【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

フランシスコ法王に倣いたい宗教者の社会関与

荒木 重雄


 庶民に寄り添う姿勢と改革への熱い意気込みで人気を集めるローマ・カトリックのフランシスコ法王は、通称バチカン銀行の不正資金運用疑惑や、聖職者による性的児童虐待問題などの旧弊一掃に一区切りをつけ、世界に関与する教会への歩みにパワー全開である。
 昨年の法王の幾つかの発言と行動を追ってみよう。

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◇◇ 公正と平和の使徒として
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 1月の仏風刺新聞襲撃事件に際しては、「母親がののしられたら、誰でもパンチをお見舞いしたくなるだろう」と述べて、表現の自由にも限度があり、他人の信仰を侮辱してはならないことを強調した。

 5月には、パレスチナ内でのカトリックの活動に関する協定で、パレスチナを正式に「国家」として承認し、同地域の国家樹立を後押しするとともに、19世紀のパレスチナで活動した修道女二人をパレスチナ人(パレスチナ地方出身のアラブ人)として初めて、カトリックで最高の崇敬対象である「聖人」に認定した。修道院や学校を設立し教育や福祉の向上に努めた修道女たちだが、二人の偉業のひとつとして、「イスラム世界との協力」を挙げている。

 7月には、エクアドル、ボリビア、パラグアイの南米三か国を歴訪。各国首脳やカトリック関係者との面会のほか、病院や刑務所を訪問したり、市民との対話集会に性的少数者(LGBT)の団体代表を招待したりと、フランシスコ法王らしい旅程の組み方であった。
 この旅のハイライトは、ボリビア東部サンタクルスでの演説である。先住民団体の代表らを前に、法王は、15世紀以降のスペインなどによる中南米征服の歴史に触れ、布教の一方で先住民の虐殺や奴隷労働があった負の事実に踏み込んで、「はっきり言いたい。神の名の下に先住民に対して行われた深刻な犯罪行為について謙虚に謝罪したい」と、公式に謝罪を表明した。

 8月には、噂されていた日本訪問は実現しなかったが、日曜恒例の「正午の祈り」で広島・長崎の被爆70年に触れ、「長い時間がたってもこの悲劇は恐怖と嫌悪を呼び起こす」と指摘。核廃絶を訴え、「戦争や暴力に『ノー』を、対話と和平に『イエス』を」と呼びかけた。

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◇◇ 増大する国際的影響力
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 9月のキューバと米国の訪問では、両国の歴史的な国交回復を仲介した立役者でもあり、人々の熱狂的な歓迎を受けた。
 法王は、就任以来、「貧者の教会」を掲げ、資本主義の行き過ぎや格差問題を警告してきたことから、米国内では批判や異論も出ている。だが法王は臆することなく、史上初となるローマ法王による米連邦議会での演説で、「自由」「平等」など米国の建国理念を讃えながらも、軍備については「なぜ武器を売るのか。他者の血にまみれた金のためか。この問題に取り組み、武器の売買を止めることが私たちの責務です」と語り、難民・移民については、「世界は第二次大戦以来の危機に直面しています。彼らを数字でとらえないでください。人として、顔を見て、話を聞いてください」と訴えた。

 また、法王としては史上5回目の国連演説では、「権力と繁栄の追求が限りある天然資源の濫費につながる」と環境保護を訴え、資本主義の行き過ぎを戒め、「戦争はすべての権利の否定である」と、平和の実現を世界の指導者に呼びかけた。

 主要な行事の合間には、ホームレスを激励し、刑務所で囚人一人一人と握手し、2001年の同時多発テロ追悼施設では、他宗教を交えた追悼式に出席し、「違いや不一致があっても、平和な世界を築くことはできます。言語や文化、宗教の多様性をもとに調和を築かなければなりません」と語りかけた。 

 11月からパリで開かれた国連気候変動会議(COP21)に向けても、参加各国のリーダーに対し、今世紀半ばまでに脱炭素化を完了する目標を立て、石油依存の生活スタイルから脱却すべきだと訴え、また、貧しい国や温暖化の被害を受けやすい国を意思決定の全過程に参加させるよう呼びかけた。
 フランシスコ法王は環境問題にはとりわけ危機感をもち、6月にも教会の公文書「回勅」を発表して、世界のカトリック信者12億人に、「人類共通の家」である地球を守るため温暖化対策に取り組むよう求めている。

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◇◇ 宗教者としての覚悟
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 しかし、すべてが順風満帆というわけではない。
 訪米のおり「聖人」に列した、18世紀にカリフォルニアで布教したフニペロ・セラ神父の像は、直後に引き倒され、「大量虐殺の聖人」と落書きされた。先住民に残酷な仕打ちをしたという記憶は、先住民にはなお根強く残るのである。

 教会内で反旗を翻す勢力も無視できない。バチカン銀行の透明化などでは既得権益を失うマフィアや極右から命を狙われたふしも指摘されたが、組織の改革に対する反発だけでなく、教会がタブー視する同性愛者や離婚者に理解を示す法王の姿勢に、教義が揺らぐと危機感を募らせる保守派も少なくない。

 そうした中で、11月末、ケニア、ウガンダ、中央アフリカへの歴訪を敢行した。いずれの国も、キリスト教徒とイスラム教徒の大規模な衝突が繰り返され、「シャバブ」をはじめイスラム過激派が活動し、大量殺戮も起きている地域である。
 命の危険が指摘されながらも敢てそこに踏み込み、イスラム指導者と面会したり難民キャンプを訪れたりして宗教間の和解を訴えるフランシスコ法王の姿に、「宗教者としての覚悟」を見ることもできよう。

 引き比べて、日本の宗教指導者はどうか。
 カトリックと歴史や思想、立場は異なるとはいえ、「利他」を宗旨とするはずの日本仏教ではないか。仏教者の社会への関心と関与が改めて求められる。
 それも、安穏な時代ではない。国内においても、原発事故被害を無視した原発再稼働や、県民意思を無視した辺野古米軍新基地建設、臆面もない労働法制の改悪や、戦後日本の国是であった立憲主義と平和主義を踏みにじった安全保障法制の成立などが強行され、日本があらぬ方向へ踏み出そうとしているこの危機の時代を迎えては、なおのことである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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