジェリアなど北アフリカに食指を伸ばす。
 そして、西欧とイスラム世界の力関係の逆転を完成させたのが、第一次世界大戦でドイツ、オーストリアと結んだオスマン帝国を英仏露を中心とする連合国が破り、解体したことであった。

 当時、オスマン帝国は、老いたりとはいえ、いまだ、中東、北アフリカから中央アジア、東欧の一部までを版図に納める大帝国であった。
 これに挑んだ英国が弄した策略がいわゆる「三枚舌外交」である。

 まず、戦費をユダヤ系財閥ロスチャイルド家から引き出そうと、戦後のパレスチナにユダヤ人の民族的郷土の建設を約束したバルフォア宣言(1917年)。
 他方、帝国内でアラブ人の反乱を促そうと、パレスチナを含むアラブ地域全体にアラブ人の統一国家樹立を約束したフセイン・マクマホン協定(15年)。
 さらに、このような約束をかわしながらそのじつ、帝国の版図を英仏露で分割支配することを密約したサイクス・ピコ協定(16年)である。

 サイクス・ピコ協定は、翌年、ロシアに出現したソ連政府に暴露され、一旦は破綻したが、同協定を踏襲したかたちでの英仏による分割が20年、サン・レモ会議で確定され、その後、英仏それぞれの影響の下、現在の中東諸国の国境線が引かれることとなった。

 イスラム世界の人々にとっては、このように、自己決定権を奪われ、政治的・経済的・社会的に後進状態に置かれ、文化的にも貶められていった過程が、近現代史であった。

 因みに、「イスラム国」が大義名分とするのがこのサイクス・ピコ体制の清算である。

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◇◇ ジハードに硝煙が漂うとき
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 パレスチナの地をめぐるバルフォア宣言とフセイン・マクマホン協定の矛盾は、パレスチナにユダヤ人の入植が進んだ第二次大戦後に持ち越される。
処理に窮した英国は問題を国連に丸投げし、国連はこの地をユダヤ国家、アラブ国家、国連管理地区に三分割する案を採択。しかしそれは従来ここに居住してきたパレスチナ人には晴天の霹靂である。
 パレスチナ人側は、ユダヤ人・パレスチナ人が民主的に共同経営する国家を提案するが、それでは少数派になるユダヤ人側は拒否して、突如、イスラエルの独立を宣言し、パレスチナ人の住む町や村を破壊して占領。
 大量のパレスチナ人難民が発生して、現在に至る中東最大の問題としてのパレスチナ問題がはじまるのである。
 これが、パレスチナの地を越えてイスラム世界で広く「ジハード」が「戦い」に転化する最も太い流れである。

 「ジハード」が血に染まるもう一つの源はアフガニスタンにある。
 サイクス・ピコ協定から退いたロシア(ソ連)は紆余曲折の後、1979年、かつてのグレート・ゲームの地に再び軍を進める。
 抵抗する地元アフガンのイスラム勢力を支援するべく各地からイスラム教徒が義勇兵(ムジャヒディン、イスラム聖戦士)としてアフガンに向かった。
 ときは東西冷戦下、米国とサウジアラビアなど親米湾岸諸国が武器、資金を供与してこれを煽った。

 この、米国が支援したイスラム戦士の間から生まれたのが、現在、世界各地に跋扈する諸々の過激派の源流となる「アルカイダ」である。
 そして、その過激派がこれほどまでに世界に拡散し先鋭化したのは、他ならぬ米国が仕掛けたアフガニスタン戦争やイラク戦争を通じてであった。

 現在のイスラムを巡るさまざまな事態を見るとき、このような歴史とイスラム世界の人々が抱くルサンチマンに思いを馳せることも、その本質の理解には欠かせないものである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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