ノーベル平和賞は「アラブの春」の希望をつなぐか

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

ノーベル平和賞は「アラブの春」の希望をつなぐか

荒木 重雄


 2015年のノーベル平和賞は、北アフリカのチュニジアで、宗教に基づく政治をめざすイスラム勢力と政教分離を重んじる世俗勢力の歩み寄りを促し民主化を進めた「チュニジア国民対話カルテット」に授与された。
 新聞などですでに大きく報じられたことではあるが、宗教の観点から世界の動きを見るとき混乱ばかりが目につくなかで、稀にみる明るい話題であるので、本コラムでも取り上げておきたい。

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◇◇「アラブの春」が辿った悲劇
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 2010年末、チュニジアで失業に抗議する若者たちのデモに始まった民主化運動、いわゆる「ジャスミン革命」は、数か月を経ずして、ヨルダン、エジプト、バーレーン、リビア、シリア、イエメンに拡大し、各国で30年余りも続いていた独裁政権を次々と倒したり危機に陥れ、「アラブの春」と謳われて、この地域一帯の民主化への期待が大いに膨らんだ。

 しかし、独裁というフタが外れ、パンドラの箱が開いた中東諸国では、宗教宗派間、民族間の対立に形を借りた各利益集団の利害対立が武力抗争にまで及び、混乱を極めている。

 カダフィ政権を崩壊させたリビアでは、世俗派・イスラム派、二つの政府が正統性を主張し、多数の武装集団が割拠して内戦状態。シリアでも、アサド政権と反政府派の内戦が続いて、すでに25万以上の命が奪われ、国民の半数以上が国内外で難民と化している。
 両国では混乱に乗じて過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭も著しい。

 エジプトではムバラク独裁体制を倒したが、民主選挙で選ばれたムスリム同胞団出身のムルシ大統領は軍のクーデターで解任、拘束され、これに抗議する市民1千人以上が軍の弾圧で殺害された。軍出身のシーシ大統領は強権的手法を強めている。
 イエメンでは、ハディ暫定大統領の下で新憲法制定へ向かっていたが、昨年来、イスラム教シーア派の反政府組織「フーシ」が暫定政権樹立を宣言して内戦。サウジアラビアなど国外の有志連合軍の空爆でフーシを抑え込んだが、情勢は流動的である。

 こうして総じて、民主化を求めて民衆が立ち上がった「アラブの春」の「民主主義と基本的人権実現への苦闘」は、ノーベル委員会の言葉を借りれば、「完全な停止」か「手痛い失敗」に追い込まれている。

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◇◇ 報われた市民社会の努力
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 こうしたなかで、唯一、希望をつなぐのが、「アラブの春」発祥の地、チュニジアである。

 チュニジアでも勿論、革命後の混乱は深かった。23年続いたベンアリ独裁政権を倒したのち、2011年の制憲議会選でイスラム系政党「ナハダ」が主導する暫定政権が誕生。言論の自由や治安機関による国民監視の緩和が進められたが、憲法案にイスラム法を法源とする規定や男性優位の規定が含まれたり、13年には野党指導者が相次いで暗殺されたことなどから、ナハダと世俗派・左派との対立が深まり、制憲議会は機能停止に陥った。

 この危機を救ったのが、今回平和賞を受けた「カルテット」であった。カルテットとは、チュニジア労働総同盟、経営者団体の産業商業手工業連合、知識層による人権擁護連盟および全国弁護士会の、いわば市民社会を代表する4団体である。
 強大な動員力を背景に、政治勢力の対立が先鋭化したり、テロが起こったりするたびに、大規模集会を組織して抗議の声を伝えたり、対話を仲介したりして、粘り強く取り組んだ結果、与野党は超党派の暫定内閣を発足させて、民主化プロセスを軌道に乗せた。昨年末の大統領選では議会第一党となった世俗派政党を率いるカイドセブシ氏が当選。今年1月に発足した新内閣にはナハダも参画し、「挙国一致」で民主化を進める体制が立ち上がった。

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◇◇ 宗教と世俗の協調こそ中東安定の鍵
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 チュニジアではなぜそれができたのか。ベンアリ以前のブルギバ大統領の政権時代、政教分離や教育、女性の地位向上などに力が入れられ、市民社会の基盤がある程度整っていたことや、これは重要だが、かつてのリビアや現在のシリアのような外国による特定の政治勢力への肩入れがなかったことも、好条件として指摘される。

 だがより重要なことは、カルテットの4団体がいずれも、どの政治勢力とも適正な距離を保ち続けたことであり、他方、政党の側も、イスラム派も世俗派も、互いを否定せず、双方が価値観をすり合わせる対話を辛抱強く継続したこと、言い換えれば、それぞれ自派が固執する立場を乗り越える努力を重ねたことである。

 中東や北アフリカ、南アジアの社会において、イスラムは人々の価値観の根源であり、生活様式であり、人々をつなぎ、社会を成り立たせる原理である。これを否定したり無視しては、いかなる政治も社会秩序も成り立たない。しかし一方、人権や表現の自由や政教分離など、現代の社会が求める世俗的な価値の要請も確かにある。イスラム派と世俗派の自制と妥協、協力による、バランスのとれた協調の実現こそが、この地域の安定の鍵となる。

 だがそれは言うほど容易ではない。じつは、チュニジアの社会と政治も薄氷の上にある。日本人観光客も犠牲になった今年3月のバルドー博物館襲撃事件に続く6月のスースでの高級ホテル襲撃事件など、テロも頻発し、隣国リビアで戦闘訓練を受けて「イスラム国」など過激派組織に加わる若者も、国別外国人戦闘員では最多の3千人を超える。その背景には、若年層で失業率が40%に及ぶ深刻な経済不振がある。

 平和賞を受けても街に祝賀ムードはなく、「平和賞より安全と食料を」が巷の声と新聞は報じるが、「アラブの春」で唯一残った希望の灯を絶やさぬためには、ノーベル平和賞の授与のみならず、一層の物心両面に亙る国際社会の支援が必要である。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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